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憲問第十四 45 子路問君子章

377(14-45)
子路問君子。子曰、脩己以敬。曰、如斯而已乎。曰、脩己以安人。曰、如斯而已乎。曰、脩己以安百姓。脩己以安百姓、堯舜其猶病諸。
子路しろくんう。いわく、おのれおさめてもっけいす。いわく、かくごときのみか。いわく、おのれおさめてもっひとやすんず。いわく、かくごときのみか。いわく、おのれおさめてもっひゃくせいやすんず。おのれおさめてもっひゃくせいやすんずるは、堯舜ぎょうしゅんこれめり。
現代語訳
  • 子路が人物になる道をきく。先生 ――「よく気をつけて修養すること。」――「それだけでいいですか。」――「修養して人のためにつくす。」――「それだけでいいですか。」――「修養して人民に楽をさせる。修養して人民を楽にするのは、堯(ギョウ)・舜(シュン)さまでもなやまれたことだろう。(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子路しろが、君子とは何か、をおたずねしたら、孔子様が、「つつしんでおこたることなき自己修養によって人格完成につとめるのが君子じゃ。」と答えられた。しかし子路には孔子様の真意がわからず、はなはだ物足りなく思って、「タッタそれだけでござりますか。」と言ったので、かさねて「自己修養によって人を安んずる、すなわちその人の人格完成の影響感化によりその周囲の人を安定させ、それぞれその所を得しめるのが君子の道じゃ。」と言われた。ところが子路はそれでも満足せず、も一度「タッタそれだけでござりますか。」と押し返した。そこで孔子様がおっしゃるよう、「自己修養の結果としてひゃくせいを安んずる、すなわち天下万民ばんみんが安定してそれぞれその所を得るに至る、それが君子の道のきょくであるが、『おのれおさめてひゃくせいを安んずる』ということは、聖天子堯舜ぎょうしゅんでさえもご苦心なさった難事であるから、お前などはまずもって、『己を脩めて以て人を安んずる』あたりを目標としなさい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子路が君子の道をたずねた。先師がこたえられた。――
    「大事に大事に細心な注意をはらって、自分の身を修めるがいい」
    子路――
    「それだけのことでございますか」
    先師――
    「自分の身を修めて人を安んずるのだ」
    子路――
    「それだけのことでございますか」
    先師――
    「自分の身を修めて天下万民を安んずるのだ。天下万民を安んずるのは、堯舜のような聖天子も心をなやまされたことなのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子路 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 脩己 … 「脩」は「修」と通用す。自己を修養する。
  • 以敬 … 「以」は「而」に同じ。「敬」は、慎み深くする。
  • 如斯而已乎 … 「かくのごときのみか」と読み、「ただこれだけか」と訳す。「而已」は「のみ」と読む。「斯」は「脩己以敬」を指す。
  • 安人 … 自分の関係のある人々を安心させる。
  • 百姓 … 「ひゃくせい」と読む。多くの人民。
  • 堯 … 古代の伝説上の聖天子。名は放勲。舜を後継者として皇帝の位を譲った。ウィキペディア【】参照。
  • 舜 … 古代の伝説上の聖天子。姓はよう。虞に国を建てたので虞舜、または有虞氏と呼ばれる。堯から譲位を受け皇帝となった。ウィキペディア【】参照。
  • 其猶病諸 … 「これに苦労されたのだ」と訳す。「其」は強調。「~でさえもやはり」と訳す。「病」は、困難とする。悩みとする。「諸」は「脩己以安百姓」を指す。
  • 諸 … 「これ」と読み、「これを」と訳す。本来は「之於しお」が「しょ」になまったもの。「これを~に」(之於~)と同じ。
