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子路第十三 8 子謂衞公子荊章

310(13-08)
子謂衞公子荊。善居室。始有曰、苟合矣。少有曰、苟完矣。富有曰、苟美矣。
えいこうけいう。しつる。はじるにいわく、いささあつまる。すこしくるにいわく、いささまったし。さかんにるにいわく、いささし。
現代語訳
  • 先生は衛の国の若殿の荊(ケイ)を、家持ちがよいとほめた ―― 「物はわずかでも、『まあまにあった』という。すこしふえると、『これでそろった』という。多いだけなのに、『これならみごとだ』という。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様が衛のたいけいを評しておっしゃるよう、「かれは住み方を心得ている。はじめ家財道具がはいったときに、『相当間に合います。』と言った。すこし整ったときに、『だいたいそろいました。』と言った。十分に出来上がったときに、『ずいぶんけっこうです。』と言った。常に足ることを知る心がまえが、まことに奥ゆかしい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 衛の公子けいのことについて、先師がいわれた。――
    「あの人は家庭経済をよく心得て、おごらなかった人だ。はじめ型ばかりの家財があった時に、どうやらまにあいそうだといい、少し家財がふえると、どうやらこれで十分だといい、足りないものがないようになると、いささか華美になりすぎたといった」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 衛 … 周代の諸侯国。殷が滅びたあと、周の武王が弟のこうしゅくを封じた。現在の河北省と河南省にまたがった地域にあった。ウィキペディア【】参照。
  • 公子荊 … 衛の大夫。詳細は不明。
  • 謂 … 批評する。
  • 居室 … 家を治めること。「室」は、家。
  • 有 … 家財があること。
  • 苟 … ここでは「いささか」と読み、「まあどうにか」と訳す。
  • 合 … 集まる。間に合う。
  • 完 … 完備する。揃う。
  • 美 … 立派になる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子衛の公子荊に君子の徳有るをしょうするなり」(此章孔子稱謂衞公子荊有君子之德也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 謂衛公子荊 … 『集解』に引く王粛の注に「荊と蘧瑗きょえんしゅうとは、並びに君子たり」(荊與蘧瑗史鰌、竝爲君子也)とある。蘧瑗は、蘧伯玉。史鰌は、史魚。ともに衛国の大夫。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「衛の公子荊、是れ衛の家の公子なり。諸侯の庶子、並びに公子と称す」(衞公子荊、是衞家公子也。諸侯之庶子、竝稱公子)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「公子荊は、衛の大夫なり」(公子荊、衞大夫)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 善居室 … 『義疏』に「其の家に居りて能く治め、奢侈と為らず。故に曰く、善く室に居るなり、と」(居其家能治、不爲奢侈。故曰、善居室也)とある。また『注疏』に「家に居りておさむるを言うなり」(言居家理也)とある。
  • 始有曰、苟合矣 … 『義疏』に「此れは是れ善く室に居るの事なり。始めて有るは、居を為し初めて財帛有る時を謂うなり。曰く、猶お云うのごときなり。苟は、苟且かりそめなり。苟且は、本意に非ざるなり。時に人皆無にして有りと為し、虚しくして盈つと為し、奢華実に過ぐ。子荊初め財帛有り。敢つて己の才力の招く所と言わず。但だ云う、是れ苟且にして遇合するのみ、と」(此是善居室之事。始有、謂爲居初有財帛時也。曰、猶云也。苟、苟且也。苟且、非本意也。于時人皆無而爲有、虚而爲盈、奢華過實。子荊初有財帛。不敢言己才力所招。但云、是苟且遇合而已)とある。また『注疏』に「家に始めて富むこと有るも、己の才能の致す所なるを言わず、但だ苟且かりそめに聚合すと曰うのみ」(家始富有、不言己才能所致、但曰苟且聚合也)とある。また『集注』に「苟は、りょうしょ粗略の意。合は、聚なり」(苟、聊且粗畧之意。合、聚也)とある。
  • 少有曰、苟完矣 … 『義疏』に「少しく有るは、更に復た多少始め有る時に勝るを謂うなり。既に少しく前の始め有るに勝る。但だ云う、苟且かりそめに自ら全完を得たるのみ。敢えて久しく富貴と為らんことを欲すと言わざるなり、と」(少有、謂更復多少勝於始有時也。既少勝於前始有。但云、苟且得自全完而已。不敢言欲爲久富貴也)とある。また『注疏』に「又た少しく増多すること有るも、但だ苟且に完全なりと曰うのみ」(又少有增多、但曰苟且完全矣)とある。また『集注』に「完は、備わるなり」(完、備也)とある。
  • 富有曰、苟美矣 … 『義疏』に「富みて有すは、家道遂に大いに富める時を謂うなり。亦た云う、苟且に美を為すは、是れ性の欲する所に非ず。故に云う、苟か美なり、と」(富有、謂家道遂大富時也。亦云、苟且爲美、非是性之所欲。故云、苟美矣)とある。また『注疏』に「富むこと大いに備わる有るも、但だ苟且に此の富むことの美有りと曰うのみ。終にたいの心無きなり」(富有大備、但曰苟且有此富美耳。終無泰侈之心也)とある。また『集注』に「言うこころは其の序にしたがいて節有り、速やかならんと欲し美を尽くすを以て其の心を累わされず」(言其循序而有節、不以欲速盡美累其心)とある。
  • 『集注』に引く楊時の注に「務めて全美を為せば、則ち物に累わされてきょうりんの心生ず。公子荊は皆いささかと曰うのみは、則ち外物を以て心と為さず、其の欲足り易きが故なり」(務爲全美、則累物而驕吝之心生。公子荊皆曰苟而已、則不以外物爲心、其欲易足故也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ夫子公子荊を称して、以て室に居るの道を示すなり」(此夫子稱公子荊、以示居室之道也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「善く室に居る、居とは、貨を居くの居の如し。……有とは、之を貯え有するを謂うなり。……孔子のよみする所は、にわかにせざるに在りて欲せざるに在らず。朱子欲せずというを以て解を為す。大氐たいてい後儒は義利の弁はなはだ過ぐるのみ」(善居室、居者、如居貨之居。……有者、謂貯有之也。……孔子所善、在不遽而不在不欲。朱子以不欲爲解。大氐後儒義利之辨太過耳)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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