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述而第七 13 子在齊章

160(07-13)
子在齊聞韶。三月不知肉味。曰、不圖爲樂之至於斯也。
せいりてしょうく。三月さんげつにくあじらず。いわく、はからざりき、がくつくることのここいたらんとは。
現代語訳
  • 先生は斉(セイ)の国で、「韶(ショウ)の曲」を三つきも聞いてならい、肉の味もわからなかった。そして ―― 「はてさて、よい音楽はこうもなるものか。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がせい滞在たいざい中、しょうの音楽を聞き、スッカリ感激して、「これほど大した音楽があろうとは思いもよらなかった。」とさんされ、当分は肉をたべても味も覚えぬくらいであった。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師は斉にご滞在中、しょうをきかれた。そして三月の間それを楽しんで、肉の味もおわかりにならないほどであった。そのころ、先師はこういわれた。――
    「これほどのすばらしい音楽があろうとは、思いもかけないことだった」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 斉 … 周代に太公望りょしょうの建てた国。今の山東省に存在した。桓公の代に管仲を用いて覇者となった。戦国時代の斉(田斉)と区別して姜斉ともいう。ウィキペディア【姜斉】参照。
  • 在斉 … 孔子が斉の国に滞在したのは、三十五歳から四十二、三歳までのことといわれている。
  • 韶 … 舜が作ったといわれる古典音楽。
  • 三月 … ここでは数ヶ月。なお、「三月」を前の句につけて、「韶を聞くこと三月」と読む説もある。
  • 不知肉味 … 心が音楽に奪われて、うまい肉を食べてもその味に気づかなかった。
  • 不図 … 「はからざりき」と読む。文頭につけ、「思いもよらなかった」「予期しなかった」と訳し、次の句を受ける。
  • 為楽之至於斯也 … 音楽がこれほどまでに素晴らしく作られるものとは。「為」は「作」に同じ。「斯」は「韶の音楽のような高い境地」を指す。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子韶楽を美とするなり」(此章孔子美韶樂也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子在斉聞韶。三月不知肉味 … 『集解』に引く周生烈の注に「孔子斉に在りしとき、韶楽の盛美なるを習わしむを聞く。故に肉の味を忘るるなり」(孔子在齊、聞習韶樂之盛美。故忘於肉味也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「韶とは、舜の楽名なり。善を尽くし美を尽くす者なり。孔子斉に至りしとき、斉君の韶楽を奏するの盛んなるを聞く。而れども心は痛傷たり。故に口肉の味を忘れ、一時に於いて乃ち止むに至るなり。三月は、一時なり。何を以てか然るや。斉は是れ無道の君にして、聖王の楽を濫奏す。器存するも人そむく。所以に傷慨す可きなり。故に郭象曰く、傷器存して道廃れ、声有れども時無きを得たり、と。江熙曰く、和璧と瓦礫と貫を斉しくするは、べん惆悵ちゅうちょうする所以なり。虞韶と鄭衛と響を比するは、仲尼の永歎する所以なり。時をわたって味を忘るることは何ぞや、遠情の深きなり、と」(韶者、舜樂名也。盡善盡美者也。孔子至齊、聞齊君奏於韶樂之盛。而心爲痛傷。故口忘肉味、至於一時乃止也。三月、一時也。何以然也。齊是無道之君、而濫奏聖王之樂。噐存人乖。所以可傷慨也。故郭象曰、傷噐存而道廢、得有聲而無時。