郷党第十 17 升車必正立執綏章
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升車、必正立執綏。車中不内顧、不疾言、不親指。
升車、必正立執綏。車中不内顧、不疾言、不親指。
車に升るときは、必ず正しく立ちて綏を執る。車の中にては内顧せず、疾言せず、親指せず。
現代語訳
- 車に乗るには、足もとをしっかりし、ツナにつかまる。乗ってからは、うしろを見ず、セカセカものをいわず、指さしをしない。(魚返善雄『論語新訳』)
- 車に乗るときには、真っ直ぐに立って車の吊革を握り、踏みはずしたりつまずいたりせぬよう、ユックリと落ちついて乗る。車の中では、あちこち振り向いたり、高声早口で物を言ったり、ゆびさしたりしない。(穂積重遠『新訳論語』)
- 車に乗られる時には、必ず正しく立って車の吊り紐を握り、座席につかれる。車内では左右を見まわしたり、あわただしい口のきき方をしたり、手をあげて指ざしたりされることがない。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 升 … 乗る。
- 正立 … 「正立して」と読んでもよい。正しく立つ。
- 綏 … 車に乗るときにつかまる紐。垂れ紐。
- 内顧 … 車の中を見回す。振り向く。
- 疾言 … 早口で言うこと。
- 親指 … 指さす。「親」は、みずから。
補説
- 『注疏』に「此れ孔子の乗車の礼を記するなり」(此記孔子乘車之禮也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 升車、必正立執綏 … 『集解』に引く周生烈の注に「必ず正しく立ちて綏を執るは、安きを為す所以なり」(必正立執綏、所以爲安也)とある。なお、底本では「升」を「舛」に作る。俗字。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子車に升る礼を謂うなり。綏は、牽きて以て車に上るときの縄なり。若し車に升る時は、則ち正しく立ちて綏を執り以て上る。安きを為す所以なり」(謂孔子升車禮也。綏、牽以上車之繩也。若升車時、則正立而執綏以上。所以爲安也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「綏とは、挽きて以て車に上るの索なり。言うこころは孔子車に升るの時、必ず正しく立ちて綏を執るは、安きを為す所以なり」(綏者、挽以上車之索也。言孔子升車之時、必正立執綏、所以爲安也)とある。また『集注』に「綏は、挽きて以て車に上るの索なり」(綏、挽以上車之索也)とある。索は、ひも。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に引く范祖禹の注に「正しく立ちて綏を執れば、則ち心体正しからざること無く、而して誠意粛恭なり。蓋し君子の荘敬、在らざる所無し。車に升れば則ち此に見わるるなり」(正立執綏、則心體無不正、而誠意肅恭矣。蓋君子莊敬、無所不在。升車則見於此也)とある。
- 車中不内顧 … 『集解』に引く包咸の注に「車中にあるときは内顧せずとは、前視して衡枙を過ぎず、傍視して輢轂を過ぎざるなり」(車中不内顧者、前視不過衡枙、傍視不過輢轂也)とある。また『義疏』に「内は、猶お後のごときなり。顧は、頭を回らすなり。升りて車上に在るときは、頭を回らして後顧せざるなり。然る所以の者は、後人己に従いて、常には正しくする能わざること有り。若し転た顧みて之を見れば、則ち人の私に備わらざるを掩う、大徳の為す所に非ず、故に為さざるなり。衛瓘曰く、人の備わらざるを掩わざるなり、と」(内、猶後也。顧、回頭也。升在車上、不回頭後顧也。所以然者、後人從己、有不能常正。若轉顧見之、則掩人私不備、非大德之所爲、故不爲也。衞瓘曰、不掩人之不備也)とある。また『注疏』に「顧は、迴視を謂うなり。言うこころは孔子車中に在りて内を郷きて迴顧せざるは、人の私を掩うなり」(顧、謂迴視也。言孔子在車中不郷内迴顧、掩人之私也)とある。また『集注』に「内顧は、回視なり。礼(記)に曰く、顧みること轂を過ぎず、と。三者皆容を失し、且つ人を惑わす」(内顧、回視也。禮曰、顧不過轂。三者皆失容、且惑人)とある。
- 不疾言 … 『義疏』に「疾は、高急なり。車上に在りては、言高じ易し。故に疾言せず。人を驚かすを為せばなり。故に繆協曰く、車行すれば、則ち言うこと疾きを傷むなり、と」(疾、高急也。在車上、言易高。故不疾言。爲驚於人也。故繆協曰、車行、則言傷疾也)とある。また『注疏』に「亦た車中に在る時を謂うなり。疾は、急なり。車中は既に高きを以て、故に疾言せず」(亦謂在車中時也。疾、急也。以車中既高、故不疾言)とある。
- 不親指 … 『義疏』に「車上既に高し。亦た手もて親しく指点する所有るを得ず。下の人を惑わすを為せばなり」(車上旣高。亦不得手有所親指點。爲惑下人也)とある。また『注疏』に「親しく指さす所有らざるは、皆人を惑わすが為なり」(不親有所指、皆爲惑人也)とある。
- 『集注』に「此の一節は、孔子の車に升るの容を記す」(此一節、記孔子升車之容)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』はこの章を第十四章とし、「右は孔子車に升るの容を記す」(右記孔子升車之容)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「曲礼に曰く、国君は奇車に乗ぜず。車上にして広欬せず、妄指せず。立てば五嶲を視る。式するときは馬の尾を視る。顧みること轂に過ぎず、と。此と正しく同じ。又た曰く、城に登って指ささず、城上にしては呼ばわず、と。頗る相似たり」(曲禮曰、國君不乘奇車。車上不廣欬、不妄指。立視五嶲。式視馬尾。顧不過轂。與此正同。又曰、登城不指、城上不呼。頗相似也)とある。広欬は、大きな咳払い。五嶲は、十六歩半(先の前方)。一嶲は、車輪一回転の長さ。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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