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八佾第三 11 或問禘之説章

051(03-11)
或問禘之説。子曰、不知也。知其説者之於天下也、其如示諸斯乎。指其掌。
あるひとていせつう。いわく、らざるなり。せつものてんけるや、これここしめすがごときか、と。たなごころす。
現代語訳
  • だれかが大祭のわけをきく。先生 ――「知らんです。それがわかっとれば世のなかのあつかいかたも、ここにのせたようでしょうな。」と手のひらをさした。(がえり善雄『論語新訳』)
  • ある人が禘の祭の意義をおたずねした。孔子様は、「わしは知らん。もし禘の意義を知る者が天下を治めたならば、そのよく治まることは、ここにのせて目に見るように確かなことじゃ。」と答えて、右の手の指で左の手の平をさされた。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • ある人がていの祭のことを先師にたずねた。すると先師は、自分の手のひらを指でさしながら、こたえられた。――
    「私は知らない。もし禘の祭のことがほんとうにわかっている人が天下を治めたら、その治績のたしかなことは、この手のひらにのせて見るより、明らかなことだろう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 或 … 「あるひと」と読む。ある人。
  • 禘 … 天子が郊外で上帝(天の神)を祭り、合わせて先祖も祭る大祭。
  • 説 … 意義。意味などの説明。
  • 示 … 視せる。「視」に同じ。
  • 斯 … たなごころを指す。
  • 指其掌 … 手のひらを指さす。ここから「しょう」(たなごころを指す。物事の容易なことの喩え)という成語の出典となった。
補説
  • 『注疏』に「此の章は国悪を諱むの礼を言うなり」(此章言諱國惡之禮也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 或問禘之説。子曰、不知也 … 『集解』に引く孔安国の注に「答うるに知らざるを以てするは、魯君の為に諱むなり」(荅以不知者、爲魯君諱也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「或る人孔子に禘を観ることを欲せざるを聞く、故に孔子に以て禘義の礼を知ることの旧説を求めんことを問うなり。孔子或る人に答えて云う、禘礼の旧説を知らざるなり、と。然る所以の者は、若し旧説に依りて之に答うれば、則ち魯礼にそむくの事顕らかなり。若し魯に依りて之を説けば、則ち又た正教に乖かん。既に魯の為にむ。故に知らずと云うなり。臣は国の為に悪を諱むは、則ち是れ礼なり」(或人聞孔子不欲觀禘、故問孔子以求知禘義禮舊説也。孔子荅或人云、不知禘禮舊說也。所以然者、若依舊說而荅之、則魯乖禮之事顯。若依魯而說之、則又乖正教。既爲魯諱。故云不知也。臣爲國諱惡、則是禮也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「或る人孔子に禘祭の礼、其の説の何如を問う。孔子答えて言う、禘礼の説を知らず、と。答うるに知らずを以てするは、魯の為に諱めばなり。国悪を諱むは、礼なり。若し其れ之を説けば、当に禘の礼は、昭穆を序すと云うべし。時に魯は僖公をのぼせ、昭穆を乱す。之を説けば則ち国の悪を彰らかにす。故に但だ知らずと言うなり」(或人問孔子禘祭之禮、其説何如。孔子答言、不知禘禮之説。答以不知者、爲魯諱。諱國惡、禮也。若其説之、當云禘之禮、序昭穆。時魯躋僖公、亂昭穆。説之則彰國之惡。故但言不知也)とある。また『集注』に「先王の本に報じ遠きを追うの意、禘より深きは莫し。仁孝誠敬の至りに非ざれば、以て此にあずかるに足らず、或人の及ぶ所に非ざるなり。而して王たらざれば禘せずの法は、又た魯の当に諱むべき所の者なり。故に知らざるを以て之に答う」(先王報本追遠之意、莫深於禘。非仁孝誠敬之至、不足以與此、非或人之所及也。而不王不禘之法、又魯之所當諱者。故以不知答之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 知其説者之於天下也、其如示諸斯乎 … 『集解』に引く包咸の注に「孔子或人に謂いて言う、禘礼の説を知る者は、天下の事に於けるも、指示するに掌中の物を以てするが如し、と。其のさとり易きを言うなり」(孔子謂或人言、知禘禮之說者、於天下之事、指示以掌中之物。言其易了也)とある。また『義疏』に「孔子国の為に諱みて、答うるに知らざるを以てす。遂に更には説かざれば、則ち千載の後、長く禘礼は聖の知らざる所と為ると言い、此の事永絶す。故に更に或人に向かいて其の方便を陳ぶるなり。言うこころは若し禘の説を知らんと欲せば、其れ自ら難からず。