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郷党第十 11 問人於他邦章

246(10-11)
問人於他邦、再拜而送之。康子饋藥。拜而受之。曰、丘未達。不敢嘗。
ひとほうわしむるときは、再拝さいはいしてこれおくる。こうくすりおくる。はいしてこれく。いわく、きゅういまたっせず。えてめず。
現代語訳
  • 他郷の人を見舞わせるときは、二度おがむおじぎをして送りだす。(家老の)季康さんが薬をとどけると、おじぎをして受けとり、 ―― 「わたしは不案内ゆえ、あとでいただきます。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 使いを他国へやって人を見舞わせる場合には、再拝して送り出された。たいこうが病気見舞に薬を贈ったとき、病中であるのに拝礼してこれを受け、さて使者に向かって、「ご好意かたじけなくお礼申し上げますが、お薬が病症びょうしょうに適するかどうかまだ心得ませんので、早速には服用致しませぬ。」と言われた。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 他国にいる知人に使者をやって訪問させる時には、再拝してその使者をおくられる。
    あるとき魯の大夫季康子が先生に薬をおくられたことがあったが、先生は病中拝礼してこれをうけられた。そしていわれた。――
    「いただいたお薬が私の病気に適するかどうか、まだわかりませんので、今すぐには服用いたしません」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 問人於他邦 … 他国にいる知人の所へ、使者を派遣すること。「問」は、訪問させる。
  • 再拝 … 二度お辞儀をする。使者に対する拝ではなく、他国にいる知人への敬意を表すためである。
  • 康子 … 魯の国の大夫、季康子。名は肥、康は諡号。父・季桓子の後を継ぎ、筆頭家老となったのは孔子六十歳頃であったと言われている。ウィキペディア【三桓氏】参照。
  • 饋 … 物を贈る。
  • 拝而受之 … 丁寧な拝礼をして、これを受け取った。
  • 丘 … 孔子の名。
  • 未達 … この薬の効能をよく知らない。
  • 不敢嘗 … 服用はできません。
補説
  • 『注疏』では「問人於他邦、再拜而送之」のみを本章とし、「此れ孔子の人をおくるの礼を記するなり」(此記孔子遺人之禮也)とある。また「康子饋藥」から「不敢嘗」を次章とし、「此れ孔子の受饋の礼を明らかにするなり」(此明孔子受饋之禮也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 問人於他邦、再拝而送之 … 『集解』に引く孔安国の注に「使者を拝送するは、敬えばなり」(拜送使者、敬也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「問わしむとは、更に相聘問するを謂うなり。他邦は、隣国の君を謂うなり。孔子隣国と交遊して、使いせしめ彼に往かしめて聘問する時を謂うなり。既に彼の君に敬す。故に使いせしむる者去れば、則ち再び之を拝送するなり。人臣たるの礼は、乃ち外交無し。而るに孔子は聖人、応に東西に聘すること疑い無かるべきなり」(問者、謂更相聘問也。他邦、謂鄰國之君也。謂孔子與鄰國交遊而遣使往彼聘問時也。旣敬彼君。故遣使者去、則再拜送之也。爲人臣禮、乃無外交。而孔子聖人應聘東西無疑也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「問は、猶お遺のごときなり。問うに物もて之をおくること有るに因るを謂うなり。問とは、或いは自ら事有りて人に問わしむ、或いは彼に事有るを聞きて之に問わしむるに、悉く物有りて其の意を表す。故に曲礼に云う、凡そ弓剣・苞苴ほうしょ・簞笥を以て人に問わしむる者は、操りて以て命を受け、使いのかたちの如し、と。此れ孔子凡そ物を以て人を他邦に問遺する者は、必ず再拝して其の使者を送るは、敬を示す所以なり」(問、猶遺也。謂因問有物遺之也。問者、或自有事問人、或聞彼有事而問之、悉有物表其意。故曲禮云、凡以弓劍苞苴簞笥問人者、操以受命、如使之容。此孔子凡以物問遺人於他邦者、必再拜而送其使者、所以示敬也)とある。また『集注』に「拝して使者を送ること、親しく之に見るが如くするは、敬するなり」(拜送使者、如親見之、敬也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 康子饋薬。拝而受之 … 『集解』に引く包咸の注に「孔子に薬をおくるなり」(遺孔子藥也)とある。また『義疏』に「饋は、しょうなり。魯の季康子は孔子に薬をおくるなり。孔子彼の餉を得て拝受す、是れ礼なり」(饋、餉也。魯季康子餉孔子藥也。孔子得彼餉而拜受、是禮也)とある。また『注疏』に「魯卿の季康子孔子に薬を饋る。孔子拝して之を受く。凡そ人の饋遺きいを受くるに、食らう可きの物は、必ず先ず嘗めて之を謝す」(魯卿季康子饋孔子藥。孔子拜而受之。凡受人饋遺、可食之物、必先嘗而謝之)とある。
