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論語 子罕第九 6

09-06 大宰問於子貢曰。夫子聖者與。何其多能也。子貢曰。固天縦之將聖。又多能也。子聞之曰。大宰知我乎。吾少也賤。故多能鄙事。君子多乎哉。不多也。牢曰。子云。吾不試故藝。
大宰たいさい子貢しこういていわく、夫子ふうし聖者せいじゃか。なん多能たのうなるや。子貢しこういわく、もとよりてんこれゆるしてまさせいならんとす。また多能たのうなり。これきていわく、大宰たいさいわれるか。われわかくしていやし。ゆえ鄙事ひじ多能たのうなり。君子くんしならんや、ならざるなり。ろういわく、う、われもちいられず。ゆえげいあり。
  • 大宰 … 官名。今の首相に相当。新注に引く孔安国の説として「大宰は、官名。或いは呉なるか、或いは宋なるか、未だ知る可からざるなり」(大宰、官名。或呉、或宋、未可知也)とある。皇侃おうがん本等では「太宰」に作る。
  • 子貢 … 姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。孔子より31歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 夫子 … 孔子を指す。
  • 与 … 「か」と読み、「~であろうか」と訳す。疑問の意を示す。新注には「与は、疑辞」(與者、疑辭)とある。
  • 多能 … 多芸。六芸りくげいに通じること。新注には「大宰は蓋し多能を以て聖と為すなり」(大宰蓋以多能爲聖也)とある。
  • 固 … まことに。
  • 縦 … 許す。認める。新注には「縦は、猶おほしいままにするのごときなり。限量を為さざるを言うなり」(縱、猶肆也。言不爲限量也)とある。
  • 将 … 新注には「将は、ほとんどなり。謙して敢えて知らざるが若くするの辞」(將、殆也。謙若不敢知之辭)とある。
  • 聖 … 新注には「聖は通ぜざること無し」(聖無不通)とある。
  • 固天縦之将聖 … 「もとより天、これゆるして聖をおこなわしめ」(宮崎市定)、「まことに天、これゆるさばまさに聖ならんとす」(論語徴)、「まことに天、これゆるしてほとんど聖」(後藤点)、「もとより天縦てんしょう将聖しょうせいにして」、「もとより天、これ将聖しょうせいゆるす」、「もとより天、これまさに聖をゆるす」などとも読む。
  • 又多能也 … しかも多能なのです。新注には「多能は乃ち其の余事。故に又たと言いて以て之を兼ぬ」(多能乃其餘事。故言又以兼之)とある。
  • 我乎 … 皇侃おうがん本等では「我者乎」に作る。
  • 賤 … 地位や身分が低いこと。貧乏。
  • 鄙事 … つまらない事がら。
  • 多 … 多能。
  • 牢 … 孔子の弟子。姓は琴、名は牢。あざなは子開、または子張。新注には「牢は、孔子の弟子、姓は琴、字は子開、一の字は子張」(牢、孔子弟子、姓琴、字子開、一字子張)とある。
  • 試 … 用いられる。任用される。新注には「試は、用いるなり」(試、用也)とある。
  • 芸 … 多能。多芸。「芸あり」と「あり」をつけて読む。
  • 下村湖人(1884~1955)は「大宰たいさいが子貢にたずねていった。孔先生のような人をこそ聖人というのでしょう。実に多能であられる。子貢がこたえた。もとより天意にかなった大徳のお方で、まさに聖人の域に達しておられます。しかも、その上に多能でもあられます。この問答の話をきかれて、先師はいわれた。大宰はよく私のことを知っておられる。私は若いころには微賤な身分だったので、つまらぬ仕事をいろいろと覚えこんだものだ。しかし、多能だから君子だと思われたのでは赤面する。いったい君子というものの本質が多能ということにあっていいものだろうか。決してそんなことはない。先師のこの言葉に関連したことで、門人のろうも、こんなことをいった。先生は、自分は世に用いられなかったために、諸芸に習熟した、といわれたことがある」と訳している(現代訳論語)。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十