泰伯第八 3 曾子有疾章
187(08-03)
曾子有疾。召門弟子曰、啓予足、啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫、小子。
曾子有疾。召門弟子曰、啓予足、啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫、小子。
曾子、疾有り。門弟子を召して曰く、予が足を啓け、予が手を啓け。詩に云う、戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如しと。而今よりして後、吾免るるを知るかな、小子。
現代語訳
- 曽(ソウ)先生が死にぎわに、弟子たちをよんでいうのは ―― 「足を見ておくれ。手を見ておくれ。歌に、『おそれつつしみ、ふちべをあゆみ、うす氷ふみ』とある。これよりのちは、おそれもいらぬわ。諸君。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 曾子が病気危篤の時に、弟子たちを枕べに呼び集めて言うよう、「かけぶとんをとりのけて、私の手をあらためて見よ、私の足をしらべて見よ。かすりきず一つあるまいがな。深い淵のへりに立って落ち込むことをおそれるごとく、薄い氷を渡って割れはせぬかと心配するごとく、戦々兢々として言行を用心する、という古い詩があるが、私は父母から受けたこのからだをきずつけぬようにと後生大事に身を守ってきた。まずまず無疵であの世に行ける次第、今日はじめて責任解除じゃ。安心して死ねる。喜んでくれ、若人たちよ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 曾先生が病気の時に、門人たちを枕元に呼んでいわれた。――
「私の足を出して見るがいい。私の手を出して見るがいい。詩経に、
深淵にのぞむごと、
おののくこころ。
うす氷ふむがごと、
つつしむこころ。
とあるが、もう私も安心だ。永い間、おそれつつしんで、この身をけがさないように、どうやら護りおおせてきたが、これで死ねば、もうその心労もなくなるだろう。ありがたいことだ。そうではないかね、みんな」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 曾子 … 姓は曾、名は参、字は子輿。魯の人。孔子より四十六歳年少の門人。『孝経』を著した。ウィキペディア【曾子】参照。
- 有疾 … ここでは病気が危篤のとき。
- 門弟子 … 曾子の門弟。弟子たち。門人たち。
- 啓 … 開く。開放する。「夜具を開く」の意もある。
- 詩 … 『詩経』小雅・小旻の詩句。ウィキソース「詩經/小旻」参照。
- 戦戦 … 恐れおののくさま。
- 兢兢 … つつしみ恐れるさま。
- 臨深淵 … 一歩間違えば、深い淵に墜落するのを恐れる。
- 履薄冰 … 薄い氷を踏んで、水中に陥るのを恐れる。
- 而今而後 … 今より以後。今後。「而今而後」とも読む。
- 吾知免夫 … 私はもう、そういう心配がなくなったなあ。「夫」は「かな」と読み、「~だなあ」と訳す。詠嘆の意を示す。
- 小子 … 諸君。お前たちよ。先生が門人に呼びかける言葉。
補説
- 『注疏』に「此の章は曾子の孝、敢えて毀傷せざるを言うなり」(此章言曾子之孝、不敢毀傷也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 曾子 … 『孔子家語』七十二弟子解に「曾参は南武城の人、字は子輿。孔子より少きこと四十六歳。志孝道に存す。故に孔子之に因りて以て孝経を作る」(曾參南武城人、字子輿。少孔子四十六歳。志存孝道。故孔子因之以作孝經)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「曾参は南武城の人。字は子輿。孔子より少きこと四十六歳。孔子以為えらく能く孝道に通ずと。故に之に業を授け、孝経を作る。魯に死せり」(曾參南武城人。字子輿。少孔子四十六歳。孔子以爲能通孝道。故授之業、作孝經。死於魯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 曾子有疾。