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憲問第十四 40 子曰作者七人矣章

372(14-40)
子曰、作者七人矣。
いわく、もの七人しちにんなり。
現代語訳
  • 先生 ――「立ち去ったものが、もう七人もある。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「……かような行動をとった賢人が七人ある。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』、前章と合わせて一つの章とする。)
  • 先師がいわれた。――
    「立ちあがったものが、七人だ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 作 … 起ち上がる。ここでは、起ち上がって隠遁するの意。
  • 七人 … 「微子第十八8」に見える逸民七人を指すとする説をはじめ、諸説ある。
  • この章を前章と合わせて一つの章とするテキストもある。
補説
  • 『注疏』では前章と合わせて一つの章とし、「此の章は古えよりの隠逸・賢者の行いを言うなり」(此章言自古隱逸賢者之行也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 作者七人矣 … 『集解』に引く包咸の注に「作は、為なり。之を為す者は凡そ七人あり、ちょう桀溺けつできじょうじん石門せきもん荷蕢かき封人ほうじんきょうせつ輿を謂うなり」(作、爲也。爲之者凡七人、謂長沮桀溺丈人石門荷蕢儀封人楚狂接輿也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子の言を引きて、能く世を避く已下を証す。古えより已来、此の行いを作す者、唯だ七人のみ。七人は、是れ注中に七人有るなり。王弼云う、七人は、伯夷・叔斉・虞仲・夷逸・朱張・柳下恵・少連なり、と。鄭康成云う、伯夷・叔斉・虞仲は、世を避くる者、荷蓧・長沮・桀溺は、地を避くる者、柳下恵・少連は、色を避くる者、荷蕢・楚の狂接輿は、言を避くる者なり、と。七は、当に十につくるべし。字の誤りなり」(引孔子言、證能避世已下。自古已來、作此行者、唯七人而已矣。七人、是注中有七人也。王弼云、七人、伯夷・叔齊・虞仲・夷逸・朱張・柳下惠・少連也。鄭康成云、伯夷・叔齊・虞仲、避世者、荷蓧・長沮・桀溺、避地者、柳下惠・少連、避色者、荷蕢・楚狂接輿、避言者也。七、當爲十。字之誤也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「作は、為なり。此の行いを為す者は凡て七人有るを言う」(作、爲也。言爲此行者凡有七人)とある。また『集注』に引く李郁の注に「作は、起つなり。言うこころは起ちて隠れ去る者、今七人なり。其の誰何たれたるかを知る可からず。必ず其の人を求めて以て之を実にするは、則ちさくなり」(作、起也。言起而隱去者、今七人矣。不可知其誰何。必求其人以實之、則鑿矣)とある。鑿は、穿鑿。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 宮崎市定は「世を避けた人、七人の名をあげることができる」と訳し、「この七人について諸説あるが、恐らく468に見える逸民七人、すなわち、伯夷、叔齊、虞仲、夷逸、朱張、柳下惠、少連のことであろう。もと論語のこの條の下に七人の名があったのを後人が468と重複するため削ったか、或いは初めから、單に七人と數だけ記録されたものか、今から知ることはできない」と言っている(『論語の新研究』321頁参照)。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「原文恐らくは七人の姓名有らん、今考うること可からず」(原文恐有七人之姓名、今不可考)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「作者を之れ聖と謂い、述者を之れ明と謂う。七人とは、堯・舜・禹・湯・文・武・周公なり。堯舜の前、聖人有りと雖も、孔子取らず。取らざる所以の者は、其のおこす所は利用厚生の事にとどまるを以てなり。是れ孔子書をさんするに唐虞より断つの意なり。七人なりと曰いて其の名をさざる者は、人皆之を知ればなり」(作者之謂聖、述者之謂明。七人者、堯・舜・禹・湯・文・武・周公也。堯舜之前、雖有聖人、孔子不取焉。所以不取者、以所其作止利用厚生之事也。是孔子刪書斷自唐虞之意。曰七人矣而不斥其名者、人皆知之也)とある。唐虞は、堯と舜の時代のこと。唐は、陶唐氏の略で堯、虞は、有虞氏の略で舜を指す。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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