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子罕第九 27 子曰歳寒章

232(09-27)
子曰、歲寒、然後知松柏之後彫也。
いわく、としさむくして、しかのちしょうはくしぼむにおくるるをるなり。
現代語訳
  • 先生 ――「寒さがきて、ようやく松やヒノキの根づよさがわかるね。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「厳寒の候、ほかの木の葉がしぼみ落ちる時になってはじめて松やカヤのみどり色かえぬときわ木たることがわかる。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「寒さに向うと、松柏の常盤木であることがよくわかる。ふだんはどの木も一様に青い色をしているが」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 歳寒 … 寒い季節になって。逆境や乱世に喩えている。古注では「寒さの厳しい年」と解釈している。
  • 然後 … 「しかるのち」と読み、「そうしたあとで」と訳す。
  • 松柏 … 松と、このがしわ。常緑樹。節操のある立派な人に喩える。ウィキペディア【コノテガシワ】参照。「柏」は「栢」に作るテキストもある。異体字。
  • 後彫 … 他の樹木は枯れしぼむのに、松柏だけは枯れずに、緑の葉を残している。「彫」は「しぼむ」と読む。「ちょう」の字に当てている。葉が枯れて散ること。「後」は「のちに枯れる」の意ではなく、「枯れずに後まで残っている」の意。君子が節操を守ることに喩える。新注では「松柏もしぼみはするが、しぼみ方が少ない」と解釈している。
補説
  • 『注疏』に「此の章は君子を喩うるなり」(此章喩君子也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 歳寒、然後知松柏之後彫也 … 『集解』の何晏の注に「大寒の歳は、衆木皆死して、然るのちに松柏のすこしくしぼいたむを知る。平歳には則ち衆木も亦た死せざる者有り。故に歳の寒きをちて後に之を別つ。凡そ人治世にりて、亦た能く自ら修整して、君子と同じくす。濁世に在りて、然る後に君子の正しくして苟容こうようせざるを知るを喩うるなり」(大寒之歲、衆木皆死、然後知松栢之小凋傷。平歲則衆木亦有不死者。故須歲寒而後別之。喩凡人處治世、亦能自修整、與君子同。在濁世、然後知君子之正不苟容也)とある。苟容は、人の気に入るように振る舞うこと。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此れ君子の徳性、小人と異なるを明らかにせんと欲するなり。故に松柏を以て君子にたぐいし、衆木は小人に偶す。言うこころは君子、小人若し聖世に同居せば、君子の性本と自ら善にして、小人教化に服従す。是れ君子、小人並びに悪を為さず。故に堯・舜の民、比屋して封ず可し。如し松柏と衆木と春夏に同処せしめば、松柏に心有り。故に木蓊鬱おううつたり。衆木は時に従いて、亦た其の茂美を尽くす者なり。若し無道の主に至らば、君子性をりて過無し。故に悪を為さず。而るに小人復た忌憚すること無し。即ち世の変改に随う。故に桀・紂の民は比屋して誅す可し。譬えば松柏、衆木ともに秋冬に在れば、松柏えだを改め葉を易えざれども、衆木は枯零して先ず尽くるが如し。而るに此に云う、歳寒くして然る後に松柏の彫むに後るるを知るとは、たとえば平叔の注の意の如きんば、若し平歳の寒の如きんば、衆木も猶おれざること有り、別つに致るに足らず。平世の小人の如し、亦た脩め飾りて変ぜざる者有り。唯だ大寒なる歳は、則ち衆木皆る。大乱には、則ち小人つぶさに悪し、故に云う、歳寒くして、と。又た云う、然して後に松栢の彫むに後るるを知るとは、後るるとは時を倶にするの目に非ず、彫むとは枯死するの名に非ず。言うこころは大寒の後に、松柏は形小しく彫み衰えて、心性猶お存す。君子の人の、積悪にそうして、ほか闇世にせまりて、迹をのがれ時に随わざることを得ざるが如し、是れ小しく彫むなり。而れども性猶お変ぜざること、松柏の如きなり。而るに琳公曰く、夫れ歳寒くして木を別ち、くるしみに遭うこと士を別つ。寒厳しく霜降りて、松柏の彫むに後るるを知る。凡木に異なることを謂うなり。乱世に遭い、小人自ずから変ず、君子は其の操を改めざるなり、と」(此欲明君子德性與小人異也。故以松柏匹於君子、衆木偶乎小人矣。言君子小人若同居聖世、君子性本自善小人服從教化。是君子小人竝不爲惡。故堯舜之民比屋可封。如松柏與衆木同處春夏、松柏有心。故木蓊鬱。衆木從時、亦盡其茂美者也。若至無道之主、君子秉性無過。故不爲惡。而小人無復忌憚。即隨世變改。故桀紂之民比屋可誅。譬如松柏衆木同在秋冬、松柏不改柯易葉、衆木枯零先盡。而此云、歳寒然後知松柏後彫者、就如平叔之注意、若如平歳之寒、衆木猶有不死、不足致別。如平世之小人、亦有脩飾而不變者。唯大寒歳、則衆木皆死。大亂、則小人悉惡、故云歳寒也。又云然後知松栢後彫者、後非倶時之目、彫非枯死之名。言大寒之後、松柏形小彫衰、而心性猶存。如君子之人、遭値積惡、外逼闇世、不得不遜迹隨時、是小彫矣。而性猶不變、如松柏也。而琳公曰、夫歳寒別木、遭困別士。寒嚴霜降、知松柏之後彫。謂異凡木也。遭亂世、小人自變、君子不改其操也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「大寒の歳は、衆木皆死して、然る後に松栢の彫み傷むことすくなきを知る。若し平歳ならば、則ち衆木も亦た死せざる者有り。故に歳の寒きをちて而る後に之を別かつ。凡そ人の治世に処するも、亦た能く自ら脩整するは、君子と同じきも、濁世に在りて、然る後に君子の正しくして苟くも容れざるを知るに喩うるなり」(大寒之歳、衆木皆死、然後知松栢小彫傷。若平歳、則衆木亦有不死者。故須歳寒而後別之。喩凡人處治世、亦能自脩整、與君子同、在濁世、然後知君子之正不苟容也)とある。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「小人の治世に在るや、或いは君子と異なること無し。惟だ利害に臨み、事変に遇い、然る後に君子の守る所を見る可きなり」(小人之在治世、或與君子無異。惟臨利害、遇事變、然後君子之所守可見也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「士窮すれば節義をあらわし、世乱れて忠臣を識る。学者の必ず徳にあまねきことを欲す」(士窮見節義、世亂識忠臣。欲學者必周於德)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ君子の平世に在る、或いは小人と異なること無し。惟だ利害に臨み、事変に遇いて、然る後に君子の守る所見る可きを言うなり。是に由りて之を観れば、君子の乱世に在る、賢者を待ちて、而る後に之を知らず、唯だ其の平世に在るにあたりて、自ら能く其の君子たるを知りて、而る後に之を明と謂うなり」(此言君子之在平世、或與小人無異。惟臨利害、遇事變、然後君子之所守可見也。由是觀之、君子之在亂世、不待賢者、而後知之、唯方其在平世、自能知其爲君子、而後謂之明也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「世主せいしゅ多く小人の使い易きをよろこんで、而うして君子は必ずしも人にまさらずと謂えり。故に孔子此の言有り」(世主多悦小人之易使、而謂君子不必勝人。故孔子有此言)とある。世主は、その時代の君主。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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