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学而第一 12 有子曰禮之用和爲貴章

012(01-12)
有子曰、禮之用和爲貴。先王之道、斯爲美。小大由之、有所不行。知和而和、不以禮節之、亦不可行也。
ゆういわく、れいようたっとしとす。先王せんおうみちも、これす。しょうだいこれるも、おこなわれざるところり。りてするも、れいもっこれせっせざれば、おこなからざるなり。
現代語訳
  • 有先生 ――「きまりにも、なごやかさがだいじ。昔のお手本も、ここがかなめだ。万事がそうなっている。だが例外もある。なごやかにするだけで、しめくくりがないのも、うまくいかないものだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • ゆうじゃくが言うよう、「礼はけっしてひややかにきびしいものではなく、和すなわちなごやかさがたっといのである。ぎょうしゅんぶんというような昔の帝王ていおうの道の美しさはそこにある。しかしまた小事も大事も和の一点ばりではうまく行われないのであって、和の大切さを知ってやわらぐにつけても、礼で折り目切り目のしめくくりを付けないと、結局ぐあいよくゆかない。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • ゆう先生がいわれた。――
    「礼は、元来、人間の共同生活に節度を与えるもので、本質的には厳しい性質のものである。しかし、そのはたらきの貴さは、結局のところ、のびのびとした自然的な調和を実現するところにある。古聖の道も、やはりそうした調和を実現したればこそ美しかったのだ。だが、事の大小を問わず、何もかも調和一点張りでいこうとすると、うまくいかないことがある。調和は大切であり、それを忘れてはならないが、礼をもってそれに節度を加えないと、生活にしまりがなくなるのである」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 有子 … 孔子の門弟。姓はゆう、名はじゃくあざなは子有。魯の人。容貌が孔子に似ていたという。門人で「子」と敬称を付けて呼ばれたのは、この有子とそうぜんびんの四人だけ。ウィキペディア【有若】参照。
  • 礼 … 社会生活上の慣習、制度、作法などの総称。
  • 用 … 運用。
  • 和 … 調和。
  • 貴 … 貴重。尊重。大切。
  • 先王之道 … 昔のすぐれた君主たちのやり方。堯・舜・禹・湯・文・武・周公などの政治のやり方。
  • 美 … 立派である。理想的である。
  • 小大 … 小事でも大事でも。大小にかかわらず。
  • 有所不行 … うまく行かないことがある。
  • 知和 … 和の大切さを理解する。
  • 以礼節之 … 礼で節度を加える。礼で折り目をつける。「之」は、和を指す。
  • 不可行也 … うまく行かなくなる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は礼楽の用を為すは、相ちて乃ち美なるを言う」(此章言禮樂爲用、相須乃美)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 有子 … 生年については確定できず、孔子より三十六歳年少、四十三歳年少など諸説ある。『孔子家語』七十二弟子解に「有若はひとあざなは子有。孔子よりわかきこと三十六歳。人とり強識にして、古道を好む」(有若魯人、字子有。少孔子三十六歲。爲人強識、好古道也)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「有若、孔子よりわかきこと四十三歳。……有若の状、孔子に似たり。弟子あいともともに立てて師と為し、之を師とすること夫子の時の如し」(有若少孔子四十三歲。……有若狀似孔子。弟子相與共立爲師、師之如夫子時也)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 礼之用和為貴 … 『集解』に引く馬融の注に「人、礼の和を貴ぶを知りて、事ごとに和に従うも、礼を以て節と為さずんば、亦た行わる可からざるなり」(人知禮貴和、而每事從和、不以禮爲節、亦不可行也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此れ以下、人君の行化を明らかにす。