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郷党第十 1 孔子於郷黨章

236(10-01)
孔子於鄉黨、恂恂如也。似不能言者。其在宗廟朝廷、便便言。唯謹爾。
こうきょうとういては、恂恂じゅんじゅんじょたり。うことあたわざるものたり。そうびょうちょうているや、便便べんべんとしてう。つつしめるのみ。
現代語訳
  • 孔先生は郷里では、ただもうおとなしくて、口もきけないようだった。だがお宮や御殿では、ハキハキものをいい、ただつつしみがあった。(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様が郷里家庭におられるときには、恭順きょうじゅん質朴しつぼくなご様子で、ロクロク口もきき得ないように見える。たいびょうや朝廷ではスラスラと物を言われる。ただ言語態度をつつしまれることはもちろんだ。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 孔先生は、自宅に引きこもっておいでの時には、単純素樸なご態度で、お話などまるでおできにならないかのように見える。ところが、宗廟や朝廷においでになると、いうべきことは堂々といわれる。ただ慎みだけは決してお忘れにならない。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 郷党 … 郷里。「党」は、五百軒の集落。「郷」は、党が二十五集まったもので、一万二千五百軒。
  • 恂恂如 … おだやかでうやうやしいさま。恭順実直なさま。「如」は、「~という様子」の意。
  • 似不能言者 … まるで口がきけないような様子であった。「似~者」は、「~する者に似たり」と読み、「まるで~(の様子)のようだ」と訳す。「似」は、「ごとし」に同じ。
  • 其 … 孔子を指す。
  • 宗廟 … 祖先の位牌をまつるみたまや。
  • 朝廷 … 君主が政務をとる所。
  • 便便 … すらすらと話すさま。ハキハキと話すさま。
  • 唯 … ただ。ひたすら。
  • 謹爾 … 謹厳慎重であった。「のみ」は、句末におかれ語調を強める。
補説
  • 郷党第十 … 『集解』に「凡そ一章」(凡一章)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「郷党とは、孔子の教訓、郷党に在るの時を明らかにするなり。所以に前者に次ぐ。既に朝廷感ずること希なり。故に退還して郷党に応ずるなり。故に郷党は子罕に次ぐなり」(鄉黨者、明孔子教訓在於鄉黨之時也。所以次前者。既朝廷感希。故退還應於鄉黨也。故鄉黨次於子罕也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「此の篇は唯だ孔子の魯国の郷党中に在りて言行を記するのみ。故に之を分かちて以て前篇に次するなり。此の篇は一章と曰うと雖も、其の間の事義も亦た類を以て相従う。今各〻文に依りて之を解す」(此篇唯記孔子在魯國郷黨中言行。故分之以次前篇也。此篇雖曰一章、其間事義亦以類相從。今各依文解之)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に引く楊時の注に「聖人の所謂道とは、日用の間を離れざるなり。故に夫子の平日、一動一静、門人皆つまびらかに視て詳らかに之を記す」(聖人之所謂道者、不離乎日用之間也。故夫子之平日、一動一静、門人皆審視而詳記之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に引く尹焞の注に「甚だしきかな孔門諸子の学をたしなめるや。聖人の容色言動、謹みて書してつぶさに之を録し、以て後世にのこさざる無し。今其の書を読み、其の事に即けば、宛然えんぜんとして聖人の目に在るが如きなり。然りと雖も、聖人豈に拘拘として之を為す者ならんや。蓋し盛徳の至れる、動容周旋、自ずから礼にあたれるのみ。学者心を聖人にひそめんと欲せば、宜しく此に於いて求むべし」(甚矣孔門諸子之嗜學也。於聖人之容色言動、無不謹書而備録之、以貽後世。今讀其書、即其事、宛然如聖人之在目也。雖然、聖人豈拘拘而爲之者哉。蓋盛德之至、動容周旋、自中乎禮耳。學者欲濳心於聖人、宜於此求焉)とある。また『集注』に「旧説は凡そ一章、今分かちて十七節と為す」(舊説凡一章、今分爲十七節)とある。
  • 『注疏』では次章と合わせて一つの章とし、「此の一節は言語及び趨朝の礼容を記するなり」(此一節記言語及趨朝之禮容也)とある。