召門弟子曰、啓予足、啓予手 … 『集解』に引く鄭玄の注に「啓は、開なり。曾子以為えらく、身体を父母に受け、敢えて之を毁傷せずと。故に弟子をして衾を開きて之を視せしむなり」(啓、開也。曾子以爲、受身體於父母、不敢毁傷之。故使弟子開衾而視之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「啓は、開なり。予は、我なり。孔子昔、孝経を曾子に授けて曰く、身体髪膚之を父母に受く。敢えて毁傷せざれ、と。曾子禀受死に至るまで忘れず。故に疾病して臨終の日、己の門徒弟子を召し、開衾して我が手足の毁傷するや不やを視しむ。亦た父母全くして己を生み、己も亦た全くして之に帰すを示すなり。足を先にし手を後にす。手は近く足は遠し。急を示すに遠くよりして視るなり」(啓、開也。予、我也。孔子昔授孝經於曾子曰、身體髮膚受之父母。不敢毁傷。曾子禀受至死不忘。故疾病臨終日、召己門徒弟子、令開衾視我手足毁傷與不。亦示父母全而生己、己亦全而歸之也。先足後手。手近足遠。示急從遠而視也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「啓は、開なり。曾子以為えらく身体を父母に受け、敢えて毀傷せず、と。故に疾有りて死せんとするを恐れ、其の門弟子を召し、衾を開きて之を視しめて、以て毀傷する無きを明らかにするなり」(啓、開也。曾子以爲受身體於父母、不敢毀傷。故有疾恐死、召其門弟子、使開衾而視之、以明無毀傷也)とある。また『集注』に「啓は、開なり。曾子平日以為えらく、身体父母に受け、敢えて毁傷せず、と。故に此に於いて弟子をして其の衾を開きて之を視しむ」(啓、開也。曾子平日以爲、身體受於父母、不敢毁傷。故於此使弟子開其衾而視之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 啓 … 劉宝楠『論語正義』では「啓」は「䁈」の誤りで、「見る」の意であると言っている。
- 詩云、戦戦兢兢、如臨深淵、如履薄氷 … 『集解』に引く孔安国の注に「此の詩を言う者は、己常に誡慎して、毁傷する所有らんことを恐るるに喩うるなり」(言此詩者、喩己常誡愼、恐有所毁傷也)とある。また『義疏』に「既に開衾せしむ。又た詩を引いて、己の平生敬慎畏懼して、毁傷の心有るを証するなり。戦戦は、恐懼、兢兢は、戒慎するなり。深淵に臨むが如しは、墜つるを恐るるなり。薄氷を履むが如しは、陥るを恐るるなり。夫れ人高巌の頂に於いて、万丈の深淵を俯臨すれば、必ず恐懼寒心す。恒に墜落せんことを畏るるなり。氷の厚き者も猶お履む可からず。況んや薄氷の上を跪行するをや。孰か身を斂め戒慎して陥るを恐れざらんや。言うこころは我平生身体を畏れ慎むの心、人の深薄に臨履するが如きなり」(既令開衾。又引詩、證己平生敬愼畏懼、有毁傷之心也。戰戰、恐懼、兢兢、戒愼也。如臨深淵、恐墜也。如履薄冰、恐陷也。夫人於高巖之頂、俯臨萬丈之深淵、必恐懼寒心。恆畏墜落也。冰之厚者猶不可履。況跪行薄冰之上。孰不斂身戒愼恐陷乎。言我平生畏愼身體之心、如人之臨履深薄也)とある。また『注疏』に「小雅・小旻篇の文なり。戦戦は恐懼、兢兢は戒慎、臨深は墜ちんことを恐れ、履薄は陥らんことを恐るるなり。曾子此の詩を言うは、己常に戒慎し、毀傷する所有るを恐るるに喩うるなり」(小雅小旻篇文也。戰戰恐懼、兢兢戒愼、臨深恐墜、履薄恐陷。曾子言此詩者、喩己常戒愼、恐有所毀傷也)とある。また『集注』に「詩は、小旻の篇。戦戦は、恐懼。兢兢は、戒謹。淵に臨めば、墜つるを恐れ、氷を履めば、陥るを恐るるなり。曾子其の保つ所の全きを以て門人に示して、其の之を保つ所以の難きを言うこと此くの如し」(詩、小旻之篇。戰戰、恐懼。兢兢、戒謹。臨淵、恐墜、履冰、恐陷也。曾子以其所保之全示門人、而言其所以保之之難如此)とある。