江熙曰、和璧與瓦礫齊貫、卞子所以惆悵。虞韶與鄭衞比響、仲尼所以永歎。彌時忘味何、遠情之深也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「韶は、舜の楽の名なり。孔子斉に在りて韶楽の盛美なるを習わすを聞く。故に三月忽として肉の味を忘れて知らざるなり」(韶、舜樂名。孔子在齊聞習韶樂之盛美。故三月忽忘於肉味而不知也)とある。また『集注』に「史記に、三月の上に、学之の二字有り。肉の味を知らずとは、蓋し心是に一にして、他に及ばざるなり」(史記、三月上、有學之二字。不知肉味、蓋心一於是、而不及乎他也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 聞韶 … 『義疏』では「聞韶楽」に作る。
  • 不図為楽之至於斯也 … 『集解』に引く王肅の注に「為は、作なり。韶楽を作すこと此に至るを図らず。此は、斉なり」(爲、作也。不圖作韶樂至於此。此、齊也)とある。また『義疏』に「此れ孔子味を忘るる所以の由を説くなり。図は、猶お謀慮のごときなり。為は、猶お作奏のごときなり。楽は、韶楽なり。斯は、此なり。此れ斉を指すなり。孔子言う、実に聖王の韶楽を奏作して、此の斉侯の国に来たり至るを意慮せざりき。或ひと問いて曰く、楽は人君に随いて変ず。若し人君の心善ならば、則ち楽善なり。心淫なれば則ち楽も淫なり。今、斉君無道にして、韶音那ぞ独り変ぜずして猶お盛んなるや。且つ若し其の音猶お盛んなれば、則ち斉の民宜しく楽に従いて化すべし。而るに斉の民猶お悪みて楽に随いて化せざるは、何ぞや。侃答えて曰く、夫れ楽は人君に随いて変ずる者なり。唯だ時王の楽に在るのみ。何となれば周王遍く六代の楽を奏するが如し。周公・成康の日に当たれば、則ち六代の声悉く善なり。亦た悉く以て民を化す。幽・厲の若きは、周の天下をそこない大いに壊れば、則ち唯だ周楽のみ自ら時君に随いて変壊し、其の民も亦た時君に随いて悪し。余の所殷・夏以上、五聖の楽は則ち時変に随わず。故に韶楽斉に在り。而も音は猶お盛美なる者なり。何を以て然らんや。是れ聖王の楽なるが故に悪君の変に随わざるなり。而して周武も亦た善にして独り変ずる者なり。其の君を以てすれば是れ周の子孫なり。子孫既に変ず。故に先祖の楽も亦た之が為にして変ずるなり。又た既に五代の音存すれども民を化する能わざる者なり。既に悪王に随わずして変ず。寧ぞ悪王の御する所と為さんや。既に御する所と為らず、故に存すと雖も民を化せざるなり。又た一通に云う、其の末代に当たりて、其の君悪しと雖も、其の先代の楽声亦た変ぜざるなり。而るに其の君の奏する所淫楽なるときは、復た正楽を奏せず、故に復た民を化せざるなり、と」(此孔子説所以忘味之由也。圖、猶謀慮也。爲、猶作奏也。樂、韶樂也。斯、此也。此指齊也。孔子言、實不意慮奏作聖王之韶樂、而來至此齊侯之國也。或問曰、樂隨人君而變。若人君心善、則樂善。心淫則樂淫。今齊君無道、而韶音那獨不變而猶盛耶。且若其音猶盛、則齊民宜從樂化。而齊民猶惡不隨樂化、何也。侃答曰、夫樂隨人君而變者。唯在時王之樂耳。何者如周王遍奏六代之樂。當周公成康之日、則六代之聲悉善。亦悉以化民。若幽厲、傷周天下大壞、則唯周樂自隨時君而變壞、其民亦隨時君而惡。所餘殷夏以上、五聖之樂則不隨時變。故韶樂在齊。而音猶盛美者也。何以然哉。是聖王之樂故不隨惡君變也。而周武亦善而獨變者。以其君是周之子孫。子孫既變。故先祖之樂亦爲之而變也。又既五代音存而不能化民者。既不隨惡王而變。寧爲惡王所御乎。既不爲所御、故雖存而不化民也。又一通云、當其末代、其君雖惡、而其先代之樂聲亦不變也。而其君所奏淫樂、不復奏正樂、故不復化民也)とある。また『注疏』に「図は、謀度なり。為は、作なり。斯は、此なり。斉を此にするを謂うなり。言うこころは我韶楽を作すこと乃ち此の斉に至るを意度せざるなり」(圖、謀度也。