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蛍雪の功

    
蛍雪けいせつこう
  • 〔出典〕 『蒙求』孫康映雪・車胤聚螢、『晋書』列伝五十三・車胤
  • 〔解釈〕 苦労して勉学に励んだその成果。「―なってみごと合格する」(Yahoo!辞書 大辞泉 【蛍雪の功】)蛍窓雪案とも。
〔蒙求、孫康映雪 車胤聚螢〕
孫氏世録曰、康家貧無油。常映雪讀書。少小清介、交遊不雜。後至御史大夫。
孫氏世録そんしせろくいわく、こういえひんにしてあぶらし。つねゆきてらしてしょむ。少小しょうしょうより清介せいかいにして、交遊こうゆうざつならず。のち御史ぎょし大夫たいふいたる。
晉車胤字武子、南平人。恭勤不倦、博覽多通。家貧不常得油。夏月則練囊盛數十螢火、以照書、以夜繼日焉。
しん車胤しゃいんあざな武子ぶし南平なんぺいひとなり。恭勤きょうきんにしてまず、博覧はくらん多通たつうなり。いえひんにしてつねにはあぶらず。夏月かげつにはすなわ練囊れんのう数十すうじゅう蛍火けいかり、もっしょらし、もっぐ。
桓温在荊州、辟爲從事。以辯識義理、深重之。稍遷征西長史、遂顯於朝廷。時武子與呉隱之、以寒素博學知名于世、又善於賞會。當時毎有盛坐、而武子不在、皆云、無車公不樂。終吏部尚書。
桓温かんおん荊州けいしゅうり、して従事じゅうじす。義理ぎり弁識べんしきするをもって、ふかこれおもんず。ようや征西せいせい長史ちょうしうつり、つい朝廷ちょうていあらわる。とき武子ぶし呉隠之ごいんし寒素かんそ博学はくがくもっられ、また賞会しょうかいし。当時とうじ盛坐せいざごとに、武子ぶしらざれば、みなく、車公しゃこうければたのしまず、と。吏部りぶ尚書しょうしょわる。
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