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微子第十八 4 齊人歸女樂章

464(18-04)
齊人歸女樂。季桓子受之、三日不朝。孔子行。
斉人せいひと女楽じょがくおくる。かんこれけて、三日さんじつちょうせず。こうる。
現代語訳
  • 斉(セイ)の国から女歌劇をよこした。(魯の家老の)季桓(カン)はそれをもらい、三日も御殿に出ない。孔先生は去った。(がえり善雄『論語新訳』)
  • の国が孔子様を用いて、国が大いに治まったので、隣国のせいが恐れて、これをさまたげようと思い美人八十人の歌舞団を送ってよこした。たいかんが喜び受けこれにうつつを抜かして三日も政務を見なかった。孔子様はせっかく魯の国を振興しんこうしようとした望みを失い、辞職して国を去った。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 斉が、魯の君臣を誘惑してその政治をみだすために、美人の歌舞団をおくった。魯の権臣かんが喜んでこれをうけ、君臣ともにこれに見ほれて、三日間朝政を廃するにいたったので、先師はついに職を辞して魯を去られた。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 斉 … 周代に太公望りょしょうの建てた国。今の山東省に存在した。桓公の代に管仲を用いて覇者となった。戦国時代の斉(田斉)と区別して姜斉ともいう。ウィキペディア【姜斉】参照。
  • 女楽 … 女性の歌舞団。
  • 帰 … 「おくる」と読む。贈り物をする。「」に同じ。
  • 季桓子 … 魯の国の大夫、季孫氏。名は斯。ウィキペディア【三桓氏】参照。
  • 不朝 … 朝廷に出ない。参内さんだいしない。
  • 行 … ここでは「さる」と読む。去る。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子無道を去るを言うなり」(此章言孔子去無道也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • この章は魯の定公ていこう十四年、孔子五十六歳の出来事である。『史記』孔子世家に詳しく記されている。ウィキソース「史記/卷047」参照。
  • 斉人帰女楽 … 『義疏』に「帰は、猶お餉のごときなり。女楽は、女伎なり。斉は魯の定公に女伎をおくる。致す時孔子魯に在り。斉は魯の強を畏る。故に魯に女楽を餉り、孔子をして去らしめんと欲するなり」(歸、猶餉也。女樂、女伎也。齊餉魯定公女伎。致時孔子在魯。齊畏魯強。故餉魯於女樂、欲使孔子去也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「帰は、字の如し。或いはに作る。朝は、音潮。季桓子は、魯の大夫、名は斯。史記を按ずるに、定公の十四年、孔子魯の司寇と為りて、しょう摂行せっこうす。斉人せいひとおそれ、女楽をおくり以て之をはばむ」(歸、如字。或作饋。朝、音潮。季桓子、魯大夫、名斯。按史記、定公十四年、孔子爲魯司寇、攝行相事。齊人懼、歸女樂以沮之)とある。相事は、宰相が行う仕事のこと。摂行は、職務を代行すること。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『史記』孔子世家に「ここに於いて、斉の国中こくちゅうの女子のみめよき者八十人を選び、皆文衣をせて康楽こうがくを舞わせ、文馬三十、魯君におくる」(於是、選齊國中女子好者八十人、皆衣文衣而舞康樂、文馬三十駟、遺魯君)とある。
  • 季桓子受之、三日不朝… 『集解』に引く孔安国の注に「桓子は、季孫斯なり。定公をして斉の女楽を受けしむ。君臣あいともに之を観る。朝礼を廃すること三日なり」(桓子、季孫斯也。使定公受齊之女樂。君臣相與觀之。廢朝禮三日)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「季子は定公をして斉の餉を受けしむるなり。桓子既に之を受け、仍ち定公と与も之を奏し、三日朝礼を廃する者なり」(季子使定公受齊之餉也。桓子既受之、仍與定公奏之、三日廢於朝禮者也)とある。また『注疏』に「桓子は、季孫斯なり。定公をして斉の女楽を受けしめ、君臣相ともに之を観、朝礼を廃すること三日なり」(桓子、季孫斯也。使定公受齊之女樂、君臣相與觀之、廢朝禮三日)とある。
  • 孔子行 … 『義疏』に「既に君臣淫楽す。故に孔子遂にるなり。江熙云う、夫子は色みてここに挙ぐ。礼無きの朝、いずくんぞ以て処る可けんや、と」(既君臣淫樂。故孔子遂行也。江熙云、夫子色斯舉矣。無禮之朝、安可以處乎)とある。また『注疏』に「孔子遂にるなり」(孔子遂行也)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「女楽を受けて政事を怠ること此くの如し。其の賢をあなどり礼を棄つる、ともに為す有るに足らざること知る可し。夫子る所以なり。所謂幾を見てち、日の終うるをたざる者か」(受女樂而怠於政事如此。其簡賢棄禮、不足與有爲可知矣。夫子所以行也。所謂見幾而作、不俟終日者與)とある。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「此の篇は仁賢の出処を、記して折中するに聖人の行を以てす。中庸の道を明らかにする所以なり」(此篇記仁賢之出處、而折中以聖人之行。所以明中庸之道也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、按ずるに史記の世家に、斉人女楽をおくりて、以て之をはばむ。季桓子之を受く。郊して又たはんを大夫に致さず。孔子る、と。今孟子に拠るに曰く、孔子魯の司寇と為りて用いられず。従いて祭る。燔肉至らず、べんがずしてる、と。而して斉人女楽をおくり、三日朝せざる等の事無し。ひそかに疑うらく女楽をおくると膰を致さざるとは、本と一時の事に非ず。史遷二事を合して、以て定公十四年の下にくる者は非なり。荘周の書に亦た言う、孔子再び魯に逐わると。益〻証す可し、と」(論曰、按史記世家、齊人歸女樂、以沮之。季桓子受之。郊又不致膰俎於大夫。孔子行。今據孟子曰、孔子爲魯司寇不用。從而祭。燔肉不至、不税冕而行。而無齊人歸女樂、三日不朝等事。竊疑歸女樂與不致膰、本非一時之事。史遷合二事、以係定公十四年下者非也。莊周書亦言、孔子再逐於魯、益可證矣)とある。膰俎は、台にのせて供える膰肉はんにく。税冕は、装の冠をぬぐ。転じて、官職をやめること。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「斉人女楽をおくる。仁斎先生曰く、史記世家を按ずるに、……益〻証す可し、と。此の説も亦た一説に備う可し」(齊人歸女樂。仁齋先生曰、按史記世家、……益可證矣。此説亦可備一説)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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