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寄黄幾復(黄庭堅)

寄黃幾復
こうふく
こう庭堅ていけん
  • 〔テキスト〕 『豫章黄先生文集』巻九(『四部叢刊 初編集部』所収)、他
  • 七言律詩。能・燈・肱・藤(平声蒸韻)。
  • ウィキソース「寄黄幾復」参照。
  • 元豊八年(1085)、四十一歳の作。
  • 黄幾復 … 名はかい。幾復はあざな。作者と同郷で同族、少年時代からの親友。この時、幾復は広州かいけん(広東省)の知事であった。元祐三年(1088)没。
  • 寄 … ここでは手紙を送り届ける。
  • 黄庭堅 … 1045~1105。北宋の詩人、書家。洪州分寧(江西省修水県)の人。あざなちょく、号は山谷さんこく道人どうじん。治平四年(1067)、二十三歳で進士に及第。蘇軾の門下生で、蘇門四学士の第一といわれた。師と合わせて蘇黄と並称される。江西詩派の祖。書においては北宋四大家の一人に数えられ、特に草書に優れるとされる。また、おうりょうの禅僧晦堂かいどうしんに禅を学んだ。わが国では、蘇軾とともに五山の禅僧に愛読された。ウィキペディア【黄庭堅】参照。
我居北海君南海
われ北海ほっかいり きみ南海なんかい
  • 北海 … この詩が作られた時、黄庭堅は山東省徳平鎮の長官をしていた。渤海湾に近いためこう言ったもの。
  • 南海 … 黄幾復がいた広東省四会県は南シナ海に近いためこう言ったもの。
寄鴈傳書謝不能
かりせてしょつたえんとするも あたわざるをしゃ
  • 寄雁伝書 … 雁に託して手紙を届けようとしたが。前漢の武将蘇武そぶ(前140~前60)は匈奴に捕えられ、十九年間も北海に幽閉された。蘇武は雁の足に手紙を結んで都へ消息を知らせ、帰国することができたという故事を踏まえる。ウィキペディア【蘇武】参照。
  • 謝不能 … そこまでは行けないと断られた。「謝」は断る。
桃李春風一杯酒
とう しゅんぷう 一杯いっぱいさけ
  • 桃李 … 桃や、すももの花の下で。
  • 春風 … 春風に吹かれながら。
  • 一杯酒 … 一杯の酒を酌み交わしたものだった。
江湖夜雨十年燈
こう 夜雨やう じゅうねんともしび
  • 江湖 … かつて故郷の江西豫章で。
  • 夜雨 … 雨の夜などに。
  • 十年灯 … 君と十年勉学の灯を共にした。
持家但有四立壁
いえするも りつかべるのみ
  • 持家 … 私は何とか生計を維持しているが。
  • 四立壁 … 部屋には何もなく、周囲に壁が立っているだけという貧しい様子。『史記』司馬相如伝に「しょうじょすなわひとをしておも文君ぶんくんしゃたま殷勤いんぎんつうぜしむ。文君ぶんくんよるげてしょうじょはしる。しょうじょすなわともせてせいかえる。きょへきつのみ」(相如乃使人重賜文君侍者通殷勤。文君夜亡奔相如。相如乃與馳歸成都。家居徒四壁立)とあるのに基づく。ウィキソース「史記/卷117」参照。
治病不蘄三折肱
やまいなおすに たびひじるをもとめず
  • 治病 … 病気をなおす。
  • 三折肱 … 何度も試行錯誤を繰り返して名医になれる。転じて、成功するには苦労が必要だという喩え。『春秋左氏伝』定公十三年に「斉のこうきょう曰く、三たびひじを折りて、良医と為ることを知る」(齊高彊曰、三折肱知爲良醫)とあるのに基づく。
  • 不蘄 … 求めない。自分は苦労してまで成功したいとは望まない、の意。ここを「君(黄幾復)は優秀だから苦労しなくとも成功できる」という解釈もあるが、ここでは採らない。
想得讀書頭已白
おもたり しょんで かしらすでしろ
  • 想得 … 思うに。察するに。
  • 読書 … 読書にふけりつつ。
  • 頭已白 … もう髪の毛も白くなっているだろう。
隔溪猿哭瘴煙藤
たにへだててさるこくさん しょうえんふじ
  • 隔渓猿哭 … 谷川を隔てて、猿の啼き叫ぶ声(を聞きながら)。
  • 瘴煙 … 南方の山川から立ち込める毒気。これに当たるとマラリアなどの熱病や皮膚病にかかるという。
  • 藤 … 藤蔓ふじづるにすがって。藤蔓の間から。
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