>   論語   >   憲問第十四   >   32

憲問第十四 32 子曰不患人之不己知章

364(14-32)
子曰、不患人之不己知。患其不能也。
いわく、ひとおのれらざるをうれえず。くせざるをうれうるなり。
現代語訳
  • 先生 ――「人にみとめられなくても平気、ただ自分の能なしが心配だ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「人が自分を知らないことを心配するな。自分に知られるだけの能力のないことを心配せよ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「人が自分を認めてくれないのを気にかけることはない。自分にそれだけの能力がないのを気にかけるがいい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 学而第一16」「里仁第四14」「衛霊公第十五18」と同じ趣旨。
  • 人之不己知 … 他人が自分の能力・学識を認めてくれないこと。
  • 患 … くよくよと気にする。心配する。
  • 不能 … 自分に能力がないこと。「のう」「あたわざる」と読んでもよい。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人に徳を修むるをすすむるなり」(此章勉人修德也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 不患人之不己知。患其不能也 … 『集解』に引く王粛の注に「だに己の能くする無きを患うるのみなり」(徒患己之無能也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「言うこころは人の我の才能有るを知らざるを患えざるなり。正に才能無くして以て与に人に知られんことを患うるのみ」(言不患人之不知我之有才能也。正患無才能以與人知耳)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「言うこころは人の己を知らざるを患えず、但だ己の無能を患うるのみ」(言不患人不知己、但患己之無能)とある。また『集注』に「凡そ章指同じくして文異ならざる者は、一言にして重出するなり。文の小異なる者は、屢〻しばしば言いて各〻出だすなり。此の章は凡そ四たび見えて、文皆異なること有れば、則ち聖人此の一事に於いて、蓋し屢〻之を言う。其の丁寧の意、亦た見る可し」(凡章指同而文不異者、一言而重出也。文小異者、屢言而各出也。此章凡四見、而文皆有異、則聖人於此一事、蓋屢言之。其丁寧之意、亦可見矣)とある。章指は、章の趣旨。章旨とも。論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 患其不能也 … 『義疏』では「患己無能」に作る。
  • 伊藤仁斎『論語古義』『集注』の注をそのまま引用している。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』には、この章の注なし。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十