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水調歌 第一畳(張子容)

水調歌 第一疊
すい調ちょう だいいちじょう
ちょうよう
  • 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻二十七・雑曲歌辞、『楽府詩集』巻七十九・近代曲辞、『古今詩刪』巻二十二(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、61頁)、『唐詩品彙』巻五十五、他
  • 七言絶句。西・低・鼙(平声齊韻)。
  • ウィキソース「全唐詩/卷027」「樂府詩集/079卷」参照。
  • 詩題 … 『全唐詩』『楽府詩集』『唐詩品彙』では、みな無名氏の作とする。
  • 水調歌 … 楽府題。水調は、商調(五音音階の第二音。五音は、宮・商・角・・羽)曲で、隋の煬帝が江都に幸して作られたと伝えられている。『楽府詩集』巻七十九・近代曲辞に十一畳(畳は、同じ旋律の繰り返し)収録されており、前五畳が「歌」、後五畳が「にゅう」と呼ばれる。一畳の歌詞は七言絶句一首にあたる。本詩はその第一畳。『楽府詩集』に「楽苑に曰く、水調は商調の曲なり。旧説に、水調・河伝は、隋の煬帝が江都にみゆきする時に製する所なり。曲成り之を奏せば、声韻怨切えんせつなり。王令、言聞いて其の弟子に謂って曰く、但だ去声有りて回韻無し。帝は返らざらん。後意に其の言の如し。按ずるに唐の曲は凡そ十一畳にして、前の五畳は歌たり、後の六畳は入破たり。其れ歌、第五畳五言調、声最も怨切たり。故に白居易の詩に云く、五言一遍最も殷勤なり、調少なく情多くして因有るに似たり。会せず当時翻曲の意、此の声はらわたは断つ何人の為ぞ、と。唐には又た新水調有り、亦た商調の曲なり」(樂苑曰、水調商調曲也。舊說、水調河傳、隋煬帝幸江都時所製。曲成奏之、聲韻怨切。王令言聞而謂其弟子曰、但有去聲而無囘韻。帝不返矣。後意如其言。按唐曲凡十一疊、前五疊爲歌、後六疊爲入破。其歌、第五疊五言調、聲最爲怨切。故白居易詩云、五言一遍最殷勤、調少情多似有因。不會當時翻曲意、此聲腸斷爲何人。唐又有新水調、亦商調曲也)とある。ウィキソース「樂府詩集/079卷」参照。なお、白居易の詩は「歌を聴く六絶句 水調」(『白氏文集』巻六十八)。ウィキソース「聽歌六絕句:水調」参照。
  • この詩は、辺塞に遠征した将兵の感慨を詠んだもの。
  • 張子容 … 生没年不詳。盛唐の詩人。襄陽(今の湖北省襄陽市)の人。玄宗の先天二年(713)、進士に及第。楽成県(楽城県ともいう。今の浙江省楽清市)の尉となった。晩年は郷里に隠棲した。孟浩然と親しかった。ウィキソース「唐才子傳/卷1」、ウィキペディア【張子容】参照。
平沙落日大荒西
へい落日らくじつ 大荒たいこう西にし
  • 平沙 … 広く平らな砂漠。「沙」は「砂」と同じ。李華の「せんじょうとむらぶん」(『古文真宝』後集、巻五)に「浩浩こうこうとしてへいかぎく、はるかにひとず」(浩浩乎平沙無垠、敻不見人)とある。ウィキソース「弔古戰場文」参照。また南朝梁の何遜の「慈姥磯じぼき」(『古詩源』巻十三、『古詩紀』巻九十四)に「がんへいがっし、連山れんざんえんかぶ」(野岸平沙合、連山遠霧浮)とある。こちらの平沙は、平らな河原の砂地。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷094」参照。
  • 落日 … 日は落ちて。
  • 大荒 … 大地の果て。古代、王城の周囲を五百里ごとに区切って定めた五つの地域を五服といい、近くから順にでん服・侯服・すい服・要服・荒服といった。『書経』禹貢篇に「五百里は荒服。三百里はばん、二百里はりゅう」(五百里荒服。三百里蠻、二百里流)とある。ウィキソース「尚書/禹貢」参照。また『山海経』大荒西経に「大荒のうちに山有り、名づけて大荒の山と曰う。日月の入る所なり」(大荒之中有山、名曰大荒之山。日月所入)とある。ウィキソース「山海經 (四部叢刊本)/卷第十六」参照。また「呉都の賦」(『文選』巻五)に「大荒の中より出で、東極の外に行く」(出乎大荒之中、行乎東極之外)とある。ウィキソース「吳都賦」参照。
