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公冶長第五 9 宰予晝寝章

101(05-09)
宰予晝寢。子曰、朽木不可雕也。糞土之牆、不可杇也。於予與何誅。子曰、始吾於人也、聽其言而信其行。今吾於人也、聽其言而觀其行。於予與改是。
さいひるぬ。いわく、きゅうぼくからず。ふんしょうは、からず。いてかなんめん。いわく、はじわれひとけるや、げんきておこないをしんぜり。いまわれひとけるや、げんきておこないをる。いてかれをあらたむ。
現代語訳
  • 宰予(サイヨ)がひるま寝ていた。先生 ――「くさった木は彫り物にならぬわ。ゴミ土のヘイでは、コテがあてられぬ。予のやつときては、責めがいがない。」また ―― 「これまでわしは人を、いうとおりにするものと信じていた。これからわしは人の、いうこととすることをくらべてみる。予のせいだな、そうなったのは。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • さいがひるねをしたので、孔子様がことごとくお立腹で、「くちた木はちょうこくのしようがなく、べいの土台がくそまじりのどろでは上塗うわぬりしてもしかたがない。さい〕のようなしょうのくさった者は小言をいう張合はりあいもないわい」としかられたが、ややあってまたおっしゃるよう、「わしは今まで人をるのにその言葉を聴いただけでその行いもそうあろうと信じたものだが、今後はその言葉を聴いただけでなくそのその行いを観た上で信用することにしよう。〔宰予〕で失敗したから、方針を変えた。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • さいが昼寝をしていた。すると先師がいわれた。――
    「くさった木には彫刻はできない。ぼろ土の塀はうわ塗りをしてもだめだ。おまえのようななまけ者を責めても仕方がない」
    それから、しばらくしてまたいわれた。――
    「これまで私は、誰でもめいめい口でいうとおりのことを実行しているものだとばかり信じてきたのだ。しかしこれからは、もうそうは信じていられない。いうことと行なうこととが一致しているかどうか、それをはっきりつきとめないと、安心ができなくなってきた。おまえのような人間もいるのだから」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 宰予 … 前522~前458(一説に前489)。孔子の弟子、宰我のこと。姓は宰。名は予。あざなは子我。魯の人。孔門十哲のひとり。弁論にすぐれていた。後に斉のりんの大夫となった。ウィキペディア【宰我】参照。
  • 昼寝 … 『集注』に「昼に当って寝ぬるを謂う」とある。「寝」は寝室に入って寝床で眠ることをいう。「ぬ」と訓読したが「しんす」とも訓読できる。
  • 朽木 … 腐った木。
  • 雕 … 「える」と読む。彫刻すること。『義疏』では「彫」に作る。
  • 糞土 … 腐った土。
  • 牆 … 土塀。
  • 杇 … こてで壁を塗る。
  • 糞土之牆不可杇 … 腐った土のかべは、上塗りがきかない。心のくさった怠け者は教育する甲斐がない。
  • 於予与 … 宰予に対して。「予」は宰予。「与」は「か」と読み、語勢を強めるための助字。
  • 何誅 … 反語の形。どうして責めようか、責めまい。「誅」は、叱責する。
  • 始 … 今まで。以前には。
  • 於人 … 人に対して。
  • 聴 … 注意して聞くこと。
  • 於予与 … 宰予のことで。「与」は「か」と読む。