爲、作也。斯、此也。謂此齊也。言我不意度作韶樂乃至於此齊也)とある。また『集注』に「おもわざりき、舜の楽を作ること此くの如きの美に至らんとはと曰えるは、則ち以て其の情文の備を極むること有りて、覚えずして其の歎息することの深きなり。蓋し聖人に非ざれば以て此に及ぶに足らず」(曰、不意舜之作樂至於如此之美、則有以極其情文之備、而不覺其歎息之深也。蓋非聖人不足以及此)とある。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「韶は美を尽くし、又た善を尽くし、楽の以て此に加うること無きなり。故に之を学ぶこと三月、肉の味を知らずして、之を歎美すること此くの如し。誠の至り、感の深きなり」(韶盡美、又盡善、樂之無以加此也。故學之三月、不知肉味、而歎美之如此。誠之至、感之深也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「唯だ夫子聖人にまみゆることを願うの心、ただえの食に於けるが如きのみならず。故に其の楽を聞くに及びては、心酔い神よろこび、三月の久しき、自ら其の味を知らざるに至る。此れ聖人たる所以なり。夫れ肉を食らうにあたりては、則ち食主たり、而して韶を聞くの心、余念未だ化せず、其の味を知らず。若し正心の説を以て之を律するときは、則ち心正しからずと為ることを免れざるなり。先儒其の此の章と相もとるを嫌い、せんしゅう牽合して、一に会せんと欲す。然れども彼此扞格かんかくして、其の終に相入らざることを奈何ともすること無し。予故に謂う、大学は蓋し斉・魯の諸儒の撰する所にして、孔門の旨と異なり」(唯夫子願見聖人之心、不啻如饑之於食。故及聞其樂、心醉神怡、至三月之久、不自知其味。此所以爲聖人也。夫方食肉、則食爲主、而聞韶之心、餘念未化、不知其味。若以正心説律之、則不免爲心不正也。先儒嫌其與此章相盭、遷就牽合、欲會于一。然彼此扞格、無奈其終不相入何。予故謂、大學蓋齊魯諸儒所撰、而與孔門之旨異矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「韶を聞くとは韶を学ぶなり。朱註に史記を引き、三月の上に之を学ぶの二字有りと、と為す。……聞けばすなわち之を得たり。楽に深き者は皆しかり。何ぞ必ずしも小子が楽を学ぶ者の譜を受くるが如く然らんや。故に聞は即ち学ぶなり。……升庵曰く、おもわざりき斉の楽を為すことここに至らんとはと。今の説の如くんば、則ち孔子の舜を視ること、劣にして之を小とすること甚だしと、是と為す。朱子曰く、情文の備わることを極むと。是れ何ぞ能く楽を尽くさんや。楽記に曰く、以て徳を観る可し、と。孔子は此れを以て舜の徳を観る、故に之を嘆ずるのみ。聖人の楽に深きに非ざれば、いずくんぞ能く然らんや。朱子は楽を為すを以て楽を作るとす、故にこれを舜に属す。然れども楽を為すと楽を作るとは殊なれり。故に升庵を是とす。仁斎先生は……だ三月を下句に属し、ひとたび聞いて三月味わいを忘るとは、豈に是の理有らんや」(聞韶者學韶也。朱註引史記、三月上有學之二字、爲是。……聞輒得之。深於樂者皆爾。何必如小子學樂者受譜然乎。故聞即學也。……升庵曰、不意齊之爲樂至此耳。如今之説、則孔子之視舜、劣而小之甚矣、爲是。朱子曰、極情文之備。是何能盡乎樂。樂記曰、可以觀德矣。孔子以此觀舜德、故嘆之耳。非聖人之深於樂、安能然乎。朱子以爲樂爲作樂、故屬諸舜。然爲樂與作樂殊矣。故升庵爲是。仁齋先生……秖三月屬下句、一聞而三月忘味、豈有是理乎)とある。升庵は、楊慎(1488~1559)の号。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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