八佾第三 10 子曰禘自既灌而往者章
050(03-10)
子曰、禘自既灌而往者、吾不欲觀之矣。
子曰、禘自既灌而往者、吾不欲觀之矣。
子曰く、禘は既に灌してより往は、吾之を観るを欲せず。
現代語訳
- 先生 ――「大祭も、おみきをまいたあとは、わしはもう見るのがイヤじゃ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「禘の祭も、降神あたりまではまだよいが、それ以後はだれてしまって、観ておられん。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「禘の祭は見たくないものの一つだが、それでも酒を地にそそぐ降神式あたりまでは、まだどうにかがまんができる。しかしそのあとはとても見ていられない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 禘 … 天子が郊外で上帝(天の神)を祭り、合わせて先祖も祭る大祭。
- 灌 … 鬱鬯という香気の強い酒を地に灌いで神を招く。
- 而往 … 「以後」に同じ。
- 不欲観 … 見るに堪えない。見る気がしない。理由について、古注では木主(位牌)の並べ方が礼にかなっていないためとし、新注では魯の君や臣に緊張感がなくなったためとする。
補説
- 『注疏』に「此の章は魯の禘祭の非礼の事を言う」(此章言魯禘祭非禮之事)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 禘自既灌而往者 … 『集解』に引く孔安国の注に「禘・祫の礼に、昭・穆を序するを為すなり。故に毁廟の主、及び群廟の主は、皆太祖に合食す。灌すとは、鬱鬯を酌み、太祖に灌ぎて以て神を降すなり。既に灌するの後に、尊卑を別ち、昭穆を序す」(禘祫之禮、爲序昭穆也。故毁廟之主、及羣廟之主、皆合食於太祖。灌者、酌鬱鬯、灌於太祖以降神也。既灌之後、別尊卑、序昭穆)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此の章は、魯の祭の礼を失するを明らかにするなり。禘とは、大祭の名なり。周礼に四時の祭の名あり、春をば祠と曰い、夏をば礿と曰い、秋をば嘗と曰い、冬をば蒸と曰う。又た四時の外、五年の中に、別に二つの大祭を作す、一をば禘と名づけ、一をば祫と名づく。而るを先儒之を論ずること同じからず、今は具に説かず、且つ注の梗概に依りて談ぜん。謂えらく禘たることは、諦なり、謂えらく昭穆を審諦するなり。灌とは、献なり、鬰鬯酒を酌みて尸に献す、地に灌ぎて以て神を求むるなり。礼に禘は必ず毀廟の主を以て陳ねて太祖の廟に在く、未毀廟の主も亦た太祖の廟に升げて、昭穆を序いで諦らかにす、而して後に共に堂上に合食す。未だ主の前に陳列せず、王と祝と太祖の廟の室中に入りて、酒を以て尸に献ず、尸以て祭りて地に灌ぎて以て神を求む。神を求むること竟わりて堂に出で、昭穆を列定して、備に祭の礼を成す」(此章、明魯祭失禮也。禘者、大祭名也。周禮四時祭名、春曰祠、夏曰礿、秋曰嘗、冬曰蒸。又四時之外、五年之中、別作二大祭、一名禘、一名祫。而先儒論之不同、今不具説、且依注梗概而談也。謂爲禘者、諦也、謂審諦昭穆也。灌者、獻也、酌鬰鬯酒獻尸、灌地以求神也。禮禘必以毀廟之主陳在太祖廟、未毀廟之主亦升於太祖廟、序諦昭穆、而後共合食堂上。未陳列主之前、王與祝入太祖廟室中、以酒獻尸、尸以祭灌於地以求神。求神竟而出堂、列定昭穆、備成祭禮)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「禘とは、五年の大祭の名なり。灌とは、将に祭らんとするとき、鬱鬯を太祖に酌み、以て神を降すなり。既に灌するの後、尊卑を列し、昭穆を序す」(禘者、五年大祭之名。灌者、將祭、酌鬱鬯於太祖、以降神也。既灌之後、列尊卑、序昭穆)とある。また『集注』に引く趙匡の注に「禘は、王者の大祭なり。王者既に始祖の廟を立て、又た始祖の自りて出づる所の帝を推し、之を始祖の廟に祀りて、始祖を以て之に配するなり。成王、周公の大なる勲労有るを以て、魯に重祭を賜う。故に禘を周公の廟に得て、文王を以て出づる所の帝と為して、周公を之に配す。然れども礼に非ざるなり。