  • 改是 … 人を見る評価の仕方を改めた。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人に学をすすむるなり」(此章勉人學也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 宰予 … 『孔子家語』七十二弟子解に「宰予は、あざなは子我、ひと口才こうさい有りて名を著す」(宰予、字子我、魯人。有口才著名)とある。口才は、弁舌の才能に優れていること。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「宰予、字は子我。利口べんなり」(宰予字子我。利口辯辭)とある。弁辞は、弁舌に長けていること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 宰予昼寝 … 『集解』に引く包咸の注に「宰予は、弟子の宰我なり」(宰予、弟子宰我也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「寝は、眠なり。宰予学ぶをおこたりて昼寝するなり」(寢、眠也。宰予惰學而晝寢也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「弟子の宰我、昼日にしんするなり」(弟子宰我晝日寢寐也)とある。また『集注』に「昼ぬは、昼に当たりてぬるを謂う」(晝寢、謂當晝而寐)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子曰、朽木不可雕也 … 『集解』に引く包咸の注に「朽は、腐なり。彫は、彫琢し刻画するなり」(朽、腐也。彫、彫琢刻畫也)とある。また『義疏』に「孔子、宰予の昼眠るを責む。故に之が為に譬えを作すなり。朽は、敗爛なり。彫は、彫鏤刻画するなり。夫れ名工巧匠、彫刻する所は、唯だ好木に在るのみなれば、則ち其の器乃ち成る。若し工を爛朽の木に施せば、則ち其の器成らず。故に云う、朽木は彫る可からず、と」(孔子責宰予晝眠。故爲之作譬也。朽、敗爛也。彫、彫鏤刻畫也。夫名工巧匠所彫刻、唯在好木、則其器乃成。若施工於爛朽之木、則其器不成。故云、朽木不可彫)とある。また『注疏』に「此れ孔子の宰我を責むるの辞なり。朽は、腐なり。彫は、彫琢して刻画するなり。杇は、こてぬるなり。腐爛の木は、彫琢刻画して以て器物を成す可からざるを言う」(此孔子責宰我之辭也。朽、腐也。彫、彫琢刻畫也。杇、鏝也。言腐爛之木、不可彫琢刻畫以成器物)とある。また『集注』に「朽は、腐なり。雕は、刻画するなり」(朽、腐也。雕、刻畫也)とある。
  • 糞土之牆、不可杇也 … 『集解』に引く王粛の注に「杇は、こてなり。二者は、功を施すと雖も、猶お成らざるを喩うるなり」(杇、墁也。二者、喩雖施功、猶不成也)とある。また『義疏』に「牆は、牆壁を謂うなり。杇は、之を杇鏝するを謂い、之をして泥を平らかならしむるなり。夫れ牆壁を杇鏝するに、若し牆壁の土堅実ならば、則ち平泥こうしょくなるのみは易し。若し糞土の牆を鏝すれば、則ち頹壊して平らかならず。故に云う、杇る可からざるなり、と。此の二者を言う所以は、言うこころは汝今昼に当たりて寝すれば、復た教う可からず。譬えば爓木と糞土牆との功を施す可からざるが如きなり」(牆、謂牆壁也。杇、謂杇鏝之使之平泥也。夫杇鏝牆壁、若牆壁土堅實者、則易平泥光餝耳。若鏝於糞土之牆、則頹壞不平。故云、不可杇也。所以言此二者、言汝今當晝而寢、不可復教。譬如爓木與糞土牆之不可施功也)とある。また『注疏』に「糞土の牆は、かいを為し易く、まんもてべきして以て華美を成す可からざるなり。此の二者は、以て人の道を学ぶや、当に尺璧せきへきを軽んじて寸陰を重んずべきを喩うるなり。今や乃ち廃惰して昼寝するは、功を施し之に教えんと欲すと雖も、亦た終に成ること無きなり」(糞土之牆、易爲垝壞、不可杇鏝塗塓以成華美。此二者、以喩人之學道、當輕尺璧而重寸陰。今乃廢惰晝寢、雖欲施功教之、亦終無成也)とある。また『集注』に「杇は、鏝なり。言うこころは其の志気こんにして、教えの施す所無きなり」(杇、鏝也。言其志氣昏惰、敎無所施也)とある。
