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陪族叔刑部侍郎曄及中書舎人賈至遊洞庭湖(李白)

陪族叔刑部侍郎曄及中書舍人賈至遊洞庭湖
ぞくしゅくけいろうようおよちゅうしょ舎人しゃじん賈至かしばいして洞庭どうていあそ
はく
  • 七言絶句。分・雲・君(平声文韻)。
  • ウィキソース「陪族叔刑部侍郎曄…… (洞庭西望楚江分)」参照。
  • 詩題 … 『全唐詩』『宋本』『繆本』『蕭本』『郭本』『許本』『劉本』『王本』『万首唐人絶句』(両種とも)では「陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舎人至遊洞庭五首 其一」に作る。『唐詩品彙』では「陪族叔刑部侍郎曄及中書舎人賈至遊洞庭湖三首 其一」に作る。『唐詩別裁集』では「與賈舎人汎洞庭」に作る。『唐詩解』『唐宋詩醇』では「陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舎人至遊洞庭四首 其一」に作る。
  • 族叔 … 同族で父より年少の者。年長の者は、族伯という。ここでは李曄と同姓であったため、族叔と呼んだだけで実際に血縁関係はなかったものと思われる。
  • 刑部 … 尚書省の中のりくの一つ。刑罰および刑事行政をつかさどる。
  • 侍郎 … 官名。尚書省六部の次官。または門下省・中書省の次官。ここでは刑部の次官。長官は刑部尚書。ウィキペディア【侍郎】参照。
  • 曄 … 李曄。宗室(天子の一族)の子で、官は弘農太守から宗正卿(宮内大臣)に至った。賈至と親交があった。乾元二年(759)、宦官の李輔国に陥れられて刑部侍郎から嶺南(広東・広西一帯)の県尉に左遷された。『旧唐書』李峴伝に「鳳翔尹厳向及び李曄皆な嶺下の一尉におとさる」(鳳翔尹嚴向及李曄皆貶嶺下一尉)とある。ウィキソース「舊唐書/卷112」参照。
  • 中書舎人 … 官名。中書省に属し、詔勅の作成などをつかさどった。
  • 賈至 … 718~772。盛唐の詩人。洛陽(河南省)の人。あざなよう、一説には幼隣ようりんともいう。そうの子。開元二十三年(735)、李頎りき李華りかしょうえいらとともに進士に及第し、さらに天宝十載(751)、明経の科に及第した。ぜん(山東省)の尉をはじめ、起居舎人・知制誥などを歴任。至徳二載(757)、長安に帰って中書舎人となった。のちに岳州(湖南省岳陽市)の司馬に流されたが、宝応元年(762)、召還されて中書舎人に復帰した。大暦五年(770)、京兆尹兼御史大夫に進み、右散騎常侍に至って卒した。ウィキペディア【賈至】参照。
  • 陪 … 随従する。随行する。お伴する。
  • 洞庭湖 … 湖南省北部にある巨大な湖。湖南省の四大河川であるしょうこうすい沅江げんこう澧水れいすいが南と西から流入する。北は長江と連なっている。ウィキペディア【洞庭湖】参照。
  • この詩は、刑部侍郎の李曄と賈至が洞庭湖に舟を浮かべて遊んだとき、作者も同行して詠んだもの。李曄は嶺南の県尉に流される途中であり、賈至は岳州(湖南省岳陽市)の司馬に流され、洞庭湖畔にいた。李白は夜郎(貴州省北部)へ流罪となって向かっていた途中、巫山に至って恩赦の知らせを聞き、岳州あたりまで戻ってきていた。乾元二年(759)秋、五十九歳の作。
  • 李白 … 701~762。盛唐の詩人。あざなは太白。蜀の隆昌県青蓮郷(四川省江油市青蓮鎮)の人。青蓮居士と号した。科挙を受験せず、各地を遊歴。天宝元年(742)、玄宗に召されて翰林かんりん供奉ぐぶ(天子側近の文学侍従)となった。しかし、玄宗の側近で宦官の高力士らに憎まれて都を追われ、再び放浪の生活を送った。杜甫と並び称される大詩人で「詩仙」と仰がれた。『李太白集』がある。ウィキペディア【李白】参照。
洞庭西望楚江分
洞庭どうてい 西にしのぞめば こうわか
  • 洞庭 … 洞庭湖から。
  • 西望 … 西の方を眺めると。
  • 楚江 … 長江の湖南・湖北省一帯の川を指す。楚は、春秋戦国時代、楚の国が長江中流の地を領有していたことから。
