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史記 司馬穣苴列伝第四

五帝本紀第一 楚元王世家第二十
司馬穣苴列伝第四 田単列伝第二十二
    
 司馬しば穣苴じょうしょ列伝れつでん第四
司馬穰苴者、田完之苗裔也。齊景公時、晉伐阿甄、而燕侵河上。齊師敗績。景公患之。晏嬰乃薦田穰苴曰、穰苴雖田氏庶孽、然其人文能附眾、武能威敵。願君試之。景公召穰苴與語兵事、大説之、以爲將軍、將兵扞燕晉之師。穰苴曰、臣素卑賤。君擢之閭伍之中、加之大夫之上、士卒未附、百姓不信、人微權輕。願得君之寵臣、國之所尊、以監軍乃可。於是景公許之、使莊賈往。
司馬しば穣苴じょうしょは、田完でんかん苗裔びょうえいなり。せい景公けいこうのとき、しんけんち、しかもえん河上かじょうおかす。斉の師敗績はいせきす。景公けいこう、これをうれう。晏嬰あんえいすなわちでん穣苴じょうしょすすめて曰く、「穣苴じょうしょは、田氏でんし庶孽しょげつなりといえども、しかれどもその人、文はよく衆をけ、武はよく敵をおどす。願わくはきみ、これを試みよ」と。景公、穣苴じょうしょを召し、ともに兵事へいじを語り、大いにこれをよろこび、もって将軍となし、兵をひきいてえんしんの師をふせがしむ。穣苴曰く、「臣はもと卑賤なり。きみ、これを閭伍りょごうちよりぬきんで、これを大夫の上に加うるも、士卒いまだ附かず、百姓ひゃくせい信ぜず、人は微にして権はかろし。願わくはきみ寵臣ちょうしん、国の尊ぶところを得て、もって軍をかんせしめば、すなわち可ならん」と。ここにおいて景公これを許し、荘賈そうかをしてかしむ。
穰苴既辭、與莊賈約曰、旦日、日中會於軍門。穰苴先馳至軍、立表下漏待賈。賈素驕貴。以爲將己之軍、而己爲監不甚急。親戚左右送之、畱飮。日中而賈不至。穰苴則仆表決漏、入行軍勒兵、申明約束。約束既定。夕時莊賈乃至。穰苴曰、何後期爲。賈謝曰、不佞。大夫親戚送之。故畱。穰苴曰、將受命之日、則忘其家、臨軍約束、則忘其親、援枹鼓之急、則忘其身。今敵國深侵、邦内騷動、士卒暴露於境。君寢不安席、食不甘味。百姓之命、皆懸於君。何謂相送乎。召軍正問曰、軍法期而後至者云何。對曰、當斬。莊賈懼、使人馳報景公請救。
穣苴じょうしょすでに辞し、荘賈そうかと約して曰く、「旦日たんじつ、日中に軍門に会せん」と。穣苴じょうしょ先ずせて軍に至り、ひょうを立てろうくだを待つ。はもと驕貴きょうきなり。しょうはすでに軍にゆき、しかもおのれはかんたりと以為おもい、はなはだしくは急がず。親戚左右これを送るに、留飲りゅういんす。日中にして至らず。穣苴じょうしょすなわちひょうたふろうを決し、入りて軍をめぐり兵をろくし、約束を申明しんめいす。約束すでに定まる。夕時せきじ荘賈そうかすなわち至る。穣苴じょうしょ曰く、「なんぞ期に後るるをなす」と。謝して曰く、「不佞ふねいなり。大夫の親戚これを送る。ゆえに留まる」と。穣苴じょうしょ曰く、「しょうめいを受くるの日には、すなわちその家を忘れ、軍にのぞみ約束せば、すなわちその親を忘れ、枹鼓ふこること急なればすなわちその身を忘る。いま敵国深くおかし、邦内ほうない騒動し、士卒しそつさかいに暴露す。きみねて席に安んぜず、くらいてあじわいうましとせず。百姓ひゃくせいいのちみなきみかかる。何ぞあい送ると謂わんや」と。軍正ぐんせいを召して問うて曰く、「軍法にして後れて至る者はいかん」と。こたえて曰く、「ざんに当る」と。荘賈そうかおそれ、人をしてせて景公に報じ、救いをわしむ。
既往、未及反。於是遂斬莊賈、以徇三軍。三軍之士、皆振慄。久之、景公遣使者持節赦賈。馳入軍中。穰苴曰、將在軍君令有所不受。問軍正曰、軍中不馳。今使者馳、云何。正曰、當斬。使者大懼。穰苴曰、君之使、不可殺之。乃斬其僕、車之左駙、馬之左驂、以徇三軍。遣使者還報、然後行。