  • 於予与何誅 … 『集解』に引く孔安国の注に「誅は、責なり。今我当に何ぞ汝を責むべけんや。深く之を責むるの辞なり」(誅、責也。今我當何責於汝乎。深責之辭也)とある。また『義疏』に「誅は、責なり。言うこころは責むる所の者は、当に知有るの人を責むべし。而るに今宰予知無し。則ち何ぞ責めんや。予は、宰予。与は、語助なり。責むるに足らざるを言うなり。言うこころは即ち是れ之を責むること深きなり」(誅、責也。言所責者、當責有知之人。而今宰予無知。則何責乎。予、宰予。與、語助也。言不足責也。言不足責即是責之深也)とある。また『注疏』に「誅は、責なり。与は、語辞なり。言うこころは宰我に於いて何ぞ責むるに足らんや。責む可きに足らずと謂うは、乃ち是れ之を責むること深きなり。然れども宰我は四科に処りて、而も孔子の深く責むるは、之に託して以て教えを設くるのみ。宰我は実に学を惰るの人には非ざるなり」(誅、責也。與、語辭。言於宰我何足責乎。謂不足可責、乃是責之深也。然宰我處四科、而孔子深責者、託之以設教。宰我非實惰學之人也)とある。また『集注』に「与は、語辞。誅は、責むるなり。責むるに足らざると言うは、乃ち深く之を責むる所以なり」(與、語辭。誅、責也。言不足責、乃所以深責之)とある。
  • 子曰、始吾於人也、聴其言而信其行 … 『義疏』に「始は、孔子の少年の時を謂うなり。孔子は世のはくの迹の、今の昔に異なるを歎ずるなり。昔時は猶お可のごとし、故に吾れわかき時に人の言う所を聞き、便ち其の能く行い有ることを信ず、故に而して其の行いを信ずと云うなり」(始、謂孔子少年時也。孔子歎世醨薄之迹、今異昔也。昔時猶可、故吾少時聞於人所言、便信其能有行、故云而信其行也)とある。また『注疏』に「与も亦た語辞なり。宰予嘗て夫子に謂いて己学に勤むと言うも、今は乃ち昼寝し、是れ言と行いと違えるを以て、故に孔子之を責めて曰く、始前は吾れ人に於けるや、其の言う所を聴きて即ち其の行いを信ずるは、人は皆言・行相うと以為おもえばなり」(與亦語辭。以宰予嘗謂夫子言己勤學、今乃晝寢、是言與行違、故孔子責之曰、始前吾於人也、聽其所言即信其行、以爲人皆言行相副)とある。
  • 子曰 … 『集注』に引く胡寅の注に「子曰は、疑うらくは衍文ならん。然らざれば、則ち一日の言に非ざるなり」(子曰、疑衍文。不然則非一日之言也)とある。
  • 今吾於人也、聴其言而観其行 … 『義疏』に「今は、孔子の末時を謂うなり。復た言を聴きて行いを信ぜず、乃ち更に言を聴きて必ず又た須らく其の行いを観見かんけんすべきなり」(今、謂孔子末時也。不復聽言信行、乃更聽言而必又須觀見其行也)とある。また『注疏』に「今後は吾れ人に於けるや、其の言を聴くと雖も、更めて其の行いを観、其の相副うを待ちて、然る後に之を信ず。宰予の昼に寝ね、言・行の相違うに発するに因る」(今後吾於人也、雖聽其言、更觀其行、待其相副、然後信之。因發於宰予晝寢、言行相違)とある。