  • 丘未達。不敢嘗 … 『集解』に引く孔安国の注に「未だ其の故を知らず、故にめざるは、礼なり」(未知其故、故不嘗、禮也)とある。また『義疏』に「達は、猶お暁解のごときなり。孔子拝受すと雖も、而れども遂には飲まず。故に名を称して曰く、丘未だ比の薬何の病を治すかをさとらず。故に敢えて之を飲嘗せざるなり、と」(達、猶曉解也。孔子雖拜受而不遂飮。故稱名曰、丘未曉比藥治何病。故不敢飮嘗之也)とある。また『注疏』に「孔子未だ其の薬の故に達せざれば、敢えて先ず嘗めず。故に丘未だ達せざれば、敢えて嘗めずと曰うも、亦た其の礼なり」(孔子未達其藥之故、不敢先嘗。故曰丘未達、不敢嘗、亦其禮也)とある。また『集注』に引く范祖禹の注に「凡そ食を賜えば必ず嘗めて以て拝す。薬未だ達せざれば、則ち敢えて嘗めず。受けて飲まざれば、則ち人の賜を虚しくす。故に之に告ぐるに此くの如し。然れば則ち飲む可くして飲み、飲む可からずして飲まざるは、皆其の中に在り」(凡賜食必嘗以拜。藥未達、則不敢嘗。受而不飮、則虚人之賜。故告之如此。然則可飮而飮、不可飮而不飮、皆在其中矣)とある。また『集注』に引く楊時の注に「大夫賜うこと有れば、拝して之を受くるは、礼なり。未だ達せざれば敢えて嘗めざるは、疾を謹しむなり。必ず之に告ぐるは、直なり」(大夫有賜、拜而受之、禮也。未達不敢嘗、謹疾也。必告之、直也)とある。
  • 『集注』に「此の一節は、孔子の人と交わるの誠意を記す」(此一節、記孔子與人交之誠意)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「宋の楊簡、嘗て書を作りて人に与え、楊某再拝と書して之を附す。ぼく既に発す。忽ち自ら思えらく、みずから拝せずして拝と書するは、是れなりと。急に僕を呼び返し、書を案上に置き、拝を設けて而る後におくる。暗に孔子拝して使者を送るの意に合す。学者此の若きの忠信有り、而る後に以て学を言う可し。しからずんば則ち高く性命を談じて益無し」(宋楊簡、嘗作書與人、書楊某再拜附之。僕旣發。忽自思、不親拜而書拜、是僞也。急呼僕返、置書案上、設拜而後遣。暗合于孔子拜送使者之意。學者有若此忠信、而後可以言學。不則高談性命無益)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「人を他邦におくるときは、再拝して之を送る。問は、遣なり。聘礼に問有り、礼の重き者なり。故に再拝して之を送る。朱註に、問は解無し。但だ謂う親見の敬の如くすと。豈に訪問とおもえるか。若しだに親見の敬の如きのみならば、則ち斯の邦と他邦と何ぞ別たん。他邦の文を観すれば、則ち聘礼の問たることあきらかなり。宋儒は礼を知らず、故に懞憧もうとうたるのみ。……是れ古えの薬は毒薬多し、……故に古者いにしえ薬をおくるの礼無し、……孔子の時、礼失し俗変ず。貴人疾を聞き、或いは之に薬を饋る、時人亦た必ず之を嘗む、賜食の礼に依るなり。皆礼に非ざるなり。康子薬を饋る。孔子以て非礼と為して、而うして之をしりぞくれば不恭なり。不恭も亦た礼に非ざるなり。故に曰く、丘未だ達せずと。言うこころは必ず是の礼有らん、然れども丘未だ之を聞かずとなり。故に時人は嘗むと雖も而も敢えて嘗めず。其の非礼をしりぞけずして、謙するに己の未だ学ばざるを以てす。既に其の心を傷せず、亦た非礼をまず」(問人於他邦、再拜而送之。問、遣也。聘禮有問、禮之重者也。故再拜而送之。朱註、問無解。但謂如親見之敬也。豈謂訪問邪。若徒如親見之敬已矣、則斯邦他邦何別。觀他邦之文、則爲聘禮之問者審矣。宋儒不知禮、故懞憧焉乎爾。……是古之藥多毒藥、……故古者無饋藥之禮、……孔子時、禮失俗變。貴人聞疾、或饋之藥、時人亦必嘗之、依賜食之禮也。皆非禮也。康子饋藥。孔子以爲非禮、而卻之不恭也。不恭亦非禮也。故曰丘未達也。言必有是禮、然丘未之聞也。故時人雖嘗而不敢嘗焉。不斥其非禮、而謙以己之未學。旣不傷其心、亦不踐非禮)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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