- 而今而後、吾知免夫、小子 … 『集解』に引く周生烈の注に「乃ち今日よりして後、我自ずから患難を免るるを知れり。小子は、弟子なり。呼ぶ者、其の言を聴き識らしめんと欲すればなり」(乃今日而後、我自知免於患難矣。小子、弟子也。呼者、欲使聽識其言也)とある。また『義疏』に「詩を引くこと既に竟わって、又た諸弟子に語るなり。而今は、今日なり。而後は、即ち今日の以後なり。免とは、毀傷に免るるなり。既に終わるに臨んで毀傷せざることを得、故に今日より以後、全く泉壌に帰して、毀傷の事を免るるを得ることを知るなり。小子は、諸弟子なり。曾子言うこと竟って諸弟子を呼び、之に語げて己の言を識らしむるなり」(引詩既竟、又語諸弟子也。而今、今日也。而後、即今日以後也。免、免毀傷也。既臨終而得不毀傷、故知自今日以後、全歸泉壤、得免毀傷之事也。小子、諸弟子也。曾子言竟而呼諸弟子、語之令識己言也)とある。また『注疏』に「小子は、弟子なり。言うこころは乃ち今日より後、自ら患難より免るるを知るなり。弟子を呼ぶは、其の言を聴き識らしめんと欲すればなり」(小子、弟子也。言乃今日後、自知免於患難矣。呼弟子者、欲使聽識其言也)とある。また『集注』に「将に死せんとするに至りて、而して後に其の毀傷を免るるを得るを知るなり。小子は、門人なり。語り畢わりて又た之を呼び、以て反復丁寧の意を致す。其の之を警むるや深し」(至於將死、而後知其得免於毀傷也。小子、門人也。語畢而又呼之、以致反復丁寧之意。其警之也深矣)とある。
- 『集注』に引く程頤の注に「君子は終と曰い、小人は死と曰う。君子其の身を保ちて以て没し、其の事を終うるが為なり。故に君子全くして帰すを以て免るると為す」(君子曰終、小人曰死。君子保其身以沒、爲終其事也。故君子以全歸爲免矣)とある。
- 『集注』に引く尹焞の注に「父母は全くして之を生み、子は全くして之を帰す。曾子終わるに臨みて手足を啓かしむるは、是が為の故なり。道を得ること有るに非ざれば、能く是くの如くならんや」(父母全而生之、子全而歸之。曾子臨終而啓手足、爲是故也。非有得於道、能如是乎)とある。
- 『集注』に引く范祖禹の注に「身体すら猶お虧く可からざるなり。況んや其の行いを虧き、以て其の親を辱むるをや」(身體猶不可虧也。况況虧其行、以辱其親乎)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「夫れ孝は親を愛するより大なるは莫し。親を愛するを知りて、而る後に能く其の心を体することを得。能く其の心を体して、而る後に能く其の身を愛することを知る。父母の子に於けるは、幼ければ則ち湯火の慮有り。壮なれば則ち門に倚るの望有り。一日も其の虧傷有るを恤えざること無し。曾子は能く父母の心を以て心と為す。故に終身遺体を奉持して戒謹恐懼すること此くの如し」(夫孝莫大於愛親。知愛親、而後得能體其心。能體其心、而後知能愛其身。父母之於子也、幼則有湯火之慮。壯則有倚門之望。無一日不恤其有虧傷也。曾子能以父母之心爲心。故終身奉持遺體戒謹恐懼如此)とある。湯火は、やけど。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「鄭玄曰く、啓は、開なり。曾子以為えらく身体を父母に受く、敢えて毁傷せずと。故に弟子をして衾を開いて之を視しむるなり、と。此れ孝経の文を引く。然れども孝経は本刑戮に免るることを謂うなり。身は劓と宮とを謂い、体は刖を謂い、髪は髠を謂い、膚は墨を謂う。故に身体髪膚の四字は、五刑を指して之を言う。古えの道は刑戮に免るることを以て先と為す。……後世の士君子、驁桀自ら高ぶり、志気狂せるが如し、乃ち此等の言を以て卑にして行うに足らずと為すなり。吾免るることを知るかなの免も、亦た刑戮に免るることを謂うなり。論語中の免の字は皆然り。曾子は無道の世に在り、故に此れを以て幸いと為す」(鄭玄曰、啓、開也。曾子以爲受身體於父母、不敢毁傷。故使弟子開衾而視之也。此引孝經之文。然孝經本謂免於刑戮也。身謂劓與宮、體謂刖、髮謂髠、膚謂墨。故身體髮膚四字、指五刑而言之。古之道以免於刑戮爲先。……後世士君子、驁桀自高、志氣如狂、乃以此等言爲卑不足行也。吾知免夫之免、亦謂免於刑戮也。論語中免字皆然。曾子在無道之世、故以此爲幸焉)とある。劓は、鼻切りの刑。宮は、去勢する刑。刖は、足切りの刑。髠は、髪をそり落とす刑。墨は、入れ墨の刑。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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