補説
  • 『注疏』に「此の章は君子の道を論ずるなり」(此章論君子之道也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子路 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 子路問君子 … 『義疏』に「君子の法を為すことを問うなり」(問爲君子之法也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「子路孔子に行いを為すこと何如ならば之を君子と謂う可きかを問うなり」(子路問於孔子爲行何如可謂之君子也)とある。
  • 脩己以敬 … 『集解』に引く孔安国の注に「其の身を敬するなり」(敬其身也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「身正しければ、則ち民従う。故に君子は自ら己の身を修めて、自ら敬するなり」(身正、則民從。故君子自修己身、而自敬也)とある。また『注疏』に「君子は当に其の身をつつしむべきを言うなり」(言君子當敬其身也)とある。また『集注』に「己を脩むるに敬を以てすは、夫子の言至れり尽くせり」(脩己以敬、夫子之言至矣盡矣)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 曰、如斯而已乎 … 『義疏』に「子路其の少なきをうたがう。故に重ねて更に孔子此くの如きのみかと諮問す。斯は、此なり」(子路嫌其少。故重更諮問孔子如此而已乎。斯、此也)とある。また『注疏』に「子路其の少なきを嫌う。故に君子の道、豈に此くの如きのみかと曰う」(子路嫌其少。故曰君子之道、豈如此而已)とある。また『集注』に「而して子路之を少なしとす」(而子路少之)とある。
  • 曰、脩己以安人 … 『集解』に引く孔安国の注に「人は、朋友・九族を謂うなり」(人、謂朋友九族也)とある。九族は、九代の親族。高祖・そう・祖父・父・自分・子・孫・曾孫・玄孫のこと(異説あり)。また『義疏』に「子路に答う。言うこころは当に能く先ず自ら己を脩め敬して、而る後に人を安んずべきなり」(答子路。言當能先自脩敬己、而後安人也)とある。また『注疏』に「人は、朋友・九族を謂う。孔子更に為に之を広む。言うこころは当に己を脩め、又た恩恵を以て親族を安んずべきなり」(人、謂朋友九族。孔子更爲廣之。言當脩己、又以恩惠安於親族也)とある。また『集注』に「故に再び其の充積の盛んにして、自然に物に及ぶ者を以て之に告ぐ。他に道無きなり。人とは、己に対して言う」(故再以其充積之盛、自然及物者告之。無他道也。人者、對己而言)とある。
  • 曰、如斯而已乎 … 『義疏』に「子路又た少なきをうたがうなり」(子路又嫌少也)とある。また『注疏』に「子路は猶お其の少なきを嫌う、故に又た此を言う」(子路猶嫌其少、故又言此)とある。
  • 曰、脩己以安百姓 … 『義疏』に「又た答えて云う。先ず己の身を脩め敬して、然る後に乃ち百姓を安んずるなり」(又答云。先脩敬己身、然後乃安於百姓也)とある。また『注疏』に「百姓は、衆人を謂うなり。言うこころは当に己を脩めて以て天下の衆人を安んずべきなり」(百姓、謂衆人也。言當脩己以安天下之衆人也)とある。また『集注』に「百姓は、則ち人を尽くせり」(百姓、則盡乎人矣)とある。
  • 脩己以安百姓。脩己以安百姓 … 宮崎市定は「脩己以安百姓の句が二回繰返されるが、初の句は上を受けて、子路の質問に直接答え、次の句は自分の言った言葉に對する補足的説明の爲であって下へ續くから、兩者の語氣が全く違わなければならない」と言い、初めの句に「焉」の字を補って「脩己以安百姓焉」としている。詳しくは『論語の新研究』323頁参照。
