鶏口と為るも牛後と為る無かれ
鶏口と為るも牛後と為る無かれ
- 〔出典〕 『史記』蘇秦列伝、『十八史略』春秋戦国・趙
- 〔解釈〕 大きな団体の属員になるよりは、小さな団体でもその長になるほうがよい。
〔史記、蘇秦列伝〕
臣聞鄙諺曰、寧爲雞口、無爲牛後。今西面交臂而臣事秦、何異於牛後乎。夫以大王之賢、挾彊韓之兵、而有牛後之名、臣竊爲大王羞之。
臣聞く、鄙諺に曰く、寧ろ鶏口と為るとも、牛後と為る無かれ、と。今、西面し、臂を交えて秦に臣事するは、何ぞ牛後に異ならんや。夫れ大王の賢を以て、彊韓の兵を挟みて、而も牛後の名有るは、臣窃かに大王の為に之を羞ず、と。
〔十八史略、春秋戦国、趙〕
秦人恐喝諸侯求割地。有洛陽人蘇秦、游説秦惠王不用。乃往説燕文侯、與趙從親。燕資之、以至趙。説肅侯曰、諸侯之卒、十倍於秦。幷力西向、秦必破矣。爲大王計、莫若六國從親以擯秦。肅侯乃資之、以約諸侯。蘇秦以鄙諺説諸侯曰、寧爲雞口、無爲牛後。於是六國從合。
秦人、諸侯を恐喝して地を割かんことを求む。洛陽の人、蘇秦というもの有り、秦の恵王に游説して用いられず。乃ち往いて燕の文侯に説き、趙と従親せしむ。燕之に資し、以て趙に至らしむ。粛侯に説いて曰く、諸侯の卒、秦に十倍せり。力を幷せて西に向わば、秦必ず破れん。大王の為に計るに、六国従親して以て秦を擯くるに若くは莫し、と。粛侯乃ち之に資し、以て諸侯に約せしむ。蘇秦、鄙諺を以て諸侯に説いて曰く、寧ろ鶏口と為るとも、牛後と為る無かれ、と。是に於て六国従合す。