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子張第十九 20 子貢曰紂之不善章

491(19-20)
子貢曰、紂之不善、不如是之甚也。是以君子惡居下流。天下之惡皆歸焉。
こういわく、ちゅうぜんは、くのごとはなはだしからざるなり。ここもっくんりゅうることをにくむ。てんあくみなこれすればなり。
現代語訳
  • 子貢 ――「暴君紂(チュウ)の悪事も、それほどひどくはなかったんだが…。だから人間は落ちるとよくない。世のなかの悪を、みんなしょいこむから。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • こうの言うよう、「いんちゅうおう暴君ぼうくん悪王あくおうの標本のようにいわれるが、実際は評判されるほどひどくもなかったのだろう。ただそのたびかさなったぜん行状ぎょうじょうのために、あれもちゅうの悪政、これも紂の淫乱いんらんということになり、残忍ざんにんどうとんにされてしまったのであって、ちょうど地形の低い所にすいが集りたまるようなものだ。それ故君子は下流の地ともいうべき不善のきょうぐうに身を置くことをきらう。天下の悪名が皆一身に集るからである。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子貢がいった。――
    いんちゅうおうの悪行も実際はさほどではなかったらしい。しかし、今では罪悪の溜池ででもあったかのようにいわれている。だから君子は道徳的低地にいて、天下の衆悪が一身に帰せられるのをにくむのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子貢 … 前520~前446。姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 紂 … 殷の最後の王。名は辛。けつとともに暴君の代表。ウィキペディア【帝辛】参照。
  • 不善 … よくないこと。ここでは、悪行。暴政。
  • 不如是之甚也 … それほどひどいものではなかっただろう。
  • 是以 … 「ここをもって」と読み、「こういうわけで」「このゆえに」「それゆえに」「だから」と訳す。「以是」は「これをもって」と読み、「この点から」「これにより」「これを用いて」と訳す。
  • 下流 … 川下。ここでは、社会的に低い地位。道徳的に不利な地位。
  • 焉 … 「これに」と読み、「これに」と訳す。一字で「於是」「於此」の意を示し、文末におかれる。また、訓読せずに「~なのだ」「~にちがいない」と訳してもよい。こちらの場合は、語調を整え、断定の語気を示す助詞となる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人の悪を為すを戒むるなり」(此章戒人爲惡也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 紂之不善、不如是之甚也 … 『義疏』に「此れ以下は是れ第五、子貢の語、自ら五章有り。紂とは、殷家の無道の君なり。無道にして国を失う。而る後世是の悪事を。皆云う、是れ紂昔為す所なり。然れども紂昔者悪を為す、実に応に頓に此くの如く之れ甚だしかるべからず。故に云う、是くの如く之れ甚だしからざるなり、と」(此以下是第五子貢語、自有五章。紂者、殷家無道君也。無道失國。而後世經是惡事。皆云、是紂昔所爲。然紂昔者爲惡、實不應頓如此之甚。故云、不如是之甚也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「紂の名は辛、字は受徳、商の末世の王なり。悪を為して不道、周の武王の殺す所となる。謚法にては、義をそこない善をそこなうを紂と曰う。言うこころは商紂は不善を為して以て天下をうしなうと雖も、亦た此くの如く之れ甚だしからざるなり、乃ち後人憎みて之を甚だしくするのみ」(紂名辛、字受德、商末世之王也。爲惡不道、周武王所殺。謚法、殘義損善曰紂。言商紂雖爲不善以喪天下、亦不如此之甚也、乃後人憎甚之耳)とある。
  • 不善 … 『義疏』では「不善也」に作る。
  • 是以君子悪居下流。天下之悪皆帰焉 … 『集解』に引く孔安国の注に「紂は不善を為して、以て天下をうしなう。後世之を憎むこと甚だし。皆天下の悪を以て之を紂に帰すればなり」(紂爲不善、以喪天下。後世憎甚之。皆以天下之惡歸之於紂也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「下流は、悪行を為して人の下に処る者を謂うなり。言うこころは紂遍くは衆悪を為さず。而して天下の悪事皆是れ紂の為す所と云う。故に君子身を立つるに、人の下流に居るを為すをにくむ。若し一たび下流に居れば、則ち天下の罪并せて之に帰するなり」(下流、謂爲惡行而處人下者也。言紂不遍爲衆惡。而天下之惡事皆云是紂所爲。故君子立身、惡爲居人下流。若一居下流、則天下之罪幷歸之也)とある。また『注疏』に「下流とは、悪行を為して人の下に処るを謂う。地形の卑下なれば、則ち衆流の帰する所となるが若し。人の悪を為して下に処るは、衆悪の帰する所なり。ここを以て君子常に善を為して、悪を為さざるは、下流に居るを悪むが故なり。紂は悪行を為して、下流に居れば、則ち人は皆天下の悪を以て之を紂に帰するなり」(下流者、謂爲惡行而處人下。若地形卑下、則衆流所歸。人之爲惡處下、衆惡所歸。是以君子常爲善、不爲惡、惡居下流故也。紂爲惡行、居下流、則人皆以天下之惡歸之於紂也)とある。また『集注』に「下流は、地形卑下の処にして、衆流の帰する所なり。人身に汚賤の実有り、亦た悪名の聚まる所なるを喩うるなり。子貢此を言いて、人の常に自ら警省し、一たびも其の身を不善の地に置く可からざるを欲するなり。紂は本と罪無くして、虚しく悪名を被ると謂うには非ざるなり」(下流、地形卑下之處、衆流之所歸。喩人身有汚賤之實、亦惡名之所聚也。子貢言此、欲人常自警省、不可一置其身於不善之地。非謂紂本無罪、而虚被惡名也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「言うこころは紂まことに不善なり。然れども後世称する所の甚だしきが如くならざるなり。苟くも人一たび身を不善の地に置くときは、則ち自ら衆悪の叢と為る。慎まざる可けんや。ここを以て君子は高明に処ることを好みて、下流に居ることをにくむなり」(言紂固不善。然不如後世所稱之甚也。苟人一置身于不善之地、則自爲衆惡之叢。可不愼哉。是以君子好處高明、而惡居下流也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「君子は下流に居ることを悪む。紂のとうそうと為るを謂うなり。衆悪人紂に帰して紂之を受く。其の自ら為す所の悪は甚だしからずと雖も、衆悪人の為す所の悪は、皆紂の悪なり。故に天下の悪皆帰すと曰う。旧註皆其の解を得ず」(君子惡居下流。謂紂之爲逋逃藪也。衆惡人歸紂而紂受之。其所自爲惡雖不甚、而衆惡人所爲惡、皆紂之惡也。故曰天下之惡皆歸焉。舊註皆不得其解)とある。逋逃は、罪を犯して逃亡する者。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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