必ず礼楽相ち、楽をもって民心を和し、礼を以て民跡を検し、たずねて心和を検す。故に風化乃ち美なり。故に礼の用和を貴しと為すと云う。和は即ち楽なり。楽を変じて和と言うは、楽の功をあらわすなり。楽既に和と言うは、則ち礼宜しく敬と云うべし。但だ楽の用は内に在りて隠なりと為す、故に其の功を言うなり」(此以下、明人君行化。必禮樂相須、用樂和民心、以禮檢民跡、跡檢心和。故風化乃美。故云禮之用和爲貴。和即樂也。變樂言和、見樂功也。樂既言和、則禮宜云敬。但樂用在内爲隱、故言其功也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「和は、楽を謂うなり。楽は和同を主とす、故に楽を謂いて和と為す。夫れ礼勝るときは則ち離るるは、析居せききょして和せざるを謂うなり。故に礼は和を用うるを貴び、離に至らざるしむるなり」(和、謂樂也。樂主和同、故謂樂爲和。夫禮勝則離、謂析居不和也。故禮貴用和、使不至於離也)とある。析居は、分居すること。また『集注』に「礼とは、天理の節文、人事の儀則なり。和とは、従容として迫らざるの意なり。蓋し礼の体たるは、厳なりと雖も、然れども皆自然の理より出ず。故に其の用たるは、必ず従容として迫らず。乃ち貴ぶ可しと為す」(禮者、天理之節文、人事之儀則也。和者、從容不迫之意。蓋禮之爲體、雖嚴、然皆出於自然之理。故其爲用、必從容而不迫。乃爲可貴)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 先王之道、斯為美 … 『義疏』に「先王は、聖人の天子と為る者を謂うなり。斯は、此なり。言うこころは聖天子の化して礼を行うは、亦た此の用を以て和を美と為すなり」(先王、謂聖人爲天子者也。斯、此也。言聖天子之化行禮、亦以此用和爲美也)とある。また『注疏』に「斯は、此なり。先王の治民の道は、此の礼の和美を貴ぶを以てするを言う。礼は民心を節し、楽は民声を和す。楽至れば則ち怨み無く、礼至れば則ち争わず。揖譲して天下を治むとは、礼・楽を之れ謂うなりとは、是れ先王の美道なり」(斯、此也。言先王治民之道、以此禮貴和美。禮節民心、樂和民聲。樂至則無怨、禮至則不爭。揖讓而治天下者、禮樂之謂也、是先王之美道也)とある。また『集注』に「先王の道は、此れを其の美と為す所以にして、小事大事、之に由らざること無し」(先王之道、此其所以爲美、而小事大事、無不由之也)とある。
  • 小大由之、有所不行 … 『義疏』に「由は、用なり。若し小大の事、皆礼を用いて、和を用いざれば、則ち事に於いて行われざる所有るなり」(由用也。若小大之事、皆用禮而不用和、則於事有所不行也)とある。また『注疏』に「由は、用なり。言うこころは事毎ことごとに小大皆礼を用うるも、而も楽を以て之を和せずんば、則ち其の政に行われざる所有るなり」(由、用也。言毎事小大皆用禮、而不以樂和之、則其政有所不行也)とある。
  • 知和而和、不以礼節之、亦不可行也 … 『義疏』に「上は礼を行いて楽をつことを明らかにし、此れ楽を行いて礼を須つことを明らかにするなり。人若し礼を知りて和を用うれども、事毎に和に従うも、復た礼を用いて節を為さずんば、則ち事に於いて亦た行いを得ざるなり。所以に亦たと言うは、沈居士云う、上はもっぱら礼を用いて行わず、今皆和を用うれども、亦た行う可からざるなり、と」(上明行禮須樂、此明行樂須禮也。人若知禮用和、而毎事從和、不復用禮爲節者、則於事亦不得行也。所以言亦者、沈居士云、上純用禮不行、今皆用和、亦不可行也)とある。また『注疏』に「言うこころは人は礼の和を貴ぶを知りて、事毎に和に従うも、礼を以て節を為さずんば、亦た行う可からざるなり」(言人知禮貴和、而毎事從和、不以禮爲節、亦不可行也)とある。また『集注』に「上文をけて言う。くの如くにして復た行われざる所有る者は、其れだ和の貴しと為すを知るを以てして、和を一にして、復た礼を以て之を節せざれば、則ち亦た復た礼の本然に非ず。流蕩してかえるを忘れて、亦た行う可からざる所以なり」(承上文而言。如此而復有所不行者、以其徒知和之爲貴、而一於和、不復以禮節之、則亦非復禮之本然矣。所以流蕩忘反、而亦不可行也)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「礼勝てば則ち離る。