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憲問第十四 31 子貢方人章

363(14-31)
子貢方人。子曰、賜也賢乎哉。夫我則不暇。
こうひとくらぶ。いわく、けんなるかな。われすなわいとまあらず。
現代語訳
  • 子貢は人の品さだめをする。先生 ――「賜くんは、エラいんだな。わしなんぞそんなひまがない。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子貢は好んで他人を比較論評した。孔子様がおっしゃるよう、「賜はかしこいことかな。わしにはとてもそんなひまはない。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子貢がある時、しきりに人物の品定めをやっていた。すると先師はいわれた。――
    はもうずいぶん賢い男になったらしい。私にはまだ他人の批評などやっているひまはないのだが」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子貢 … 前520~前446。姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 方 … 比較する。
  • 賜 … 子貢の名。
  • 賢乎哉 … 賢いことだなあ。
  • 乎哉 … 感嘆の気持ちをあらわす言葉。なお、朱子は「疑いの辞」(疑辭)という。
  • 不暇 … 暇がない。
補説
  • 『注疏』に「此の章は子貢を抑うるなり」(此章抑子貢也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 子貢方人 … 『集解』に引く孔安国の注に「人を比方するなり」(比方人也)とある。比方は、並べてくらべること。比較すること。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「方は、人を比方するなり。子貢は甲を以て乙に比ぶ。彼此の勝劣を論ずる者なり」(方、比方人也。子貢以甲比乙。論彼此之勝劣者也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「人を比方するを謂うなり。子貢は多言、嘗て其の人倫を挙げて以て相比方す」(謂比方人也。子貢多言、嘗舉其人倫以相比方)とある。また『集注』に「方は、比なり」(方、比也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 賜也賢乎哉 … 『義疏』に「夫れ人の行い知り難し。故に人の優劣の不易を比方す。且つ誰にか己の劣れるを聞かん。故に聖人言わず。聖人言わずして子貢専ら輒ち之を比方す。故に之を抑えて賢なるかなと云う」(夫人行難知。故比方人優劣之不易。且誰聞己之劣。故聖人不言。聖人不言而子貢專輒比方之。故抑之云賢乎哉)とある。また『注疏』に「夫れ人を知るは則ち哲、堯・舜すら猶お病めり。而るに子貢は輒ち人を比方す。其の軽易を怒る、故に賜や賢なるかなと曰うは、之を抑うる所以なり」(夫知人則哲、堯、舜猶病。而子貢輒比方人。怒其輕易、故曰賜也賢乎哉、所以抑之也)とある。また『集注』に「乎哉は、疑いの辞。人物を比方して其の短長を較ぶるは、亦た理を窮むるの事なりと雖も、然れども専ら務めて此を為せば、則ち心、外に馳せて、以て自ら治むる所の者疎かなり。故に之を褒めて、其の辞を疑い、復た自らおとしめて以て深く之を抑う」(乎哉、疑辭。比方人物而較其短長、雖亦窮理之事、然專務爲此、則心馳於外、而所以自治者疎矣。故褒之、而疑其辭、復自貶以深抑之)とある。
  • 賢乎哉。夫我則不暇 … 『義疏』では「賢乎我夫哉。我則不暇」に作る。
  • 夫我則不暇 … 『集解』に引く孔安国の注に「人を比方するに暇あらざるなり(不暇比方人也)とある。また『義疏』に「事既に難しと為す。故に我は則ち比方の説有るに暇あらず」(事既爲難。故我則不暇有比方之説)とある。また『注疏』に「夫れ我は則ち人を比方するに暇あらざるなり」(夫我則不暇比方人也)とある。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「聖人の人を責むること、辞迫切ならずして、意已に独り至ること此くの如し」(聖人責人、辭不迫切、而意已獨至如此)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「子貢人をくらぶるは、自ら是れ才識さいしき有る者の常態なり。……夫れ人物をそうするは、聖人固より之れ有り。然れども其の之を論ずるや、将に以て己の鑑戒かんかいと為さんとして、人をくらぶるを以て学と為すに非ざるなり。若し此くの如くならずして、徒らに人物の短長を論ぜば、則ち益〻多言にせて、道に於いて分毫の益無し。晦庵かいあんの学、専ら理を窮むることを主とし、人物を論ずるを以て、格物の一端と為す。故に其の説をせんしゅうして自ら其の孔子の意にもとることを知らざるなり」(子貢方人、自是有才識者之常態。……夫臧否人物、聖人固有之矣。然其論之也、將以爲己之鑒戒、而非以比人爲學也。若不如此、而徒論人物之短長、則益騖多言、而於道無分毫益。晦菴之學、專主竆理、以論人物、爲格物之一端。故遷就其説而不自知其盭于孔子之意也)とある。才識は、才知と識見。臧否は、良し悪し。鑑戒は、戒めとすべき前例。晦庵は、朱熹のこと。遷就は、他のことにこじつけること。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「愚按ずるに朱子の窮理及び心そとすというは、皆其の家言なり。而うして人をくらぶる者は知者の事にして、豈にだ才識有る者の常態のみならんや。……其の子貢を抑うる所以の者は、其の自ら以て賢知と為せばなり」(愚按朱子窮理及心馳於外、皆其家言。而方人者知者之事、豈翅有才識者之常態哉。……其所以抑子貢者、其自以爲賢知也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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