公冶長第五 11 子貢曰我不欲人之加諸我也章
103(05-11)
子貢曰、我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人。子曰、賜也、非爾所及也。
子貢曰、我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人。子曰、賜也、非爾所及也。
子貢曰く、我人の諸を我に加うることを欲せざるや、吾も亦た諸を人に加うること無からんと欲す。子曰く、賜や、爾の及ぶ所に非ざるなり。
現代語訳
- 子貢 ―― 「わたしは人からされたくないことは、こちらからも人にしたくない。」先生 ――「賜くん、きみにやれることじゃないね。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 子貢が「私は、人が自分に対してしてくれては困ると思うことを、自分もまた人に対してしたくないと考えています。」と言った。孔子様がおっしゃるよう、「それはけっこうだが、なかなかむずかしいことで、まだまだお前などの及ぶところでないぞ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 子貢がいった。――
「私は、自分が人からされたくないことは、自分もまた人に対してしたくないと思っています」
すると先師がいわれた。――
「賜よ、それはまだまだおまえにできることではない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 子貢 … 前520~前446。姓は端木、名は賜。子貢は字。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。また、商才もあり、莫大な財産を残した。ウィキペディア【子貢】参照。
- 諸 … 「これ」と読み、「これを~に」と訳す。加地伸行は「これは、『之』と『於』と、すなわち『シ』と『オ』との合成音『シオ』すなわち『ショ』の充字(当字)として『諸』が使われるようになってからのものである」と解説している(『漢文法基礎』講談社学術文庫)。
- 加 … 物質的・精神的な圧力を加えること。
- 欲無 … しないようにしたい。
- 非爾所及 … 今のお前では、まだできることではない。
- 賜 … 子貢の名。
- 爾 … 「汝」に同じ。
補説
- 『注疏』に「此の章は子貢の志を明らかにす」(此章明子貢之志)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人、字は子貢、孔子より少きこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁を黜く」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、字は子貢、衛人。口才有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
- 我不欲人之加諸我也 … 『集解』に引く馬融の注に「加は、陵なり」(加、陵也)とある。陵は、凌ぐの意。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。『義疏』に「子貢自ら願いて云う、我、世人非理を以て之を我に加陵するを願わざるなり」(子貢自願云、我不願世人以非理加陵之於我也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「加は、陵なり。諸は、於なり。子貢言う、我他人の非義を以て己に加陵するを欲せず」(加、陵也。諸、於也。子貢言、我不欲他人以非義加陵於己)とある。
- 吾亦欲無加諸人 … 『義疏』に「又た云う、我唯だ人の非理を以て我に加えざるを願うのみに匪ずして、我も亦た非理を以て人に加陵せざるを願うなり、と」(又云、我匪唯願人不以非理加於我、而我亦願不以非理加陵於人也)とある。また『注疏』に「吾れも亦た非義を以て人に加陵すること無からんと欲す、と」(吾亦欲無以非義加陵於人也)とある。
