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衛霊公第十五 3 子曰由知德者鮮矣章

382(15-03)
子曰、由、知德者鮮矣。
いわく、ゆうとくものすくなし。
現代語訳
  • 先生 ――「由くん、道徳をチエで知る人はまずないね。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様が子路しろにおっしゃるよう、「由よ。道徳の尊さを知る人のさても少ないことよのう。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    ゆうよ、ほんとうに徳というものが腹にはいっているものは少ないものだね」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 由 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。孔子より九歳年下。門人中最年長者。孔門十哲のひとり。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 鮮 … 「すくなし」と読む。少ない。ほとんどいない。
  • 矣 … 文末につけて、断定の意を示す。訓読しない。
補説
  • 『注疏』に「此の一章は子路の徳を知ること鮮きを言う」(此一章言子路鮮於知德)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 由(子路) … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 由 … 宮崎市定は、「由」の字は本来「能」ではないかと疑問を呈し、「能く徳を知る者は鮮ないかな、となれば口調もよく、文章がずっとすっきりする」と言っている。詳しくは『論語の新研究』327頁参照。
  • 知徳者鮮矣 … 『集解』に引く王粛の注に「君子固より窮するも、子路いかまみゆ。故に之に徳を知る者少なしと謂うなり」(君子固窮、而子路慍見。故謂之少於知德者也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「由は、子路なり。子路を呼んで之にぐなり。云う、夫れ徳を知るの人得難し、と。故に少と為すなり」(由、子路也。呼子路語之也。云、夫知德之人難得。故爲少也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「鮮は、少なり。由は、子路の名なり。言うこころは君子は固より窮するも、而も子路は慍りて見ゆ。故に之を徳を知ること少なしと謂うなり」(鮮、少也。由、子路名。言君子固窮、而子路慍見。故謂之少於知德也)とある。また『集注』に「由は、子路の名を呼びて之に告ぐるなり。徳は、義理の己に得る者を謂う。己之を有するに非ざれば、其の意味の実を知ること能わざるなり」(由、呼子路之名而告之也。德、謂義理之得於己者。非己有之、不能知其意味之實也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に「第一章より此に至るまで、疑うらくは皆一時の言なり。此の章蓋し慍り見ゆるが為に発するなり」(自第一章至此、疑皆一時之言。此章蓋爲慍見發也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れも亦た夫子子路の名を呼んで、徳を知るの難きを言い、以て学者の自ら勉むること能わざるを歎ずるなり。……論に曰く、古人徳行を以て、学問と為す。……後世徳行を以て、徳行と為し、学問を以て、学問と為して、徳行を以て学問と為すことを知らず」(此亦夫子呼子路之名、而言知德之難、以歎學者之不能自勉也。……論曰、古人以德行、爲學問。……後世以德行、爲德行、以學問、爲學問、而不知以德行爲學問)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「人多く有徳の人を知らざるを謂うなり。朱註に、己之を有するに非ざれば、其の意味の実を知ること能わざるなりと謂う。古言を知らずと謂う可きのみ。……所謂徳を知るは、豈にだ孔子の有徳の人たることを知るのみならんや。亦た有徳の人は、天之を棄てざることを知るなり」(謂人多不知有德之人也。朱註、謂非己有之、不能知其意味之實也。可謂不知古言已。……所謂知德、豈翅知孔子爲有德之人乎。亦知有德之人、天不棄之也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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