憲問第十四 11 子曰貧而無怨難章
343(14-11)
子曰、貧而無怨難、富而無驕易。
子曰、貧而無怨難、富而無驕易。
子曰く、貧にして怨むこと無きは難く、富みて驕ること無きは易し。
現代語訳
- 先生 ――「貧乏に不平をいわないのは、むつかしい。金持ちで高ぶらないには、やさしい。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「生活に困ると、とかく人を怨む心を生ずるものだから、貧困でも天命に安んじて怨みがましいことのないのは、すこぶるむずかしいことじゃ。それにくらべると、富んでもおごらぬということは、少しく真理をわきまえた者にはやさしいことなのだが、しかしそのやさしいことすらできぬ者が多いのだから、お前達は、その難きをつとめ、その易きをゆるがせにせぬようにせよ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「貧乏でも怨みがましくならないということは、めったな人にできることではない。それに比べると、富んでおごらないということはたやすいことだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 貧而 … 「貧しくして」と読んでもよい。貧乏であるのに。「而」は「~して」「~て」と直前の語に続けて読む。「~でありながら」「~であるのに」と訳す。
- 怨 … 天を恨み、人を恨む。恨み言をいう。愚痴をこぼす。
- 驕 … おごり高ぶる。また、おごり高ぶってほしいままな行いをする。
補説
- 『注疏』に「此の章の言うこころは人の貧乏なるは怨恨する所多くして、怨むこと無きを難しと為す」(此章言人之貧乏多所怨恨、而無怨爲難)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 『集解』には、この章の注なし。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子曰、貧而無怨難 … 『義疏』に「貧交は飢寒に困しむ。所以に怨むこと有り。若し能く怨むこと無きは、則ち難しと為す。江熙云う、顔原怨むこと無し。及ぶ可からざるなり、と」(貧交困於飢寒。所以有怨。若能無怨者、則爲難矣。江熙云、顏原無怨。不可及也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 富而無驕易 … 『義疏』に「富貴豊足し、応に怨むべき所無し。然れども応に驕ること無かるべきは、則ち易しと為すなり。江熙云う、若し子貢驕らずんば、猶お能くす可きなり、と」(富貴豐足、無所應怨。然應無驕、則爲易也。江熙云、若子貢不驕、猶可能也)とある。また『注疏』に「人若し豊富とならば、好みて驕逸を生ずるも、而も驕ること無きを易しと為す」(人若豐富、好生驕逸、而無驕爲易)とある。
- 『集注』に「貧に処るは難く、富に処るは易きは、人の常情なり。然れども人当に其の難きを勉むべくして其の易きを忽にす可からざるなり」(處貧難、處富易、人之常情。然人當勉其難而不可忽其易也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「然れども此れ夫子常人の貧富に処する上に就きて論ず。学者の工夫の若きは、前に子貢に告げし者之に尽くせり」(然此夫子就常人處貧富上論。若學者工夫、前告子貢者盡之矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』では次章と合わせて一つの章とし、「子曰く、貧しくして怨むこと無からしむるは難く、富みて驕ること無からしむるは易し、是れ孔子答うるなり。何となれば、貴賤を以て心と為す者は、君子の事なり。……貧富を以て心と為す者は、小人の事なり。……大氐貧しけれども怨むること無きは、吾れ其の人を見る。富めども驕ること無きも、吾れ亦た其の人を見る。皆世の多く有る所なり。孔子何ぞ必ずしも此れを以て学者を教えんや」(子曰、貧而無怨難、富而無驕易、是孔子答也。何則、以貴賤爲心者、君子之事也。……以貧富爲心者、小人之事也。……大氐貧而無怨、吾見其人。富而無驕、吾亦見其人。皆世所多有也。孔子何必以此教學者乎)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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