管鮑の交わり
管鮑の交わり
- 〔出典〕 『史記』管晏列伝
- 〔解釈〕 《中国、春秋時代の管仲と鮑叔牙が変わらぬ友情を持ち続けたという「列子」力命や「史記」管晏列伝の故事から》非常に仲のよい友人づきあい。(Yahoo!辞書 大辞泉 【管鮑の交わり】)
管仲夷吾者、潁上人也。少時常與鮑叔牙游。鮑叔知其賢。管仲貧困、常欺鮑叔、鮑叔終善遇之、不以爲言。
管仲夷吾は、潁の上の人なり。少かりし時常に鮑叔牙と游ぶ。鮑叔其の賢なるを知る。管仲貧困、常に鮑叔を欺くも、鮑叔は終に善く之を遇し、以て言を為さず。
已而鮑叔事齊公子小白、管仲事公子糾。及小白立爲桓公、公子糾死、管仲囚焉。鮑叔遂進管仲。管仲既用、任政於齊。齊桓公以霸。九合諸侯、一匡天下、管仲之謀也。
已にして鮑叔は斉の公子小白に事え、管仲は公子糾に事う。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚えらる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用いられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり。諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
管仲曰、吾始困時、嘗與鮑叔賈。分財利、多自與。鮑叔不以我爲貪。知我貧也。吾嘗爲鮑叔謀事而更窮困。鮑叔不以我爲愚。知時有利不利也。吾嘗三仕三見逐於君。鮑叔不以我爲不肖。知我不遭時也。
管仲曰く、吾始め困しみし時、嘗て鮑叔と賈す。財利を分かつに、多く自ら与う。鮑叔、我を以て貪と為さず。我が貧なるを知れればなり。吾嘗て鮑叔の為に事を謀るも、更に窮困す。鮑叔、我を以て愚と為さず。時に利不利有るを知れればなり。吾嘗て三たび仕え三たび君に逐わる。鮑叔、我を以て不肖と為さず。我が時に遭わざるを知れればなり。
吾嘗三戰三走。鮑叔不以我爲怯。知我有老母也。公子糾敗、召忽死之。吾幽囚受辱。鮑叔不以我爲無恥。知我不羞小節、而恥功名不顯于天下也。生我者父母、知我者鮑子也。
吾嘗て三たび戦いて三たび走る。鮑叔、我を以て怯と為さず。我に老母有るを知れればなり。公子糾敗れ、召忽之に死す。吾幽囚せられ辱めを受く。鮑叔、我を以て無恥と為さず。我が小節に羞じずして、功名天下に顕れざるを恥ずるを知れればなり。我を生みし者は父母なるも、我を知れる者は鮑子なり、と。
鮑叔既進管仲、以身下之。子孫世祿於齊、有封邑者十餘世、常爲名大夫。天下不多管仲之賢、而多鮑叔能知人也。
鮑叔、既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世に斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫たり。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。