すでにき、いまだかえるに及ばず。ここにおいてついに荘賈そうかを斬り、もって三軍にとなう。三軍の士、みな振慄しんりつす。これを久しくして、景公、使者をつかわし、節を持しゆるさしむ。せて軍中に入る。穣苴じょうしょ曰く、「しょう、軍にありてはきみれいも受けざるところあり」と。軍正ぐんせいに問うて曰く、「軍中にはせず。今、使者するはいかん」と。せい曰く、「ざんに当る」と。使者大いにおそる。穣苴じょうしょ曰く、「きみの使いは、これを殺すべからず」と。すなわちそのぼくと車の左駙さふと馬の左驂ささんを斬り、もって三軍にとなう。使者をつかわしかえり報ぜしめ、しかるのちく。
  • 軍中不馳。今使者馳、云何 … 中華書局本では「馳三軍法何」に作る。
士卒次舎、井竈飮食、問疾醫藥、身自拊循之、悉取將軍之資糧享士卒、身與士卒平分糧食、最比其羸弱者。三日而後勒兵、病者皆求行、爭奮出爲之赴戰。晉師聞之、爲罷去。燕師聞之、度水而解。於是追撃之、遂取所亡封内故境、而引兵歸。未至國、釋兵旅、解約束、誓盟而後入邑。景公與諸大夫郊迎、勞師成禮、然後反歸寢。既見穰苴、尊爲大司馬。
士卒しそつ次舎じしゃ井竈せいそう飲食、しつを問い医薬すること、身みずからこれを拊循ふじゅんし、ことごとく将軍の資糧しりょうを取り士卒にきょうし、身は士卒と糧食を平分へいぶんし、もっともその羸弱るいじゃくなる者にす。三日にしてのち、兵をろくするに、病者もみな行かんことを求め、争いふるでこれがために戦いにおもむかんとす。しんの師これを聞き、ためにめ去る。えんの師これを聞き、水をわたりてく。ここにおいてこれを追撃ついげきし、ついにうしなう所の封内ほうない故境こきょうを取りて、兵を引きて帰る。いまだ国に至らざるに、兵旅へいりょき、約束をき、誓盟せいめいしてのちゆうる。景公、諸大夫しょたいふこうに迎え、師をねぎらい礼を成し、しかるのちかえりて帰寝きしんす。すでに穣苴じょうしょを見、たっとびて大司馬だいしばとなす。
田氏日以益尊於齊。已而大夫鮑氏高國之屬害之、譖於景公。景公退穰苴。苴發疾而死。田乞田豹之徒、由此怨高國等。其後及田常殺簡公、盡滅高子國子之族。至常曾孫和、因自立爲齊威王。用兵行威、大放穰苴之法。而諸侯朝齊。齊威王使大夫追論古者司馬兵法、而附穰苴於其中。因號曰司馬穰苴兵法。
田氏でんし日にもってますます斉にたっとし。すでにして大夫鮑氏ほうしこうこくぞくこれをねたみ、景公にしんす。景公、穣苴じょうしょを退く。しょやまいを発して死す。田乞でんきつ田豹でんひょうの徒、これによりこう国等こくらを怨む。そののち、田常でんじょう簡公かんこうを殺すに及び、ことごとく高子こうし国子こくしの族をほろぼす。じょう曾孫そうそんに至り、いんみずから立ち、斉の威王いおうとなる。兵をもちい威を行なうに、大いに穣苴じょうしょの法にならう。しこうして諸侯、斉にちょうす。斉の威王いおう、大夫をしていにしえの司馬の兵法へいほう追論ついろんせしめ、しこうして穣苴じょうしょをそのうちす。よりてなづけて司馬穣苴じょうしょ兵法へいほうう。
太史公曰、余讀司馬兵法、閎廓深遠、雖三代征伐、未能竟其義。如其文也、亦少裦矣。若夫穰苴區區爲小國行師、何暇及司馬兵法之揖讓乎。世既多司馬兵法。以故不論。著穰苴之列傳焉。
太史公たいしこう曰く、、司馬の兵法へいほうを読むに、閎廓こうかく深遠、三代の征伐といえども、いまだその義をくすあたわず。その文のごとくなるや、また少しくほうす。かの穣苴じょうしょ区区くくとして小国のために師をるがごときに、何ぞ司馬の兵法へいほう揖譲ゆうじょうに及ぶいとまあらんや。、すでに司馬の兵法へいほう多し。ゆえをもって論ぜず。穣苴じょうしょの列伝をあらわす。