  • 於予与改是 … 『集解』に引く孔安国の注に「是を改むは、始め言を聴き行を信ずるも、今あらためて言を、行を観る。宰我の昼寝にこるなり」(改是、始聽言信行、今更察言觀行。發於宰我晝寢也)とある。また『義疏』に「是は、比なり。言うこころは我復た言を聴きて行を信ぜざる所以なり。而して更に言を聴き行を観る者の為に、宰予を起こして改めて此を為す。宰予を起こして改むる所以の者は、我当に宰予を信ずべく、是れ学を勤むるの人、必ず懶惰ならざるを謂う。今忽ち正昼にして寝すれば、則ち此くの如きの徒、居然として復た信ず可からず。故に我をして并せて復た時人を信ぜざらしむるなり」(是、比也。言我所以不復聽言信行。而更爲聽言觀行者、起於宰予而改爲此。所以起宰予而改者、我當信宰予、是勤學之人、謂必不懶惰。今忽正晝而寢、則如此之徒、居然不復可信。故使我幷不復信於時人也)とある。また『注疏』に「是れを改むは、言を聴きて行いを信ずるを、言を察して行いを観るにあらたむるなり」(改是、聽言信行、更察言觀行也)とある。また『集注』に「宰予能く言いて、行およばず。故に孔子自ら言う、予の事に於いて、此の失を改む、と。亦た以て重ねて之をいましむるなり」(宰予能言、而行不逮。故孔子自言、於予之事、而改此失。亦以重警之也)とある。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「君子の学に於ける、れ日〻孜孜ししとして、たおれて後に已む。惟だ其の及ばざるを恐るるなり。宰予昼寝ぬ、自ら棄つること孰れかこれより甚だしからん。故に夫子之を責む」(君子之於學、惟日孜孜、斃而後已。惟恐其不及也。宰予晝寢、自棄孰甚焉。故夫子責之)とある。
  • 『集注』に引く胡寅の注に「宰予、志を以て気をひきいること能わず、居然としてむ。是れ宴安の気まさり、儆戒けいかいの志おこたるなり。古えの聖賢、未だ嘗てかい荒寧を以ておそれと為し、勤励まずして自らつとめずんばあらず。此れ孔子の深く宰予を責むる所以なり。言を聴き行を観るとは、聖人是を待ちて後能くせず、亦た此に縁りてことごとく学者を疑うに非ず。だ此に因りて教を立て、以て群弟子をいましめ、言を謹みて行に敏ならしむるのみ」(宰予不能以志帥氣、居然而倦。是宴安之氣勝、儆戒之志惰也。古之聖賢、未嘗不以懈惰荒寧爲懼、勤勵不息自強。此孔子所以深責宰予也。聽言觀行、聖人不待是而後能、亦非緣此而盡疑學者。特因此立敎、以警羣弟子、使謹於言而敏於行耳)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「言を聴きて行を信ず。人を待するの誠は、自ら当にくの如くなるべし。言を聴きて行を観る。人を観るの法、亦た当に此くの如くなるべし。二つの者並び行われて、相害せず。初めより其の言を聴きて全く其の行を信ずるに非ざるなり。亦た此れに縁りて尽く学者を疑うに非ざるなり。蓋し聖人の心は猶お造化の妙、物に随いて形を賦し、或はつちかい或いは覆いて、各〻其の材に因るがごとし。其の予に於いて是を改むと言う者は、まさに宰我の事に因りて発するのみ」(聽言信行。待人之誠、自當如此。聽言觀行。觀人之法、亦當如此。二者並行、而不相害。初非聽其言而全信其行也。亦非緣此而盡疑學者也。蓋聖人之心猶造化之妙、隨物賦形、或培或覆、各因其材。其言於予改是者、適因宰我之事而發耳)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「古来以てひるねたりとるは、非なり。……宰予ひるしんすとは、昼しんるなり。昼寝に処るは、蓋し言う可からざる者有り。……是れ昼ぬること、豈に深く之を責む可けんや。後世の儒者は、童子をあつめて講習し、其のきんとくし、みだりにおもいて以ておもえらく孔子の宰我を責むること、亦た猶お我のごときなりと、故に此の解をすのみ」(古來以爲晝寐、非也。……宰予晝寢、晝處于寢也。晝處于寢、蓋有不可言者焉。……是晝寐、豈可深責之乎。後世儒者、聚童子講習、督其勤惰、妄意以謂孔子之責宰我、亦猶我也、故爲此解耳)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十