憲問第十四 7 子曰君子而不仁者有矣夫章
339(14-07)
子曰、君子而不仁者有矣夫。未有小人而仁者也。
子曰、君子而不仁者有矣夫。未有小人而仁者也。
子曰く、君子にして仁ならざる者有らんか。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
現代語訳
- 先生 ――「人物でも人間味のないのは、あるだろうな。だが俗物で人間味のあるのはないさ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「君子は常に仁を志すが、まだ聖人のごとく円満具足の域に達してはいないから、時には知らず識らず不仁に陥る者があるかも知れない。しかし小人は元来が仁に志さぬのだから、仁者であり得るはずがない。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「道に志す君子にも不仁なものがないとはいえない。しかし道を求めない小人はすべて不仁だ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 君子・小人 … 一般的に、君子は徳の高い立派な人、小人は人格が低くてつまらない人、の意。
- 仁 … 仁徳。思いやり。人間味のあること。
- 有矣夫 … 「有るかな」「有らんか」と読み、「あることよ」「あるかも知れない」「あるだろうなあ」等と訳す。
- 矣夫 … 「(なる)かな」と読み、「~だなあ」「~であることよ」と訳す。感嘆の意を示す。「矣」「矣哉」「矣乎」も同じ。
- 未有~也 … 「いまだ(~は)あらざるなり」と読み、「(~が)まだあったことがない」と訳す。
補説
- 『注疏』に「此の章は仁道の備え難きを言うなり」(此章言仁道難備也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子曰、君子而不仁者有矣夫 … 『集解』に引く孔安国の注に「君子と曰うと雖も、猶お未だ備うること能わざるなり」(雖曰君子、猶未能備也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此れ賢人已下、不仁の君子を謂うなり。未だ能く円足せざれば、時に不仁有り。管氏に三帰有り、官の事は摂ねざるが如し。後には則ち天下を一匡すること九にして諸侯に覇たらしむ、是れ長なり。袁氏云う、此の君子は定まる名無きなり。仁を利として仁を為すことを慕う者は、尽くに仁を体すること能わず、時に不仁の一迹有るなり、と。夫は、語助なり」(此謂賢人已下、不仁之君子也。未能圓足、時有不仁。如管氏有三歸、官事不攝。後則一匡天下九覇諸侯、是長也。袁氏云、此君子無定名也。利仁慕爲仁者、不能盡體仁、時有不仁一迹也。夫、語助也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「君子と曰うと雖も、猶お未だ備うること能わずして、時有りて不仁なり。管仲の諸侯を九合するに、兵車を以てせざるが若きは、仁と謂う可し。而るに簋に鏤め朱の紘あり、節を山にし梲に藻するは、是れ不仁なり」(雖曰君子、猶未能備、而有時不仁也。若管仲九合諸侯、不以兵車、可謂仁矣。而鏤簋朱紘、山節藻梲、是不仁也)とある。また『集注』に引く謝良佐の注に「君子は仁に志す。然れども毫忽の間、心焉に在らざれば、則ち未だ不仁たることを免れざるなり」(君子志於仁矣。然毫忽之間、心不在焉、則未免爲不仁也)とある。毫忽は、わずか。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 未有小人而仁者也 … 『義疏』に「小人併びに悪事を為す。未だ民善く仁道に達するを行うこと有る能わず。故に云う、未だ小人にして仁なる者有らざるなり、と。又た袁氏曰く、小人の性仁道に及ばず。故に仁事に及ぶ能わざる者なり、と。王弼云う、君子を仮りて甚だ小人の辞を以てするを謂う。君子は仁ならざること無きなり、と」(小人併爲惡事。未能有行民善達於仁道。故云、未有小人而仁者也。又袁氏曰、小人性不及仁道。故不能及仁事者也。王弼云、謂假君子以甚小人之辭。君子無不仁也)とある。また『注疏』に「小人の性は仁道に及ばず、故に未だ仁なる者有らず」(小人性不及仁道、故未有仁者)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「君子の仁ならざるは、人を愛するの心有りと雖も、人を愛するの実無しと謂うなり。……孔子臧文仲六関を廃し、子産刑書を鋳して以て、仁ならずと為すは是れのみ」(君子之不仁、謂雖有愛人之心、而無愛人之實也。……孔子以臧文仲廢六關、子產鑄刑書、爲不仁是已)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』には、この章の注なし。
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