>   論語   >   述而第七   >   33

述而第七 33 子曰若聖與仁章

180(07-33)
子曰、若聖與仁、則吾豈敢。抑爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣。公西華曰、正唯弟子不能學也。
いわく、せいじんとのごときは、すなわわれえてせんや。抑〻そもそもこれまなびていとわず、ひとおしえてまざるは、すなわしかうとうべきのみ。公西こうせいいわく、まさていまなあたわざるなり。
現代語訳
  • 先生 ――「『聖人』とか『人道的』とは、とんでもない。まあ熱心になまんで、根気よく教えているのが、取りえといえるくらいのものだ。」公西華 ―― 「それこそはわたしらのまねのできないことです。(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「聖人とか仁者じんしゃとかいうのは、わしなどの及びもつかぬこと、まずまず聖人仁者の道を学んでおこたらず、それをあきもせずに人に教えるという、ただそれだけのことじゃ。」それを聞いていた門人公西こうせいが言うよう、「そのそれだけのことが弟子どものまねもできないところでござります。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「聖とか仁とかいうほどの徳は、私には及びもつかないことだ。ただ私は、その境地をめざしてあくことなく努力している。また私の体験をとおして倦むことなく教えている。それだけが私の身上しんじょうだ。」
    すると、公西こうせいがいった。――
    「それだけとおっしゃいますが、そのそれだけが私たち門人にはできないことでございます」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 聖与仁 … 聖人と仁者。
  • 豈敢 … 「あにあえてせんや」と読む。
  • 抑 … 「そもそも」と読み、「しかしながら」「そうではあるが」と訳す。内容を転換する意を示す。
  • 為之 … 「為」は、ここでは「まなぶ」と読む。「之」は聖人・仁者の道。
  • 厭 … いやになる。
  • 誨 … 教える。
  • 倦 … 飽きる。
  • 云爾 … 「しかいう」と読む。「ただそれだけ、上述の通りである」という意を表す。
  • 已矣 … 「のみ」と読み、「~なのである」「~だけである」と訳す。断定・限定の意を示す。「而已」「而已矣」「也已」も同じ。
  • 公西華 … 前509~?。孔子の弟子。姓は公西こうせい、名はせきあざなは子華。魯の人。孔子より四十二歳若い。公西赤とも。儀式に通じていた。ウィキペディア【公西赤】(中文)参照。
  • 正唯 … 「正にこれ」、「正にしかり」とも読む。
  • 弟子不能学也 … 私たち弟子たちには真似の出来ないことです。
補説
  • 若聖与仁、則吾豈敢 … 『集解』に引く孔安国の注に「孔子は謙にして、敢えて自らをば仁・聖と名づけざるなり」(孔子謙、不敢自名仁聖也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「亦た謙するなり。言うこころは聖及び仁は則ち吾敢えて自ら許すこと有らず。故に云う、豈に敢えてせんや、と。敢えて自ら名己に此の二事有らざるなり」(亦謙也。言聖及仁則吾不敢自許有。故云、豈敢也。不敢自名己有此二事也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「此れも亦た夫子の謙辞なり。聖は、大にして之を化す。仁は、則ち心徳の全、人道の備われるなり」(此亦夫子之謙辭也。聖者、大而化之。仁、則心徳之全、而人道之備也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 抑為之不厭、誨人不倦 … 『義疏』に「孔子は仁・聖の目を受けずと雖も、而れども此の二事を以て自ら許すなり。抑は、語助なり。為は、猶お学のごときなり。之をまなびて厭わずは、敢えて自ら仁・聖有りと云わずと雖も、而れども仁・聖の道を学んで厭わざるを謂うなり。学んで厭わず、又た教誨して倦まずは、乃ち自ら此の如しと謂う可きのみ」(孔子雖不受仁聖之目、而以此二事自許也。抑、語助也。爲、猶學也。爲之不厭、謂雖不敢云自有仁聖、而學仁聖之道不厭也。學而不厭、又教誨不倦、乃可自謂如此耳)とある。また『集注』に「之を為ぶは、仁・聖の道を為ぶを謂う。人を誨うは、亦た此を以て人を教うるを謂うなり」(爲之、謂爲仁聖之道。誨人、亦謂以此教人也)とある。
