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述而第七 26 子釣而不綱章

173(07-26)
子釣而不綱。弋不射宿。
りしてこうせず。よくして宿しゅくず。
現代語訳
  • 先生は、サオ釣りだけでナワ釣りせず、飛ぶ鳥は射ても寝鳥は射ない。(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様は魚をとるに、つりはされたが、はえなわはつかわれなかった。また鳥をとるのに、ねとりを射ることをされなかった。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師は釣りはされたが、はえなわはつかわれなかった。また矢ぐるみで鳥をとられることはあったが、ねぐらの鳥を射たれることはなかった。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 釣 … 一本の釣竿。
  • 綱 … はえなわ。大綱に小綱をたくさん付け、その小綱に鉤針かぎばりを付けて流し、一度にたくさんの魚を釣り上げる。荻生徂徠は「恐らくは網の字の誤れるなり」(恐網字誤)と言っている。宮崎市定も「綱は恐らく網の誤りであろう」と言っている(『論語の新研究』233頁、原文は「綱」と「網」に傍点あり)。
  • 弋 … ぐるみ。細ひもを矢につけて、矢が当たれば飛ぶ鳥にそのひもが巻きつき、墜落するように仕掛けたもの。
  • 宿 … 宿鳥。ねぐらで寝ている鳥。
補説
  • 子釣而不綱 … 『集解』に引く孔安国の注に「釣とは、一竿いっかんの釣なり。綱とは、大網たり。以て流れを横絶し、しゃくを以て釣をつなげ、つらねて綱にぞくちゃくするなり」(釣者、一竿釣也。綱者、爲大網。以横絶流、以繳繫釣、羅屬著綱也)とある。属著は、つくこと。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「周・孔の教え、殺無きを得ず。是れ殺に因りて殺を止ましめんと欲す。故に同物に殺有るなり。釣とは、一竿の属、一鉤にして魚を取るなり。綱とは、大綱を作り、広水を横遮して、多鉤を羅列して之に著け、以て魚を取るなり。孔子は一竿を用いて釣りすれば、則ち一一魚を得ること、是れ少き所なり。若し横流に綱して取らば、則ち得る者多し。則ち孔子為さざる所なり。故に云う、子釣りして綱せず、と」(周孔之教、不得無殺。是欲因殺止殺。故同物有殺也。釣者、一竿屬、一鉤而取魚也。綱者、作大綱、横遮於廣水、而羅列多鉤著之、以取魚也。孔子用一竿而釣、則一一得魚、是所少也。若綱横流而取、則得者多。則孔子所不爲也。故云、子釣而不綱也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「綱は、大縄を以て網をけ、流れを絶ちて漁する者なり」(綱、以大繩屬網、絶流而漁者也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 弋不射宿 … 『集解』に引く孔安国の注に「よくは、しゃくしゃなり。宿は、宿鳥なり」(弋は、繳射也。宿、宿鳥也)とある。また『義疏』に「弋とは、繳射なり。北人皆多く繳射して鳥を取るなり。宿とは、夜栖宿するの鳥なり。孔子も亦た繳射す。唯だ白日に事を用いて、夜栖宿の鳥を射るに及ばざるなり。然る所以の者は、宿鳥夜聚まりて群有り。多きを得易し。故に之を射ざるなり。又た恐らくは夜宿を驚動するは、仁心忍びざるの所あらん」(弋者、繳射也。北人皆多繳射取鳥也。宿者、夜栖宿之鳥也。孔子亦繳射。唯白日用事、而不及夜射栖宿之鳥也。所以然者、宿鳥夜聚有群。易得多。故不射之也。又恐驚動夜宿、仁心所不忍也)とある。また『集注』に「弋は、生糸を以て矢につなぎて射るなり。宿は、宿鳥なり」(弋、以生絲繫矢而射也。宿、宿鳥)とある。
  • 『集注』に引く洪興祖の注に「孔子わかくして貧賤、養と祭との為に、或いは已むを得ずしてちょうよくす。りょうかくするが如きは是れなり。然れども物を尽くして之を取り、其の不意にずるも、亦た為さざるなり。此に仁人の本心を見る可し。物を待つこと此の如くなれば、人を待つこと知る可し。小なる者は此の如くなれば、大なる者知る可し」(孔子少貧賤、爲養與祭、或不得已而釣弋。如獵較是也。然盡物取之、出其不意、亦不爲也。此可見仁人之本心矣。待物如此、待人可知。小者如此、大者可知)とある。猟較は、狩りをして、その獲物の多寡を較べること。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、仁とは天下の大徳なり。義とは天下の大用なり。仁に非ざれば則ち万物育せず。義に非ざれば則ち万事行われず。両者相もちいて相離るることを得ざるなり。聖人の釣と弋とを見て、而る後に義の廃す可からざるを知るなり。其の綱せざると宿を射ざるとを見て、而る後に又た仁の去る可からざるを知るなり。若し夫れ林をき沢をつくし、天物てんぶつ暴殄ぼうてんする者は、まことに仁たることを得ず。而して屠を断ち殺を戒め、宗廟けっしょくせざる者に至りては、則ち亦た義の廃す可からざるを知らず。豈に復た仁たることを得んや。其の天下に行わる可からざるや、均し。故に聖人は天下を以て道と為して、一人を以て天下を強いず。万世を以て教えを為して、一時を以て万世を律せず。至れり」(論曰、仁者天下之大德也。義者天下之大用也。非仁則萬物不育。非義則萬事不行。兩者相須而不得相離也。見聖人之釣與弋、而後知義之不可廢也。見其不綱與不射宿、而後又知仁之不可去也。若夫焚林竭澤、暴殄天物者、固不得爲仁。而至於斷屠戒殺、宗廟不血食者、則亦不知義之不可廢。豈復得爲仁也哉。其不可行于天下也、均矣。故聖人以天下爲道、而不以一人強天下。以萬世爲教、而不以一時律萬世。至矣)とある。暴殄は、荒々しく根絶すること。血食は、祖先に動物のいけにえを供えること。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「釣して綱せず、綱はけんせず、恐らく網の字の誤れるなり。釣・綱は事殊なり、故に而の字を著く。宿は是れ宿をよくす、故に而の字無し。……古え礼に在りて、士はよくちょうすることを得たり。綱・宿に至っては、則ち民の為す所なり、君子は為さず。……後世の儒者は道を知らず、礼を知らず。故に其の此の章に於けるや、これを礼に求むることを知らず、但だ仁人の心なりと言うのみ。故に其の論は終に窮する有り。礼を以て之を言う、仁義豈に外にせんや」(釣而不綱、綱不它見、恐網字誤。釣綱事殊、故著而字。宿是弋宿、故無而字。……古者在禮、士得弋釣。至於綱宿、則民之所爲也、君子不爲矣。……後世儒者不知道、不知禮。故其於此章也、不知求諸禮、但言仁人之心耳。故其論終有窮矣。以禮言之、仁義豈外哉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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