- 子曰、賜也、非爾所及也 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは人を止めて非義を己に加えざらしむる能わざるなり」(言不能止人使不加非義於己也)とある。また『義疏』に「孔子、子貢を抑うるなり。言うこころは能く人を招くに非理を以て加うるを見ず。及び非理を以て人に加えず。此の理深遠にして、汝の分の能く及ぶ所に非ざるなり。爾は、汝なり。故に袁氏曰く、加うるは理を得ざるの謂なり。過無きに非ざる者、何ぞ能く人に加えざるや。人も亦た己に加えず。理を尽くし得るは賢人なり。子貢の分に非ざるなり、と」(孔子抑子貢也。言能不招人以非理見加。及不以非理加人。此理深遠、非汝分之所能及也。爾、汝也。故袁氏曰、加不得理之謂也。非無過者、何能不加人。人亦不加己。盡得理賢人也。非子貢之分也)とある。また『注疏』に「爾は、女なり。夫子言う、人をして非義を己に加えざらしむるは、亦た難事と為す、と。故に曰く、賜や、此の事は女の能く及ぶ所に非ず、と。人を止めて非義を己に加えざらしむること能わざるを言うなり」(爾、女也。夫子言、使人不加非義於己、亦爲難事。故曰、賜也、此事非女所能及。言不能止人使不加非義於己也)とある。また『集注』に「子貢言う、我、人の我に加えんと欲せざる所の事を、我も亦た此を以て之を人に加えんと欲せず、と。此れ仁者の事、勉強を待たず。故に夫子以為えらく子貢の及ぶ所に非ずと」(子貢言、我所不欲人加於我之事、我亦不欲以此加之於人。此仁者之事、不待勉強。故夫子以爲非子貢所及)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 『集注』に引く程頤の注に「我、人の諸を我に加えんと欲せざるを、吾も亦た諸を人に加うること無きを欲するは、仁なり。諸を己に施して願わざるを、亦た人に施すこと勿かれは、恕なり。恕は則ち子貢或いは能く之を勉む。仁は則ち及ぶ所に非ざるなり」(我不欲人之加諸我、吾亦欲無加諸人、仁也。施諸己而不願、亦勿施於人、恕也。恕則子貢或能勉之。仁則非所及矣)とある。
- 『集注』に「愚謂えらく、無とは自然にして然り。勿とは禁止の謂なり。此れ仁・恕の別を為す所以なり」(愚謂、無者自然而然。勿者禁止之謂。此所以爲仁恕之別)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「蓋し学は実に副うを貴びて、高きに馳するを嫌う。聡明なる者は其の論毎に高きに過ぎて、実相副わず。子貢の病、正に此に坐するのみ。……子貢曰く、吾も亦た諸を人に加うること無からんと欲す、と。則ち是れ自ら其の位に居るの弊有りて、深く進益を求むるの意無し。其の之を抑うる者は、蓋し之を進むるなり」(蓋學貴乎副實、而嫌乎馳高。聰明者其論毎過高、而實不相副。子貢之病、正坐此耳。……子貢曰、吾亦欲無加諸人。則是有自居其位之弊、而無深求進益之意。其抑之者、蓋進之也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「孔安国曰く、人を止めて非義を己に加えざらしむること能わざるを言うなり、と。此れ古来相伝の説、易う可からず。前篇の不仁者をして其の身に加えしめず、と、皆非義もて相干すと謂うを加うと為す。是れ古言なり。……彼より己を視れば、己も亦た他人なり。故に孔安国は人を変じて己と為し、以て其の義を明すのみ。……宋儒は古文辞を識らず。以謂えらく此れ諸を己に施して願わざれば亦た人に施すこと勿かれと一意なり、但だ彼は勿かれと曰い、此は無しと曰う、無しとは自然にして然り、勿とは禁止の謂なるを、仁・恕の別と為す。孔子は子貢に語ぐるに恕を以てす、而うして仁は及ぶ所に非ず、故に孔子云爾と。妄なるかな。古え勿と無と通用す、孰れをか自然と為し、孰れをか禁止と為さん。且つ子貢は之無しと曰わずして、無からんことを欲すと曰う、孔子の語る所の者と何ぞ別たんや」(孔安國曰、言不能止人使不加非義於己。此古來相傳説、不可易矣。前篇不使不仁者加乎其身、皆謂非義相干爲加。是古言也。……自彼視己、己亦他人。故孔安國變人爲己、以明其義耳。……宋儒不識古文辭。以謂此與施諸己而不願亦勿施於人一意、但彼曰勿、此曰無、無者自然而然、勿者禁止之謂、爲仁恕之別。孔子語子貢以恕、而仁非所及、故孔子云爾。妄哉。古者勿無通用、孰爲自然、孰爲禁止。且子貢不曰無之、而曰欲無、與孔子所語者何別乎)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
こちらの章もオススメ!
学而第一 | 為政第二 |
八佾第三 | 里仁第四 |
公冶長第五 | 雍也第六 |
述而第七 | 泰伯第八 |
子罕第九 | 郷党第十 |
先進第十一 | 顔淵第十二 |
子路第十三 | 憲問第十四 |
衛霊公第十五 | 季氏第十六 |
陽貨第十七 | 微子第十八 |
子張第十九 | 堯曰第二十 |