天下の人に於いて知らざること莫きなり。人人皆知ること、示すに掌中の物を以てするが如し。知らず了る者無きなり。故に之を云う、天下に於けるや、其れこれここに示すが如きか、と。斯は、此なり。此は、此れ孔子の掌中なり」(孔子爲國諱而荅以不知。遂更不說、則千載之後、長言禘禮爲聖所不知、此事永絕。故更向或人陳其方便也。言若欲知禘說、其自不難。於天下之人莫不知矣。人人皆知、如示以掌中之物。無不知了者也。故云之、於天下也其如示諸斯也。斯、此也。此、此孔子掌中也)とある。また『注疏』に「諸は、於なり。斯は、此なり。孔子既に或る人に答うるに禘礼の説を知らずを以てするも、若し更に説かずんば、或る人己れ実に知らずと以為おもい、以て其の国悪を諱むを明らかにすること無きを恐れ、且つ後世に、禘祭の礼を聖人は知らずと以為おもいて、廃絶を致すを恐る、故に更に或る人の為に此れを言うなり。言うこころは我れ禘礼の説を知る者の、天下の事中に於けるや、其れ此の掌中の物を指示するが如し。其のさとり易きを言うなり」(諸、於也。斯、此也。孔子既答或人以不知禘禮之説、若不更説、恐或人以爲己實不知、無以明其諱國惡、且恐後世以爲、禘祭之禮、聖人不知、而致廢絶、故更爲或人言此也。言我知禘禮之説者、於天下之事中、其如指示於此掌中之物。言其易了也)とある。また『集注』に「示は、視と同じ」(示、與視同)とある。
  • 指其掌 … 『義疏』に「此れ記者の言う所、以て孔子の語を釈するなり。孔子既に云う、知り易くして掌をばす。又た一手を以て自ら指し申ばす所の掌、以て或人に示して云う、其れこれを此に示すが如きなり、と。是れ孔子自ら其の掌を指すなり」(此記者所言、以釋孔子語也。孔子既云、易知而申掌。又以一手自指所申之掌、以示或人云、其如示諸此也。是孔子自指其掌也)とある。また『注疏』に「此の句は弟子論語を作る時の言なり。当時孔子は一手を挙げて掌を伸ばし、一手を以て之を指さし、以て或る人に示して曰く、其れこれここに示すが如きか、と。弟子等の恐るらくは人これを斯に示すは何等の物を指示するを謂うかを知らず。故に此の一句を著すは、是の時夫子其の掌を指すを言うなり」(此句弟子作論語時言也。當時孔子舉一手伸掌、以一手指之、以示或人曰、其如示諸斯乎。弟子等恐人不知示諸斯謂指示何等物。故著此一句、言是時夫子指其掌也)とある。また『集注』に「其の掌を指すは、弟子、夫子の此を言いて自ら其の掌を指すを記す。其の明にして且つ易きを言うなり。蓋し禘の説を知れば、則ち理明らかならざる無く、誠いたらざること無くして、天下を治むること難からず。聖人此に於いて、豈に真に知らざる所有らんや」(指其掌、弟子記夫子言此而自指其掌。言其明且易也。蓋知禘之說、則理無不明、誠無不格、而治天下不難矣。聖人於此、豈真有所不知也哉)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「蓋し天下を治むるの本は、感応のまことに在りて、政刑智数を以て之を致し難し。故に徳の至り、誠の極まれるに非ざれば、則ち知るに禘の説をあずかり足らずして、天下を治むるに於いて、亦た私意妄作を以て、其の自ら治むるを幸いとすることを免れず」(蓋治天下之本、在感應之孚、而難以政刑智數致之。故非德之至、誠之極、則不足與知禘之説、而於治天下、亦不免以私意妄作、幸其自治)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「後世恵公郊廟を請うに及んで、遂に群公を祀るに皆天子の礼楽を用う。……天を郊祀するにこうしょくを配して周公を祀らず。天と后稷とは、魯の祀るを得る所に非ざれば、則ち恵公の請いにはじまることあきらかなり。後世の禘は、又た伯禽の時の禘に非ず。故に礼に非ずと曰う。……禘の説、朱子は仁孝誠敬の至りを以て之を言う。仁斎先生曰く、天下を治むるの本は、感応のまことに在り、と。是れ一端のみ。夫れ禘礼は伝えず。故に後世自ら其の説を知ると言う者は皆妄なり。大氐たいてい古聖人の道は、天道を奉じて以て之を行う。祖宗を尊んでこれを天に合し、礼楽刑政、皆其の命を受く。是れ其の大端なり。諸儒争って其の議論を高うすることを務め、而して其の大端をわする。我が取らざる所なり」(及後世惠公請郊廟、遂祀羣公皆用天子禮樂。……郊祀天配后稷而不祀周公。天與后稷、非魯所得祀、則昉乎惠公之請者審矣。後世之禘、又非伯禽時之禘。故曰非禮。……禘之説、朱子以仁孝誠敬之至言之。仁齋先生曰、治天下之本、在感應之孚。是一端耳。夫禘禮弗傳。故後世自言知其説者皆妄矣。大氐古聖人之道、奉天道以行之。尊祖宗合諸天、禮樂刑政、皆受其命。是其大端也。諸儒爭務高其議論、而遺其大端。我所不取也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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