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塞下曲二首 其二(常建)

塞下曲二首 其二
さいきょく二首 其の二
じょうけん
  • 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻一百四十四、『常建集』巻下(『唐五十家詩集』所収)、『万首唐人絶句』七言・巻六十七(明嘉靖刊本影印、文学古籍刊行社、1955年)、『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、59頁)、『唐詩品彙』巻四十八、他
  • 七言絶句。來・堆・灰(平声灰韻)。
  • ウィキソース「塞下曲 (北海陰風動地來)」参照。
  • 詩題 … 『全唐詩』『唐五十家詩集本』『万首唐人絶句』『唐詩品彙』では「塞下曲四首 其二」に作る。『古今詩刪』では「塞下曲二首 其一」に作る。
  • 塞下曲 … 新楽府題。塞下は、辺境のとりでのあたりの意。『楽府詩集』巻九十二・新楽府辞・楽府雑題に収める楽曲の名。辺塞での戦闘や兵士の望郷の思いを詠う。古楽府の「出塞」「入塞」に似たもの。
  • この詩は、辺塞における戦場の悲惨な光景を詠んだもの。
  • 常建 … 生没年不詳。盛唐の詩人。長安(陝西省)の人といわれてきたが、はっきりしない。あざなは不詳。開元十五年(727)、王昌齢らとともに進士に及第。盱眙くい(江蘇省)の尉をつとめた。晩年は鄂渚がくしょ(湖北省)に隠棲して王昌齢・ちょうふんらと交際した。著に『常建詩集』二巻がある。ウィキペディア【常建】参照。
北海陰風動地來
北海ほっかい陰風いんぷう うごかしてきた
  • 北海 … 北方にある湖。海は、大きな湖の意。バイカル湖を指すという説がある。ウィキペディア【バイカル湖】参照。『荘子』秋水篇に「われ蓬蓬然として北海に起りて、南海に入るなり」(予蓬蓬然起於北海、而入於南海也)とある。ウィキソース「莊子/秋水」参照。また『漢書』蘇武伝に「武を北海のほとりの人無き処にうつす。おひつじを牧せしめ、ていにゅうせば乃ち帰るを得ん」(徙武北海上無人處。使牧羝、羝乳乃得歸)とある。羝乳は、雄の羊が子を産むこと。あり得ないことの喩え。ウィキソース「漢書/卷054」参照。
  • 陰風 … 陰気な風。冬の北風のこと。謝朓の「郡内登望」(『文選』巻三十)に「切切せつせつとして陰風いんぷうれ、桑柘そうしゃ寒煙かんえんおこる」(切切陰風暮、桑柘起寒煙)とある。桑柘は、桑の一種。ウィキソース「昭明文選/卷30」参照。
  • 陰 … 『万首唐人絶句』では「隂」に作る。異体字。
  • 動地来 … 大地を震動させて吹いてくる。「古詩十九首 其の十二」(『文選』巻二十九、『玉台新詠』巻一)に「迴風かいふううごかしておこり、しゅうそうせいとしてすでみどりなり」(迴風動地起、秋草萋已綠)とある。ウィキソース「東城高且長」参照。
明君祠上望龍堆
明君めいくんじょう りゅうたいのぞ
  • 明君 … 漢の元帝の宮女で美人の王昭君のこと。名はしょう。昭君はあざな。南郡秭帰しき(湖北省興山県)の人。晋代、文帝(司馬昭)のいみなを避けて「明君」「明妃」と呼ばれた。画工に賄賂を贈らなかったため、肖像画を醜く描かれ、匈奴に嫁入りさせられて、その地で死んだ。『西京雑記』に「元帝の後宮既に多く、常にはまみゆるを得ず。乃ち画工をして形をえがかしめ、図を案じ、召して之を幸す。諸宮人皆画工にまいないし、多き者は十万、少なき者も亦五万を減ぜず。独り王嬙のみがえんぜず、遂にまみゆるを得ず。匈奴入朝するや、美人を求めてえんと為さんとす。是に於いてしょう図を案じ、昭君を以て行かしむ。去るに及びて召見するに、ぼう後宮第一たり。善く応対し、挙止閑雅なり。帝之を悔ゆるも、名籍已に定まる。帝信を外国に重んず、故に復た人をえず。乃ち其の事を窮案し、画工皆棄市きしせらる。其の家資を籍するに皆巨万なり」(元帝後宮既多、不得常見。乃使畫工圖形、案圖、召幸之。諸宮人皆賂畫工、多者十萬、少者亦不減五萬。獨王嬙不肯、遂不得見。匈奴入朝、求美人爲閼氏。於是上案圖、以昭君行。及去召見、貌爲後宮第一。善應對、舉止閑雅。帝悔之、而名籍已定。帝重信於外國、故不復更人。乃窮案其事、畫工皆棄市。籍其家資皆巨萬)とある。ウィキソース「西京雜記/卷二」参照。ウィキペディア【王昭君】参照。
