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憲問第十四 15 子曰臧武仲以防求爲後於魯章

347(14-15)
子曰、臧武仲以防求爲後於魯。雖曰不要君、吾不信也。
いわく、ぞうちゅうぼうもっのちさんことをもとむ。きみようせずとうといえども、われしんぜざるなり。
現代語訳
  • 先生 ――「臧(ゾウ)武仲は、防町をわがものにして、あとつぎを立てることを魯の国に要求した。おかみに無理はいわぬというけれど、わしは信用しないな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「ぞうちゅうが罪を得ての国をしゅっぽんするとき、その領地のぼうみ止まって、そこから臧家の後継あとつぎを立てていただきたいと請願せいがんし、もしそれを許してくだされば防をあけわたして他国へ立ちのきますと申し出た。そしてその請願が通ったのでせいの国におもむいた。言葉は歎願たんがん的だったけれども、結局もし許されなければ防に立てこもってほんを起すという勢いを示したのであって、君主をかくきょうはくしたのではないと弁解しても、わしは信じない。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    ぞうちゅうは罪を得て魯を去る時、その領地であったぼうにふみとどまり、自分の後嗣を立てることを魯君に求めたのだ。彼が武力に訴えて国君を強要する意志はなかったといっても、私はそれを信ずるわけにはいかない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 臧武仲 … 魯の大夫。別名、ぞうそんこつ。臧文仲の孫、臧宣叔の子。知者として有名であった。ウィキペディア【臧武仲】(中文)参照。
  • 以防求為後於魯 … この話は『左伝』襄公二十三年に見える。臧武仲が家老同士の内紛の結果、隣国のちゅに亡命した。そこから再び自分の領地である防に帰り、異母兄の臧為を後継者に立てることを魯公に要求し、後継者の要求が許されれば防を魯国に明け渡すと声明し、もし許されなければ抗戦する形勢を示した。結局、要求が許され、臧武仲は防を明け渡して亡命した。
  • 以防 … 防の城に立てこもる。「防」は、臧武仲の領地。「以」は、拠るの意。
  • 為後 … 自分の子孫を後継者に立てる。
  • 魯 … 魯公。
  • 求 … 要求する。
  • 要 … 強要する。脅迫する。
補説
  • 『注疏』に「此の章は臧孫紇の要君の事を論ず」(此章論臧孫紇要君之事)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子曰、臧武仲以防求為後於魯 … 『集解』に引く孔安国の注に「防は、武仲のもと邑なり。後を為すは、後を立つるなり。魯の襄公二十三年、武仲は孟氏のそしる所と為り、ちゅに出奔す。邾より防にき、をして大蔡を以て納れ請わしめて曰く、こつは能く害するに非ざるなり。知の足らざるなり。敢えて私に請うのみに非ず。苟くも先祀を守りて、二勲を廃すること無くんば、敢えて邑を避けざらんや、と。乃ち臧為を立つ。紇、防を致して斉にはしる。此れ所謂君を要するなり」(防、武仲故邑也。爲後、立後也。魯襄公二十三年、武仲爲孟氏所譖、出奔邾。自邾如防、使爲以大蔡納請曰、紇非能害也。知不足也。非敢私請。苟守先祀、無廢二勳、敢不避邑。乃立臧爲。紇致防而奔齊。此所謂要君也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「姓は臧、名は紇、武は諡なり。防は是れ武仲の故食の采邑なり。後と為さんは、後を立つるを謂うなり。武仲は魯の襄公二十三年、孟氏の譖る所と為り、邾に出奔し、後、邾より防に還る。而して人をして魯に其の後を防に為さんことを請わしむ。故に云う、防を以て後と為さんことを魯に求む、と」(姓臧、名紇、武諡也。防是武仲故食采邑也。爲後、謂立後也。武仲魯襄公二十三年、爲孟氏所譖、出奔邾、後從邾還防。而使人請於魯爲其後於防。故云、以防求爲後於魯)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「防は、武仲の故邑なり。後を為すは、猶お後を立つるがごときなり。武仲は防邑に拠り、後を魯に立てんことを求む」(防、武仲故邑。爲後、猶立後也。武仲據防邑、求立後於魯)とある。また『集注』に「防は、地名。武仲のほうぜらるる所の邑なり。要は、挟むこと有りて求むるなり。武仲罪を得てちゅはしり、邾より防にき、後を立てることを請わしめて邑を避く」(防、地名。武仲所封邑也。要、有挾而求也。武仲得罪奔邾、自邾如防、使請立後而避邑)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 雖曰不要君、吾不信也 … 『義疏』に「要は、君を要するを謂うなり。先ず忠を尽くして、先ず君を欺かざるなり。武仲出奔するも猶お後を其の故邑に立てんことを求む。時人皆武仲の此の事要するに非ずと謂う。孔子其の理に拠りて是れ要なりとす。故に云う、要せずと曰うと雖も、吾は信ぜざるなり、と。是れ時人の不要の言を信ぜざるなり。袁氏云う、ぐるも境を越えず。而して私邑に拠りて先人の後を立てんことを求む。此れ正に君を要するなり、と」(要、謂要君也。不先盡忠、而先欺君也。武仲出奔而猶求立後於其故邑。時人皆謂武仲此事非要。孔子據其理是要。故云、雖曰不要、吾不信也。是不信時人不要之言也。袁氏云、奔不越境。而據私邑求立先人之後。此正要君也)とある。また『注疏』に「実は是れ君を要するものなるを言う」(言實是要君)とある。また『集注』に「以て若し請を得ざれば、則ち将に邑に拠りて以てそむかんとするを示す。是れ君を要するなり」(以示若不得請、則將據邑以叛。是要君也)とある。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「君を要する者は上をみす。罪の大いなる者なり。武仲の邑、之を君に受け、罪を得て出奔すれば、則ち後を立つるは君に在り、己の専らにするを得る所に非ざるなり。而して邑に拠りて以て請うは、其の知を好みて学を好まざるに由るなり」(要君者無上。罪之大者也。武仲之邑、受之於君、得罪出奔、則立後在君、非己所得專也。而據邑以請、由其好知而不好學也)とある。
  • 『集注』に引く楊時の注に「武仲は辞を卑しくして後を請う。其の跡は君を要する者に非ず。而れども意は実に之を要す。夫子の言は、亦た春秋の意をちゅうするの法なり」(武仲卑辭請後。其跡非要君者。而意實要之。夫子之言、亦春秋誅意之法也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「ちょくどうは、聖人の深くくみする所なり。而して其の跡直に似て、其の心実に直ならざる者は、是れおうきょく太甚はなはだしき者、聖人の之をそし所以ゆえんなり」(直道者、聖人之所深與也。而其跡似直、而其心實不直者、是枉曲之太甚者、聖人之所以譏之也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「求為後於魯、為は猶お立のごときなり。仁斎此の章を解し、不直を以て之を非とす。是れちょく不直のいいならんや。倫を知らずと謂う可きのみ」(求爲後於魯。爲猶立也。仁齋解此章。以不直非之。是豈直不直之謂乎。可謂不知倫已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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