  • 分 … 分流する。分かれて流れる。ここでは長江が岳陽市の城陵磯で二つに分かれ、その一方が洞庭湖に流入することを指す。
水盡南天不見雲
みずきて 南天なんてん くも
  • 水尽 … 湖面が尽きる。湖水が尽きる。空と水が交わる所、水平線を指す。
  • 南天 … 南の空。
  • 不見雲 … 一点の雲も見えない。晴れわたっているさま。
日落長沙秋色遠
ちて ちょう 秋色しゅうしょくとお
  • 日落 … 日が落ちると。日が沈むと。
  • 長沙 … 今の湖南省長沙市。湖南省の省都。洞庭湖の南方、湘江下流の東岸に位置する。隋唐代から元代までは潭州とも呼ばれた。前漢の賈誼かぎが流されたところとしても有名。『読史方輿紀要』歴代州域形勢、唐上、潭州の条に「漢、長沙国と曰う。隋、潭州と曰う。唐、之に因る。亦た長沙郡と曰う」(漢曰長沙國。隋曰潭州。唐因之。亦曰長沙郡)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五」参照。ウィキペディア【長沙市】参照。『中国歴史地図集 第五冊』(地図出版社、1982年、国学导航「元和方镇图:潭州」38~39頁④4、「江南西道:潭州」57~58頁④5)参照。
  • 秋色遠 … 秋の景色が遠くまで続いている。
不知何處弔湘君
らず いずれのところにか しょうくんとむらわん
  • 不知何処弔湘君 … さて、どの辺りで湘君の霊を弔ったらよいのだろうか。
  • 處 … 『唐詩別裁集』では「䖏」に作る。『古今詩刪』では「」に作る。いずれも異体字。
  • 湘君 … 洞庭湖に注ぐ湘水の女神のこと。堯帝の二人の娘、姉のこうと妹の女英じょえいは、ともに舜帝の妃となったが、舜帝が没した時、その後を追って湘水に身を投げて死に、水神になったという。姉を湘君、妹を湘夫人と呼ぶ。後世、二人を総称して、湘君・湘夫人・湘霊・湘妃・湘娥などという。また、湘君を男神、湘夫人を女神とし、二人を夫婦とする説もある。なお、ここでは姉妹を合わせて湘君と呼んだものと思われる。『楚辞』九歌に「湘君」「湘夫人」の歌がある。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
  • 『全唐詩』巻一百七十九(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
  • 『李太白文集』巻十八(静嘉堂文庫蔵宋刊本影印、平岡武夫編『李白の作品』所収、略称:宋本)
  • 『李太白文集』巻十八(ぼくえつ重刊、雙泉草堂本、略称:繆本)
  • 『分類補註李太白詩』巻二十(しょういん補注、内閣文庫蔵、略称:蕭本)
  • 『分類補註李太白詩』巻二十(蕭士贇補注、郭雲鵬校刻、『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:郭本)
  • 『分類補註李太白詩』巻二十(蕭士贇補注、許自昌校刻、『和刻本漢詩集成 唐詩2』所収、略称:許本)
  • 『李翰林集』巻十九(景宋咸淳本、劉世珩刊、江蘇広陵古籍刻印社、略称:劉本)
  • 『李太白全集』巻二十(王琦編注、『四部備要 集部』所収、略称:王本)
  • 『万首唐人絶句』七言・巻二(明嘉靖刊本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十三(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻四十七(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
  • 『唐詩別裁集』巻二十(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、54頁)
  • 『唐詩解』巻二十五(清順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐宋詩醇』巻七(乾隆二十五年重刊、紫陽書院、内閣文庫蔵)
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