  • 祠上 … ほこらのあたり。王昭君の墓は、内モンゴル自治区フフホト市にある。墓の周りだけは青草が生えているので「せいちょう」と呼ばれる。ウィキペディア【昭君墓】(中文)参照。
  • 竜堆 … 白竜堆の略称。今の新疆ウイグル自治区東部、ロプノール湖の東にある砂漠。地形の起伏するさまが臥竜のように見えるところから名づけられたという。『漢書』匈奴伝に「はくりょうたいえて西辺せいへんあだするや」(能踰白龍堆而寇西邊哉)とある。ウィキソース「漢書/卷094下」参照。その注に「りょうたいかたちりょうしんごとく、あたまくしてり。たかだいなるものさんじょうひくものじょうみな東北とうほくむかいて、あいたり。西域せいいきちゅうり」(龍堆形如土龍身、無頭有尾。高大者二三丈。埤者丈餘。皆東北向、相似也。在西域中)とある。『漢書評林』巻九十四(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 望 … 眺める。遠望する。『万首唐人絶句』では「御」に作る。
髑髏盡是長城卒
どくことごと長城ちょうじょうそつ
  • 髑髏 … 風雨にさらされて肉が落ち、白骨になった頭蓋骨。されこうべ。しゃれこうべ。『荘子』至楽篇に「荘子楚にく。空なる髑髏の髐然こうぜんとして形有るを見る」(莊子之楚。見空髑髏髐然有形)とある。髐然は、肉が落ちつくし、白骨がくっきりと高く浮き出たさま。ウィキソース「莊子/至樂」参照。
  • 盡 … すべて。『全唐詩』『唐五十家詩集本』『万首唐人絶句』『古今詩刪』『唐詩品彙』では「皆」に作る。
  • 長城卒 … 万里の長城のほとりで戦死した兵士たちのものである。魏の陳琳の「うま長城ちょうじょういわやみずかうた」(『玉台新詠』巻一)に「きみひとずや長城ちょうじょうもとにん骸骨がいこつあい撐拄とうしゅするを」(君獨不見長城下、死人骸骨相撐拄)とある。撐拄は、重なり合って支えること。ウィキソース「飲馬長城窟行 (陳琳)」参照。
  • 長城 … 万里の長城。『史記』蒙恬伝に「しんすでてんあわせ、すなわ蒙恬もうてんをしてさんじゅうまんしゅうしょうとして、きたのかたじゅうてきい、なんおさめしむ。長城ちょうじょうきずき、けいり、もちいて険塞けんさいせいす。臨洮りんとうよりおこり、りょうとういたる。延袤えんぼうまん余里まん」(秦已幷天下、乃使蒙恬將三十萬衆、北逐戎狄、收河南。筑長城、因地形、用制險塞。起臨洮、至遼東。延袤萬餘里)とある。延袤は、連綿として途切れないこと。ウィキソース「史記/卷088」参照。
  • 卒 … 兵卒。下級の兵士。
日暮沙場飛作灰
にち じょう んではい
  • 日暮 … 日暮れ時。
  • 沙場 … (戦場としての)砂漠。後漢の蔡琰さいえんの「胡笳十八拍」(『楽府詩集』巻五十九、『楚辞後語』巻三)の第十七拍に「さいじょう黄蒿こうこうえだかわきたり、じょう白骨はっこつ刀痕とうこん箭瘢せんぱんあり」(塞上黃蒿兮枝枯葉乾、沙場白骨兮刀痕箭瘢)とある。箭瘢は、矢きずのあと。ウィキソース「胡笳十八拍」「樂府詩集/059卷」「楚辭集注 (四庫全書本)/後語卷3」参照。
  • 場 … 『古今詩刪』では「塲」に作る。異体字。
  • 飛作灰 … 灰となって飛び散ってゆく。
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