  • 脩己以安百姓、堯舜其猶病諸 … 『集解』に引く孔安国の注に「病は、猶お難のごときなり」(病、猶難也)とある。また『義疏』に「病は、難なり。諸は、之なり。言うこころは先ず能く内自ら己を脩めて、外百姓を安んず。此の事大いに難しと為すなり。堯・舜の聖猶お此の事を患えて難しと為す。故に諸を病めりと云うなり。衛瓘云う、此れ難事なり、而るを子路之を狭掠して、再び斯くの如きのみかと云う、故に云う、此に過ぐるときは則ち堯・舜も病む所なり、と。郭象云う、夫れ君子はもとめに足ること能わず、故に己を修むる者は己に索む。故に己を修むる者はわずかに以て内に其の身を敬して、ほか己に同じきの人を安んず可きのみ、豈に百姓を安んずるに足らんや。百姓百品、万国風を殊にす、治めざるを以て之を治む、乃ち其の極を得ん。若し己を修めて以て之を治めんと欲せば、堯・舜と雖も必ず病めり、況んや君子をや。今堯・舜は之を修むるに非ざるなり、万物自ずから無為にして治むること、天の自ずから高く、地の自ずから厚く、日月の明に、雲行き雨施すが若きのみ。故に能く夷暢条達し、曲成してのこらずして病むこと無きなり、と」(病、難也。諸、之也。言先能内自脩己、而外安百姓。此事爲大難也。堯舜之聖猶患此事爲難。故云病諸也。衞瓘云、此難事、而子路狹掠之、再云如斯而已乎、故云、過此則堯舜所病也。郭象云、夫君子者不能索足、故修己者索己。故修己者僅可以内敬其身、外安同己之人耳、豈足安百姓哉。百姓百品、萬國殊風、以不治治之、乃得其極。若欲修己以治之、雖堯舜必病、況君子乎。今堯舜非修之也、萬物自無爲而治、若天之自高、地之自厚、日月之明、雲行雨施而已。故能夷暢條達、曲成不遺而無病也)とある。また『注疏』に「病は、猶お難のごときなり。諸は、之なり。孔子其の未だ已めざるを恐る、故に又た此の言を説く。言うこころは此の己を脩めて以て百姓を安んずるの事は、堯・舜の聖と雖も、其れ猶お之を難しとす。況んや君子をや」(病、猶難也。諸、之也。孔子恐其未已、故又説此言。言此脩己以安百姓之事、雖堯舜之聖、其猶難之。況君子乎)とある。また『集注』に「堯・舜も猶お病めりは、以て此に加うること有る可からざるを言い、以て子路を抑え、反りて諸を近きに求めしむるなり。蓋し聖人の心窮まり無し。世極めて治まると雖も、然れども豈に能く必ずしも四海の内、果たして一物も其の所を得ざること無きを知らんや。故に堯・舜も猶お百姓を安んずるを以て病と為す。若し吾が治已に足れりと曰えば、則ち聖人たる所以に非ず」(堯舜猶病、言不可以有加於此、以抑子路、使反求諸近也。蓋聖人之心無窮。世雖極治、然豈能必知四海之内、果無一物不得其所哉。故堯舜猶以安百姓爲病。若曰吾治已足、則非所以爲聖人矣)とある。
  • 『集注』に引く程顥または程頤の注に「君子己を脩めて以て百姓を安んじ、とっきょうにして天下平らかなり。唯だ上下恭敬に一なれば、則ち天地自ら位し、万物自ら育し、気和せざること無くして、四霊ことごとく至る。此れ信を体し順を達するの道にして、聡明叡知も、皆是れより出づ。此を以て天に事え帝をきょうす」(君子脩己以安百姓、篤恭而天下平。唯上下一於恭敬、則天地自位、萬物自育、氣無不和、而四靈畢至矣。此體信達順之道、聰明睿知、皆由是出。以此事天饗帝)とある。四霊は、麟・鳳・亀・竜。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「己を脩めて以て敬すと曰い、敬に居りて簡を行うと曰う、皆民事を敬するを以てして言う。未だ事無くして徒らに敬を言う者有らざるなり。後世の敬を言うが若き者は、異なるかな」(曰脩己以敬、曰居敬而行簡、皆以敬民事而言。未有無事而徒言敬者也。若後世之言敬者、異哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「己を脩めて以て敬す、敬する所を言わざるは、天を敬するなり。仁斎曰く、民事を敬す、と。君子豈に王事無からんや。之を要するに民事・王事は皆天職なり。故に天を敬するをもとと為す」(脩己以敬、不言所敬、敬天也。仁齋曰、敬民事。君子豈無王事乎。要之民事王事皆天職也。故敬天爲本)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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