李衛公問対 卷上〔四〕
卷上〔四〕
太宗曰、奇正素分之歟、臨時制之歟。
太宗曰く、「奇正は素よりこれを分かつか。時に臨んでこれを制するか」。
靖曰、案、曹公新書曰、己二而敵一、則一術爲正、一術爲奇。己五而敵一、則三術爲正、二術爲奇。此言大略爾。唯孫武云、戰勢不過奇正、奇正之變、不可勝窮。奇正相生、如循環之無端。孰能窮之。斯得之矣。安有素分之邪。
靖曰く、「案ずるに、曹公の新書に曰く、おのれ二にして敵一ならば、すなわち一術を正となし、一術を奇となせ。おのれ五にして敵一ならば、すなわち三術を正となし、二術を奇となせ、と。これ大略を言うのみ。ただ孫武云く、戦いの勢いは奇正に過ぎざるも、奇正の変は、勝げて窮むべからず。奇正相生ずること、循環の端なきがごとし。孰かよくこれを窮めんや、と。これこれを得たり。安んぞ素よりこれを分かつことあらんや。
- 案 … 『直解』では「按」に作る。
- 爾 … 『直解』では「耳」に作る。
- 邪 … 『直解』では「耶」に作る。
若士卒未習吾法、偏裨未熟吾令、則必爲之二術、教戰時、各認旗鼓、迭相分合。故曰、分合爲變。此教戰之術爾。教閲既成、衆知吾法、然後如驅羣羊、由將所指。孰分奇正之別哉。孫武所謂、形人而我無形、此乃奇正之極致。是以素分者教閲也。臨時制變者、不可勝窮也。
もし士卒いまだわが法に習わず、偏裨いまだわが令に熟さざれば、すなわち必ずこれを二術となし、戦いを教うる時、おのおの旗鼓を認めて、迭いに相分合せしむ。故に曰く、分合して変をなす、と。これ戦いを教うるの術のみ。教閲すでに成り、衆、わが法を知りて、しかる後に群羊を駆るがごとく、将の指すところによるのみ。孰か奇正の別を分かたんや。孫武がいわゆる、人を形せしめてわれに形なしとは、これすなわち奇正の極致なり。ここをもって素より分ける者は教閲なり。時に臨んで変を制する者は、勝げて窮むべからざるなり」。
太宗曰、深乎、深乎。曹公必知之矣。但新書所以授諸將而已。非奇正本法。
太宗曰く、「深きかな、深きかな。曹公必ずこれを知れり。ただ新書は諸将に授くるゆえんのみ。奇正の本法にあらず」。
太宗曰、曹公曰、奇兵旁撃。卿謂若何。
太宗曰く、「曹公曰う、奇兵は旁より撃つ、と。卿、いかに謂うか」。
靖曰、臣按、曹公注孫子曰、先出合戰爲正、後出爲奇。此與旁撃之説異焉。臣愚謂、大衆所合爲正、將所自出爲奇。烏有先後旁撃之拘哉。
靖曰く、「臣按ずるに、曹公、孫子を注して曰く、先ず出でて合し戦うを正となし、後に出ずるを奇となす、と。これ旁より撃つの説と異なれり。臣愚にして謂えらく、大衆の合するところを正となし、将のみずから出だすところを奇となす。いずくんぞ先後旁より撃つの拘りあらんや」。
- 説 … 底本では「拘」に作るが、『直解』に従い改めた。
- 先 … 底本では「失」に作るが、『直解』に従い改めた。
太宗曰、吾之正、使敵視以爲奇、吾之奇、使敵視以爲正。斯所謂形人者歟。以奇爲正、以正爲奇、變化莫測。斯所謂無形者歟。
太宗曰く、「われの正、敵をして視てもって奇となさしめ、われの奇、敵をして視てもって正となさしむ。これいわゆる人を形せしむる者か。奇をもって正となし、正をもって奇となし、変化測ることなし。これいわゆる形なき者か」。
靖再拜曰、陛下神聖、逈出古人。非臣所及。
靖再拝して曰く、「陛下は神聖にして、迥かに古人に出ず。臣の及ぶところにあらず」。