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憲問第十四 34 微生畝章

366(14-34)
微生畝謂孔子曰、丘何爲是栖栖者與。無乃爲佞乎。孔子曰、非敢爲佞也。疾固也。
せいこういていわく、きゅうなん栖栖せいせいたるものすか。すなわねいすことからんや。こういわく、えてねいすにあらざるなり。にくむなり。
現代語訳
  • 微生畝(ホ)が孔先生にいった、「丘(キュウ)くん、なんでそうセカセカしてるんだね。おベンチャラをやってるんじゃないか。」孔先生 ――「おベンチャラはやれませんがね。ヘンクツはいやなんで。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 微生畝が孔子に向かって、「きゅうよ、何だってそんなにアクセクしているのか、いたずらに弁を好むきらいがあるではないか。」と言った。孔子がかぜやなぎと受け流して、「イヤ弁を好むわけではありませんが、独善どくぜんにこりかたまって世間を白眼はくがんすることがきらいだものですから。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • せいが先師にいった。――
    きゅう、お前はなんでそんなに、いつまでもあくせくとうろつきまわっているのだ。そんなふうで、おべんちゃらばかりいって歩いているのではないかね」
    先師がいわれた。――
    「いや、別におしゃべりをしたいわけではありませんが、小さく固まってひとりよがりになるのがいやなものですから」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 微生畝 … 隠者。姓は微生、名は畝。人物については不詳。孔子より年長者と思われる。
  • 丘 … 孔子の名。
  • 栖栖 … あくせくするさま。せかせか。
  • 佞 … 口先でうまいことを言って、媚びへつらうさま。
  • 固 … 頑固。かたくな。
  • 疾 … 憎み嫌う。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子の世の固陋を疾むの事を記すなり」(此章記孔子疾世固陋之事也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 微生畝謂孔子曰、丘何為是栖栖者与。無乃為佞乎 … 『集解』に引く包咸の注に「微生は、姓なり。畝は、名なり」(微生、姓也。畝、名也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「微生畝、孔子の東西に遑遑こうこうとして屢〻しばしばくも合わざるを見る。故に孔子の名を呼びて之に問うなり。言うこころは丘何ぞ是に此の栖栖たるを為すか。将に詐佞の事を時世に行うことを欲せんとするや」(微生畝見孔子東西遑遑屢適不合。故呼孔子名而問之也。言丘何是爲此栖栖乎。將欲行詐佞之事於時世乎)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「栖栖は、猶お皇皇のごときなり。微生畝は、隠士の姓名なり。以て孔子に謂いて曰く、丘と言うは、孔子の名を呼ぶなり。何ぞ是くの如く東西南北して栖栖皇皇たる者を為すか。乃ち佞説の事を世に為すこと無からんや」(栖栖、猶皇皇也。微生畝、隱士之姓名也。以言謂孔子曰、丘、呼孔子名也。何爲如是東西南北而栖栖皇皇者與。無乃爲佞説之事於世乎)とある。また『集注』に「微生は姓。畝は名なり。畝名もて夫子を呼びて辞甚だおごる。蓋し歯徳有りて隠るる者ならん。栖栖は、依依なり。佞を為すは、其の務めて口給を為し以て人を悦ばすを言うなり」(微生姓。畝名也。畝名呼夫子而辭甚倨。蓋有齒德而隱者。栖栖、依依也。爲佞、言其務爲口給以悦人也)とある。口給は、口が達者なこと。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 孔子曰、非敢為佞也。疾固也 … 『集解』に引く包咸の注に「世の固陋を疾み、道を行いて以て人を化せんと欲するなり」(疾世固陋、欲行道以化人也)とある。また『義疏』に「孔子答えて云う、我の栖栖たるは、敢えて詐佞するに非ず。政に是れ世の固陋を忿疾するなり。我れ道を行いて以て之を化せんと欲するが故のみ」(孔子答云、我之栖栖、非敢詐佞。政是忿疾世固陋。我欲行道以化之故耳)とある。また『注疏』に「孔子答えて言う、敢えて佞を為さず、但だ世の固陋を疾み、道を行いて以て之を化せんと欲するのみ、と」(孔子答言、不敢爲佞、但疾世固陋、欲行道以化之)とある。また『集注』に「疾は、悪なり。固は、一を執りて通ぜざるなり。聖人の達尊に於ける、礼恭しくして言直きこと此くの如し。其の之をいましむるも亦た深し」(疾、惡也。固、執一而不通也。聖人之於達尊、禮恭而言直如此。其警之亦深矣)とある。
  • 孔子曰 … 『義疏』では「孔子對曰」に作る。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「蓋し聖人は仕う可くんば則ち仕え、止む可くんば則ち止み、天下と共に斯の善を同じくせんと欲して、敢えて過高の行いを為さず」(蓋聖人可仕則仕、可止則止、欲與天下共同斯善、而不敢爲過高之行)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「微生畝、何人なんぴとたるかを知らず。蓋し亦たきょう先生にして、孔子に於いて先輩たり。何となれば、其の孔子を名いうを以てなり。孔子の答うる所は学問の事たるを以てなり。栖栖とは、訪求してまざるかたち。孔子の訪求して已まざる、畝以て博く学びて以て口舌をげんと欲すと為す。故に乃ち佞を為すこと無からんやと曰う。固をにくむとは、一説を固執することを疾むなり。是れ孔子訪求して已まざる所以の故をげて云うことしかり。凡そ固の字、学は則ち固にせず、固なるかな高叟の詩をおさむるやの如き、皆学問を以て之を言う。後儒之を知らず、一切の解を為し、乃ち孔子道を行いて以て固陋を化せんと欲すと謂う。非なり。疾の字は必ずしも人を疾むならず。勇を好んで貧を疾む、世をうるまで称せられざることを疾むというが如きは、皆自ら疾むなり」(微生畝不知何人。蓋亦郷先生、於孔子爲先輩。何也、以其名孔子也。以孔子所答爲學問之事也。棲棲者、訪求弗已貌。孔子之訪求弗已、畝以爲欲博學以騰口舌。故曰無乃爲佞乎。疾固者、疾固執一説也。是孔子語所以訪求弗已故云爾。凡固字、如學則不固、固哉高叟之爲詩也、皆以學問言之。後儒不知之、爲一切之解、乃謂孔子欲行道以化固陋。非矣。疾字不必疾人。如好勇疾貧、疾沒世而名不稱焉、皆自疾也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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