灌すとは、祭の始めに方り、鬱鬯の酒を用い、地に灌ぎ以て神を降すなり」(禘、王者之大祭也。王者既立始祖之廟、又推始祖所自出之帝、祀之於始祖之廟、而以始祖配之也。成王以周公有大勳勞、賜魯重祭。故得禘於周公之廟、以文王爲所出之帝、而周公配之。然非禮矣。灌者、方祭之始、用鬱鬯之酒、灌地以降神也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 吾不欲観之矣 … 『集解』に引く孔安国の注に「而るに魯逆祀を為して僖公を躋らしめ、昭穆を乱す。故に之を観るを欲せざるなり」(而魯爲逆祀躋僖公、亂昭穆。故不欲觀之矣)とある。また『義疏』に「時に魯家逆祀す。尸主飜次し、灌する時に当たりて、未だ昭穆を列せず。猶お観る可きもの有り。既に灌して以後、列を逆にして已に定む。故に孔子云う、観るを欲せざるなり、と。往は、猶お後のごときなり。祫を言わずして唯だ禘を云うことは、爾の時の見る所に随うなり」(時魯家逆祀。尸主飜次、當於灌時、未列昭穆。猶有可觀。既灌以後、逆列已定。故孔子云、不欲觀也。往、猶後也。不言祫唯云禘者、隨爾時所見也)とある。また『注疏』に「而るに魯は逆祀して僖公を躋せ、昭穆を乱す、故に孔子曰く、禘祭は既に灌してより已往は、吾は則ち之を観るを欲せざるなり、と」(而魯逆祀躋僖公、亂昭穆、故孔子曰、禘祭自既灌已往、吾則不欲觀之也)とある。また『集注』に引く趙匡の注に「魯の君臣、此の時に当たり、誠意未だ散ぜず、猶お観る可きもの有り。此れより以後、則ち浸く以て懈怠して、観るに足るもの無し。蓋し魯の祭は礼に非ず、孔子本より観るを欲せず。此に至りて礼を失うの中、又た礼を失す。故に此の歎を発するなり」(魯之君臣、當此之時、誠意未散、猶有可觀。自此以後、則浸以懈怠、而無足觀矣。蓋魯祭非禮、孔子本不欲觀。至此而失禮之中、又失禮焉。故發此歎也)とある。また宮崎市定は「恐らく其後に續くものは多くの祭禮に伴いがちな無禮講だったのであろう」と推測している(『論語の新研究』187頁)。
- 『集注』に引く謝良佐の注に「夫子嘗て曰く、我、夏の道を観んと欲す。是の故に杞に之くも徴するに足らざるなり。我、商の道を観んと欲す。是の故に宋に之くも徴するに足らざるなり、と。又た曰く、我、周の道を観るに、幽・厲之を傷る。吾、魯を舎てて何くにか適かん。魯の郊・禘は、礼に非ざるなり。周公其れ衰えたり、と。之を杞宋に考うれば已に彼の如く、之を当今に考うれば又た此くの如し。孔子の深く歎ずる所以なり」(夫子嘗曰、我欲觀夏道。是故之杞而不足徴也。我欲觀商道。是故之宋而不足徴也。又曰、我觀周道、幽厲傷之。吾舍魯何適矣。魯之郊禘、非禮也。周公其衰矣。考之杞宋已如彼、考之當今又如此。孔子所以深歎也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「実は本なり。文は末なり。此の実有りて、而る後に此の文有り。此の文有りて、而る後に此の礼有り。苟くも此の実無ければ、則ち礼文も皆虚ろのみ。魯は侯国を以て、敢えて天子の礼を用う。其の実亡きこと甚だし。宜なり、夫子の之を観ることを欲せざること。其の之を観ることを欲せずと曰うは、甚だ之を嫉めるの辞なり」(實本也。文末也。有此實、而後有此文。有此文、而後有此禮。苟無此實、則禮文皆虚而已。魯以侯國、敢用天子之禮。其亡實甚矣。宜夫子之不欲觀之也。其曰不欲觀之者、甚嫉之之辭)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「禘の礼は伝えを失す。故に其の詳は得て知る可からず。然れども灌は神を降す所以なり。……蓋し孔子の禘に於ける、其の大なる者を観んと欲し、而して其の小なる者を観んと欲せず、本を貴ぶなり。……又た朱註に、誠意未だ散ぜず、浸く以て懈怠するを以て之を解する如きは、大いに其の義を失せり」(禘禮失傳。故其詳不可得而知矣。然灌所以降神也。……蓋孔子之於禘、欲觀其大者、而不欲觀其小者、貴本也。……又如朱註以誠意未散浸以懈怠解之、大失其義矣)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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