隴上明星高復低
ろうじょう明星めいせい たかひく
  • 隴上 … 隴山の上。隴山は、陝西省と甘粛省との境にある山脈で、長安から西北の辺境に入る関門に当たっている。『読史方輿紀要』に引く『秦州記』に「隴山ろうざん東西とうざいひゃくはちじゅうやまいただきのぼりて秦川しんせん東望とうぼうすれば、四五しごひゃくきょくもく泯然びんぜんたり。山東さんとうひと行役こうえきし、これのぼりてせんするもの悲思ひしせざるし」(隴山東西百八十里、登山巓東望秦川、四五百里、極目泯然。山東人行役、升此而顧瞻者、莫不悲思)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十二」参照。
  • 明星 … 明るい星。金星の俗称である明けの明星みょうじょうのことではない。『詩経』鄭風・女曰じょえつ鷄鳴けいめいの詩に「きてよ、明星めいせいらんたるり」(子興視夜、明星有爛)とある。ただし、こちらの明星は、明けの明星を指す。ウィキソース「詩經/女曰鷄鳴」参照。
  • 高復低 … (星が)或いは高く、或いは低く光り始めている。
孤山幾處看烽火
ざん 幾処いくしょほう
  • 孤山 … 一つだけぽつんとそびえている山。固有名詞ではない。孤山塞という地名は綏徳すいとく州(今の陝西省楡林市綏徳県)にあるが、隴山とは遠く離れている。『大明一統志』に「孤山寨は、綏徳すいとく州の北に在り」(孤山寨、在綏德州北)とある。ウィキソース「明一統志 (四庫全書本)/卷36」参照。
  • 幾処 … あちこちに。
  • 處 … 『古今詩刪』では「」に作る。異体字。
  • 看烽火 … のろしの上がるのが見えた。敵の来襲を知らせる。
  • 烽火 … のろし。烽煙。烽燧ほうすい。『漢書』賈誼伝に「斥候烽燧ほうすいを望んで、臥すことを得ず」(斥候望烽燧、不得臥)とあり、その注に「文穎曰く、辺方胡の寇に備うるに、高土櫓を作り、櫓上に桔皐を作り、桔皐は兜零を頭にし、薪草を以て其の中に置き、常には之をれ、寇有れば即ち火を然やし之を挙げ、以て相告ぐるを、烽と曰う。又多く薪を積み、寇至れば即ち之を燃やし、以て其の煙を望むを、燧と曰う。張晏曰く、昼は烽を挙げ、夜は燧をくなり。師古曰く、張が説は誤れり。昼は則ち燧を燔き、夜は則ち烽を挙ぐ」(文穎曰、邊方備胡寇、作高土櫓、櫓上作桔皐、桔皐頭兜零、以薪草置其中、常低之、有寇即火然舉之、以相告、曰烽。又多積薪、寇至即燃之、以望其煙、曰燧。張晏曰、晝舉烽、夜燔燧也。師古曰、張說誤也。晝則燔燧、夜則舉烽)とある。ウィキソース「漢書/卷048」参照。
戰士連營候鼓鼙
せん えいつらねてへいうかが
  • 戦士 … 戦をする兵士たち。戦士たち。『史記』秦本紀、孝公の条に「孝公こうこうここいてけいき、孤寡こかすくい、せんまねき、こうしょうあきらかにす」(孝公於是布惠、振孤寡、招戰士、明功賞)とある。ウィキソース「史記/卷005」参照。
  • 戰 … 『全唐詩』『楽府詩集』では「壯」に作り、「一作戰」とある。
  • 連営 … 軍営を連ねて。営は、軍営。陣営。幕舎。
  • 鼓鼙 … 出陣合図の太鼓。鼓は、太鼓。鼙は、騎兵が馬上で打ち鳴らす小太鼓で柄がある。『礼記』楽記篇に「へいこえかんなり、かんもっどうて、どうもっしゅうすすむ。くんへいこえけば、すなわしょうすいしんおもう」(鼓鼙之聲讙、讙以立動、動以進衆。君子聽鼓鼙之聲、則思將帥之臣)とある。讙は、かまびすしい。ウィキソース「禮記/樂記」参照。
  • 候 … 「つ」と読んでもよい。待ち望む。待ち構える。伺い待っている。
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