  • 孔子於郷党 … 『義疏』に「此の一篇は、末に至るまで並びに孔子の平生の徳行を記すなり。郷党に於いてはは、孔子家に還り郷党中を教化する時を謂うなり。天子の郊内に郷党有り、郊外に遂鄙有り。孔子魯に居る。魯は是れ諸侯なり。今、郷党と云う。当に諸侯も亦た郊内を郷と為し、郊外を遂と為すを知るべきなり。孔子の家当に魯の郊内に在るべし。故に云う、郷党に於いては、と」(此一篇、至末並記孔子平生德行也。於郷黨、謂孔子還家教化於郷黨中時也。天子郊内有郷黨、郊外有遂鄙。孔子居魯。魯是諸侯。今云郷黨。當知諸侯亦郊内爲郷、郊外爲遂也。孔子家當在魯郊内。故云、於郷黨也)とある。また『集注』に「郷党は、父兄宗族の在る所、故に孔子之に居れば、其の容貌辞気此くの如し」(郷黨、父兄宗族之所在、故孔子居之、其容貌辭氣如此)とある。
  • 恂恂如也 … 『集解』に引く王粛の注に「恂恂は、温恭のかたちなり」(恂恂、温恭貌也)とある。また『義疏』に「恂恂は、温恭の貌。既に郷党に還り、郷党は宜しく須らく和恭にして以て相まじわる。故に恂恂如たるなり」(恂恂、溫恭貌。旣還郷黨、郷黨宜須和恭以相接。故恂恂如也)とある。また『注疏』に「恂恂は、温恭の貌なり」(恂恂、温恭之貌)とある。また『集注』に「恂恂は、信実の貌」(恂恂、信實之貌)とある。
  • 似不能言者 … 『義疏』に「既に其れ温恭にして、則ち言語寡少なり。故に一たび往きて之を観れば、言うこと能わざる者に似たるが如きなり」(既其温恭、則言語寡少。故一往觀之、如似不能言者也)とある。また『注疏』に「言うこころは孔子郷党の中に在りて、故旧と相接するときは、常に温和にして恭敬、恂恂然たること言語すること能わざる者に似たるが如し。其の謙恭の甚だしきをうなり。凡そ如也と言うは、皆此の義の如きを謂うなり」(言孔子在於郷黨中、與故舊相接、常温和恭敬、恂恂然如似不能言語者。道其謙恭之甚也。凡言如也者、皆謂如此義也)とある。また『集注』に「言うこと能わざる者に似るは、謙卑遜順にして、賢知を以て人に先んぜざるなり」(似不能言者、謙卑遜順、不以賢知先人也)とある。
  • 其在宗廟朝廷、便便言。唯謹爾 … 『集解』に引く鄭玄の注に「便便は、弁の貌なり。弁なりと雖も、而れども謹敬なり」(便便、辨貌也。雖辨、而謹敬也)とある。また『義疏』に「孔子、君の祭を助け、宗廟及び朝廷に在るを謂うなり。既に君の朝に在りて、応に須らく酬答すべし。大廟に入るに及んでは、事毎に須らく問うべし。並びに言わざるを得ざるなり。言須らく流哽すべし。故に云う、便便として言う、と。言流哽すと雖も、而れども必ず謹敬なり。故に云う、唯だ謹めるのみ、と」(謂孔子助君祭、在宗廟及朝廷也。既在君朝應須酬答。及入大廟、毎事須問。竝不得不言也。言須流哽。故云、便便言也。言雖流哽、而必謹敬。故云、唯謹爾也)とある。また『注疏』に「便便は、弁なり。宗廟は、礼を行うの処、朝廷は、政を布くの所なり。当に詳問・極言すべし、故に弁治するなり。弁ずと雖も唯だ謹敬するのみ」(便便、辨也。宗廟、行禮之處、朝廷、布政之所。當詳問極言、故辨治也。雖辨而唯謹敬)とある。また『集注』に「便便は、弁なり。宗廟は、礼法の在る所。朝廷は、政事のづる所。言うこころは以て明弁せざる可からず、故に必ず詳らかに問いて極めて之を言う。但だ謹みてほしいままにせざるのみ」(便便、辯也。宗廟、禮法之所在。朝廷、政事之所出。言不可以不明辯、故必詳問而極言之。但謹而不放爾)とある。
  • 『集注』に「此の一節、孔子の郷党、宗廟、朝廷に在りて、言貌の同じからざるを記す」(此一節、記孔子在郷黨宗廟朝廷、言貌之不同)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「古えは大事必ず之を廟に謀り、朝廷も亦た政事のづる所、故に必ず正言して極めて之を論ず、但だ謹みてほしいままにせざるのみ」(古者大事必謀之於廟、朝廷亦政事之所出、故必正言而極論之、但謹而不放爾)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「恂恂如たりは、王粛曰く、温恭の貌なり、と。以てくわうること莫し。朱註に、信実の貌と。此れ心を以て言う、外貌を以てするの勝れるにかず。……今人きんじん多くは祭祀を以て礼法を釈す、豈にだ祭祀のみならんや。下文の聘礼へいれいの如きも、亦た之を廟に行う。他邦の賓は、皆廟に接す。凡そ礼はこれを廟に行う者多し。且つ祭祀は豈に言語を尚ばんや。皆礼を知らざるの失なり」(恂恂如、王肅曰、温恭貌。莫以尚焉。朱註、信實之貌。此以心言、不如以外貌之勝。……今人多以祭祀釋禮法、豈翅祭祀乎。如下文聘禮、亦行之於廟。他邦之賓、皆接於廟。凡禮多行諸廟者。且祭祀豈尚言語乎。皆不知禮之失也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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