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衛霊公第十五 25 子曰吾猶及史之闕文也章

404(15-25)
子曰、吾猶及史之闕文也。有馬者、借人乘之。今亡矣夫。
いわく、われ闕文けつぶんおよべり。うまものは、ひとしてこれらしむ。いまきかな。
現代語訳
  • 先生 ――「わしのころはまだ書類に空白があったものだ。馬を持つものは、人に貸して乗らせた。いまはもうないな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「昔は記録をつかさどる史官が、少しでも疑点があれば空白にしておいてなお十分調査した上おぎなったものであり、また馬の所有者はしげなく人に貸して乗らせたもので、わしの若いころにはまだその風がのこっていてきもしたが、今ではその風習もなくなってしまった。いちばんで、道義の低下、風俗の頽廃たいはい、なげかわしいことじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「私の子供のころには、まだ人間が正直で、いいことが行なわれていた。たとえば、史官が疑わしい点があると、調査研究がすむまでは、そこを空白にしておくとか、馬の所有者は気持よく人に貸して乗らせるとかいうことだ。ところが、今はそういうことがまるでなくなってしまった」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 吾猶及 … 私の若い頃にはまだ~を見聞きしたものだ。
  • 史 … 史官。朝廷の記録係。
  • 闕文 … 疑問のある文字を書かず、空白にすること。なお、荻生徂徠はこの箇所に本当に闕文があったとし、誤って本文に混入したという説を唱えた。「補説」参照。
  • 有馬者 … 馬を所有している人。
  • 今亡矣夫 … 今はそういうこともなくなってしまったなあ。
  • 矣夫 … 「~かな」と読み、「~だなあ」「~であることよ」と訳す。感嘆の意を示す。「矣」「矣哉」「矣乎」も同じ。
補説
  • 『注疏』に「此の章は時人に穿鑿すること多きを疾むなり」(此章疾時人多穿鑿也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 吾猶及史之闕文也 … 『集解』に引く包咸の注に「古えの史は、字を書くに於いて凝わしきこと有れば則ち之を闕き、以て知者を待つなり」(古之史、於書字有凝則闕之、以待知者也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子は此れ世の澆流ぎょうりゅう迅速にして時一時に異なれるを歎くなり。史とは、書を掌るの官なり。古えの史は書を為す。若し字に於いて識らざる者有らば、則ち懸けて之を闕き、以て知る者をつ。敢えてほしいままに造為せざる者なり。孔子自ら云う、己、昔史を見るに及んで此の時闕文有るなり、と」(孔子此歎世澆流迅速時異一時也。史者、掌書之官也。古史爲書。若於字有不識者、則懸而闕之、以俟知者。不敢擅造爲者也。孔子自云、己及見昔史有此時闕文也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「史は、是れ書を掌るの官なり。文は、字なり。古えの良史は、字を書するに於いて疑い有らば、則ち之を闕きて以て能者を待ち、敢えて穿鑿せず。孔子言う、我尚お此の古史の闕疑の文を見るに及ぶ、と」(史、是掌書之官也。文、字也。古之良史、於書字有疑、則闕之以待能者、不敢穿鑿。孔子言、我尚及見此古史闕疑之文)とある。
  • 有馬者、借人乗之 … 『集解』に引く包咸の注に「馬有るも調良を能くせざれば、則ち人に借して之に乗り習わしむ。孔子自ら謂えらく、其の人の此くの如きを見るに及ぶは、今に至るまで有ること無し、と。此を言う者は、俗の穿鑿すること多きを以てなり」(有馬不能調良、則借人使乘習之。孔子自謂、及見其人如此、至今無有矣。言此者、以俗多穿鑿也)とある。また『義疏』に「孔子又た曰く、亦た此の時の馬調し難きを見る。御者調する能わざれば、則ち人に借して之に乗服せしむるなり、と」(孔子又曰、亦見此時之馬難調。御者不能調、則借人乘服之也)とある。また『注疏』に「此れ喩えを挙ぐるなり。己に馬有れども調良すること能わずんば、当に人を借りて之に乗習せしむべきに喩うるなり」(此舉喩也。喩己有馬不能調良、當借人乘習之也)とある。
  • 今亡矣夫 … 『義疏』では「今則亡矣夫」に作り、「亡は、無なり。孔子の末年の時に当たり、史字を識らず。すなわほしいままにして闕けず。馬有るも調せざれば、則ち恥じて云う、其れ能わず。必ず自ら之に乗りて以て傾覆を致さん、と。故に云う、今は亡きかな、と」(亡、無也・當孔子末年時、史不識字。輒擅而不闕。有馬不調、則恥云、其不能。必自乘之以致傾覆。故云、今亡也矣夫)とある。また『注疏』に「亡は、無なり。孔子自ら謂えらく、其の人の此くの如く疑わしきを闕くを見るに及ぶも、今に至りては則ち有ること無し、と。此れを言うは、俗に穿鑿すること多きを以てなり」(亡、無也。孔子自謂、及見其人如此闕疑、至今則無有矣。言此者、以俗多穿鑿)とある。
  • 『集注』に引く楊時の注に「史は文を闕き、馬は人に借す。此の二事は、孔子猶お之を見るに及ぶ。今は亡きかなは、時の益〻うすきを悼むなり」(史闕文、馬借人。此二事、孔子猶及見之。今亡矣夫、悼時之益偸也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に「愚謂えらく、此れ必ずためにすること有りて言う。蓋しさいと雖も、而れども時変の大なる者知る可し」(愚謂、此必有爲而言。蓋雖細故、而時變之大者可知矣)とある。細故は、些細な事柄。
  • 『集注』に引く胡寅の注に「此の章の義疑わしければ、強いて解す可からず」(此章義疑、不可強解)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「陳氏れき曰く、疑は以て疑を伝え、物は人と共にするは、皆人心の古えに近き処、二事小なりと雖も、而れども人心の古えならざる、亦た見る可し、と」(陳氏櫟曰、疑以傳疑、物與人共、皆人心近古處、二事雖小、而人心之不古、亦可見)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「吾猶及史之闕文也。是れ之の下、也の上に闕文有り。故に闕文の二字を註し、遂に正文に入る。後人察せず、之が解を為す者は、皆うがてり」(吾猶及史之闕文也。是之下也上有闕文。故註闕文二字、遂入正文。後人不察、爲之解者、皆鑿矣)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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