  • 公西赤(公西華) … 『孔子家語』七十二弟子解に「公西赤はひと、字は子華。孔子よりわかきこと四十二歳。束帯してちょうに立ち、賓主の儀にならう」(公西赤魯人、字子華。少孔子四十二歳。束帶立於朝、閑賓主之儀)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「公西赤、字は子華。孔子よりわかきこと四十二歳」(公西赤字子華。少孔子四十二歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 弟子不能学也 … 『集解』に引く包咸の注に「正に言う所の如きすら、弟子は猶お学ぶこと能わざるなり。況んや仁・聖をや」(正如所言、弟子猶不能學也。況仁聖乎)とある。また『義疏』に「公西華は孔子自ら仁・聖を学んで厭わず、又た人に教えて倦まずと云うを聞く。故に己自ら弟子と称して以て往きてうなり。言うこころは正に夫子自ら許す所の事の如くんば、則ち弟子も亦た学んで此の事を為す能わざるなり」(公西華聞孔子自云學仁聖不厭、又教人不倦。故己自稱弟子以往諮也。言正如夫子所自許之事、則弟子亦不能學爲此事也)とある。また『集注』に「然れども厭わず倦まずは、己之れ有るに非ざれば、則ち能わず。弟子学ぶこと能わざる所以なり」(然不厭不倦、非己有之、則不能。所以弟子不能學也)とある。
  • 『集注』に引く晁説之の注に「当時夫子を聖且つ仁なりと称する者有り。故を以て夫子之を辞す。苟くも之を辞するのみならば、則ち以て天下の材を進め、天下の善を率いること無し。将に聖と仁とを虚器たらしめ、人終に能く至ること莫からんとす。故に夫子仁・聖に居らずと雖も、而れども必ず之を為びて厭わず、人を誨えて倦まざるを以て、自ら処るなり。しかうと謂う可きのみとは、他無きの辞なり。公西華仰ぎて之を歎ず。其れ亦た深く夫子の意を知れり」(當時有稱夫子聖且仁者。以故夫子辭之。苟辭之而已焉、則無以進天下之材、率天下之善。將使聖與仁爲虚器、而人終莫能至矣。故夫子雖不居仁聖、而必以爲之不厭、誨人不倦、自處也。可謂云爾已矣者、無他之辭也。公西華仰而歎之。其亦深知夫子之意矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「門人以為おもえらく、夫子の徳は、堯舜よりもまされりと。而して其の言の甚だ謙なるを見て、驚き且つ異とす。而る後に又た益〻其の徳の盛んにして、加う可からざるを知る。故に夫子謙譲の言に於いて、皆謹み録してつぶさに之を記す。其の智も亦た以て聖人を知るに足る者と謂う可きなり」(門人以爲、夫子之德、賢於堯舜。而見其言甚謙、而驚且異焉。而後又益知其德之盛、不可加焉。故於夫子謙讓之言、皆謹録而備記之。可謂其智亦足以知聖人者也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「是れ或る人孔子を賛し、而うして孔子は謙を以て之をくるなり。何を以てか之を知る。若し人の之を賛する無からしめば、孔子突然として之を言う、是れ孔子仁聖を以て自らるなり。……聖とは聖人、仁とは仁人、聖なる者はの至り、仁なる者はこうの至りなり。……堯・舜・禹・湯・周公、豈に至りてこう至らざらんや。作者之を聖と謂う、と。礼楽を制作する、必ず前知する所有り。故に其の功の大いなる者を挙げて以て称と為すのみ。せいこう以下は、制作の事無し、故に仁人を以て之を称す。而うして孔子はつねに人を勉するに仁を以てするは、是れが為の故なり。……蓋しは、なり。是は、かくの如きなり。……蓋し孔子は自ら言う吾は仁聖に非ず、吾仁聖を学ぶなり、と。……公西華は深く孔子を知る、故に嘆じて曰く、正に云う所の如し、せきともがら学ぶも亦た能くせず、と」(是或人贊孔子、而孔子以謙承之也。何以知之。若使無人贊之、孔子突然而言之、是孔子以仁聖自處也。……聖者聖人、仁者仁人、聖者知之至、仁者行之至。……堯舜禹湯周公、豈知至而行不至哉。作者之謂聖。制作禮樂、必有所前知。故舉其功之大者以爲稱耳。成康以下、無制作之事、故以仁人稱之。而孔子毎勉人以仁、爲是故也。……蓋唯、是也。是、如是也。……蓋孔子自言吾非仁聖也、吾學仁聖也。……公西華深知孔子、故嘆曰、正如所云、赤輩學亦不能也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十