左遷至藍関示姪孫湘(韓愈)
左遷至藍關示姪孫湘
左遷せられて藍関に至り、姪孫湘に示す
左遷せられて藍関に至り、姪孫湘に示す
- 〔テキスト〕 『全唐詩』巻三百四十四、『朱文公校昌黎先生文集』巻十(『四部叢刊 初編集部』所収)、『唐詩別裁集』巻十五、他
- 七言律詩。天・千・年・前・邊(平声先韻)。
- ウィキソース「左遷至藍關示姪孫湘」参照。
- 左遷 … それまでの官位から低い官位に下げられること。戦国時代、左より右を尊いとしたことから。元和十四年(819)、唐の憲宗は仏教を厚く信仰し、仏骨を宮中に迎えて三日間の供養をした。韓愈は「仏骨を論ずる表」(論仏骨表)を憲宗に奉って諫言した。その結果、憲宗の怒りを買い、潮州(広東省)刺史に左遷された。
- 藍関 … 藍田関。長安の東南、藍田県(陝西省藍田県)の峡谷にある関所。
- 姪孫 … 甥の子ども。自分の兄弟姉妹の孫。「姪」は、おい。日本語の「姪」の意ではない。
- 湘 … 韓愈の次兄韓介の孫。『全唐詩』には題下に「湘、愈姪十二郎之子、登長慶三年進士第」とある。
- 韓愈 … 768~824。中唐の詩人・文章家。河陽(河南省孟州市)の人。字は退之。昌黎(河北省)の人と自称した。諡は文公。貞元八年(792)、進士に及第。唐宋八大家のひとり。柳宗元とともに古文復興につとめた。『韓昌黎集』四十巻、『外集』十巻がある。ウィキペディア【韓愈】参照。
一封朝奏九重天
一封 朝に奏す 九重の天
- 一封 … 一通の上奏文。ここでは「仏骨を論ずる表」のこと。
- 朝奏 … 朝に奉った。朝に奏上された。
- 九重天 … 宮廷・宮殿を指す。宮殿の門を九つ重ねて作ってあることから。また天が九重であるとされることから。『楚辞』の「九弁」に「君の門九重を以てす」(君之門以九重)とある。ウィキソース「楚辭/九辯」参照。
夕貶潮州路八千
夕べに潮州に貶せらる 路八千
- 夕貶 … 夕方には左遷された。
- 潮州 … 今の広東省潮州市。韓愈の左遷された土地。ウィキペディア【潮州市】参照。
- 州 … 『全唐詩』には「一作陽」とある。
- 路八千 … 八千里の道のり。長安から潮州までの距離を指す。実際は五千六百二十五里(約三千キロメートル)であったという。
欲爲聖明除弊事
聖明の為に 弊事を除かんと欲す
- 聖明 … 聖徳明知の天子。聡明な天子。ここでは憲宗を指す。
- 明 … 『全唐詩』では「朝」に作る。
- 弊事 … 弊害のあること。ここでは仏舎利(仏骨)を宮中に迎えることをいう。
肯將衰朽惜殘年
肯えて衰朽を将て 残年を惜しまんや
- 衰朽 … 老いて衰えた身体。
- 将 … 「以」と同じ。
- 残年 … 老いて残り少ない寿命。
雲橫秦嶺家何在
雲は秦嶺に横たわりて 家何くにか在る
- 秦嶺 … 長安の南の秦嶺山脈。またその首峰である終南山を指すこともある。
- 家何在 … わが家がどこにあるのかわからない。
雪擁藍關馬不前
雪は藍関を擁して 馬前まず
- 擁 … 雪が包み込むように関所を埋め尽くしている様子。
- 馬不前 … 馬が前に進もうとしない。
知汝遠來應有意
知る 汝が遠く来たる 応に意有るべし
- 知 … 私にはわかる。
- 汝遠来 … お前がはるばるやって来たのは。
- 応有意 … きっと心に何か期するところがあってのことだろう。
- 応 … 「まさに~すべし」と読み、「きっと~であろう」と訳す。再読文字。強い推量の意を示す。
好收吾骨瘴江邊
好し 吾が骨を収めよ 瘴江の辺に
- 好 … ~するがよい。
- 収 … 拾い集める。
- 瘴江 … 熱病の毒気立ち込める川。「瘴」は、南方の山川から生じる毒気。
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