故に礼の用は、和を貴しと為す。先王の道は、斯を以て美と為す。而して小大之に由る。楽勝てば則ち流る。故に行われざる所の者有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦た行う可からず」(禮勝則離。故禮之用、和爲貴。先王之道、以斯爲美。而小大由之。樂勝則流。故有所不行者。知和而和、不以禮節之、亦不可行)とある。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「凡そ礼の体は敬を主として、其の用は則ち和を以て貴しと為す。敬は、礼の立つ所以なり。和は、楽の由りて生ずる所なり。有子の若きは、礼楽の本に達すと謂う可し」(凡禮之體主於敬、而其用則以和爲貴。敬者、禮之所以立也。和者、樂之所由生也。若有子、可謂達禮樂之本矣)とある。
  • 『集注』に「愚おもえらく、厳にして泰、和にして節は、此れ理の自然、礼の全体なり。ごうたがうこと有れば、則ち其の中正を失いて、各〻一偏に倚る。其れ行う可からざるに均し」(愚謂、嚴而泰、和而節、此理之自然、禮之全體也。毫釐有差、則失其中正、而各倚於一偏。其不可行均矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、旧註に曰えり、礼の体たるは厳なりと雖も、然れども其の用たる必ず従容として迫らず、と。蓋し体用の説は、宋儒より起る。而して聖人の学は、素より其の説無し。何となれば、聖人の道、倫理綱常の間に過ぎずして、各〻其の事実に就いて工を用いて、未だ嘗て心を澄まし慮を省き、之を未発の先に求めざるなり。故に所謂仁義礼智も、亦た皆はつに就いて工を用いて、未だ嘗て其の体に及ばざるなり。唯だ仏氏の説は、倫理綱常を外にして、専ら一心を守る。而れども亦た人事の応酬に已むこと能わず。故に真諦と説きたいと説く。自ら体用の説を立てざること能わず。唐の僧華厳経の疏に云く、体用源を一にし、顕微へだて無しと、是れなり。其の説儒中に浸淫し、是に於いて理気体用の説興る。凡そ仁義礼智は、皆体有り用有り、未発を体と為し、已発を用と為す。遂に聖人の大訓をして、支離決裂、用有りて体無きの言たらしむ。且つ体用を説くときは、則ち体重くして用軽く、体は本にして用は末なり。故に人皆用を捨て体におもむかざることを得ず。是に於いて無欲虚静の説盛んにして、孝弟忠信の旨微かなり。察せざる可からず」(論曰、舊註曰、禮之爲體雖嚴、然其爲用必從容而不迫。蓋體用之説、起於宋儒。而聖人之學、素無其説。何者、聖人之道、不過倫理綱常之間、而各就其事實用工、而未嘗澄心省慮、求之于未發之先也。故所謂仁義禮智、亦皆就已發用工、而未嘗及其體也。唯佛氏之説、外倫理綱常、而專守一心。而亦不能已於人事之應酬。故説眞諦説假諦。自不能不立體用之説。唐僧華嚴經疏云、體用一源、顯微無間、是也。其説浸淫乎儒中、於是理氣體用之説興。凡仁義禮智、皆有體有用、未發爲體、已發爲用。遂使聖人之大訓、支離決裂、爲有用無體之言。且説體用、則體重而用輕、體本而用末。故人皆不得不捨用而趨體。於是無欲虚静之説盛、而孝弟忠信之旨微矣。不可不察)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「礼之用和為貴、中間に断句す可からず。戴記に、礼は之れ和を以て貴しと為す、と。用は以と訓ず。古書おおむね然り。仁斎先生之を引くは、と為す。だ字を識って句を識らざるは、猶お之れ朱子のごときかな。……行われざる所有りを、皇侃おうがん邢昺けいへい、皆上文に属す。しからざれば、亦た行わる可からざるなりの亦の字は、謂われ無しと為す。朱子は以て下に属せり。古文辞にくらきなり。……礼は先王の作る所、道なり。性に非ず亦た徳に非ず。漢儒・宋儒の以て性と為すは、非なり。仁斎先生以て徳と為す、亦た非なり」(禮之用和爲貴、不可中閒斷句。戴記禮之以和爲貴。用訓以。古書率然。仁齋先生引之、爲是。祗識字不識句、猶之朱子哉。……有所不行、皇侃邢昺皆屬於上文。不者、亦不可行也亦字、爲無謂矣。朱子以屬下。昧乎古文辭也。……禮先王所作、道也。非性亦非德。漢儒宋儒以爲性、非也。仁齋先生以爲德、亦非也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十