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子張第十九 7 子夏曰百工居肆以成其事章

478(19-07)
子夏曰、百工居肆以成其事、君子學以致其道。
子夏しかいわく、ひゃくこうもっことし、くんまなびてもっみちいたす。
現代語訳
  • 子夏 ――「職人はしごと場に居て、しごとがものになる。人間は学問をして、真理が身につく。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子夏の言うよう、「職人が職場に在って仕事に打ち込むごとく、君子は一心いっしんらんに学んでその道をじょうじゅせねばならぬ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子夏がいった。――
    「もろもろの技術家はその職場においてそれぞれの仕事を完成し、君子は学問において人間の道を極める」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子夏 … 前507?~前420?。姓はぼく、名は商、あざなは子夏。衛の人。孔子より四十四歳年少。孔門十哲のひとり。「文学には子游・子夏」といわれ、子游とともに文章・学問に優れていた。ウィキペディア【子夏】参照。
  • 百工 … 各種の職人。
  • 肆 … 仕事場。職場。
  • 致 … 極める。尽くす。完成させる。
補説
  • 『注疏』に「此の章も亦た人に学をすすむるに、百工を挙げて以て喩えを為すなり」(此章亦勉人學、舉百工以爲喩也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子夏 … 『孔子家語』七十二弟子解に「卜商は衛人えいひとあざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳。詩を習い、能く其の義に通ず。文学を以て名を著す。人と為り性弘からず。好みて精微を論ず。じん以て之にくわうる無し。嘗て衛に返り、史志を読る者を見る。云う、晋の師、秦を伐つ。さん河を渡る、と。子夏曰く、非なり。がいのみ。史志を読む者、これを晋の史に問う。果たして己亥と曰う。是に於いて衛、子夏を以て聖と為す。孔子しゅっして後、西河のほとりに教う。魏の文侯、之に師事して国政をはかる」(卜商衞人、字子夏。少孔子四十四歳。習於詩、能通其義。以文學著名。爲人性不弘。好論精微。時人無以尚之。嘗返衞見讀史志者。云、晉師伐秦。三豕渡河。子夏曰、非也。己亥耳。讀史志者、問諸晉史。果曰己亥。於是衞以子夏爲聖。孔子卒後、教於西河之上。魏文侯師事之、而諮國政焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「卜商あざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳」(卜商字子夏。少孔子四十四歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 百工居肆以成其事 … 『義疏』に「亦た学を勧むるなり。先ず為に譬えを設く。百工とは、巧師なり。百と言うは全数を挙ぐるなり。肆に居る者は、其の居る者常に物の器を作る所の処なり。言うこころは百工日日其の常業の処に居るに由れば、則ち其の業乃ち成るなり」(亦勸學也。先爲設譬。百工者、巧師也。言百者舉全數也。居肆者、其居者常所作物器之處也。言百工由日日居其常業之處、則其業乃成也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「曲面の勢を審らかにし、以て五材をととのえ、以て民器を弁ず、之を百工と謂う。五材には各〻工有り、百と言うは之を衆言するなり。肆は、官府の造作の処を謂うなり」(審曲面勢、以飭五材、以辨民器、謂之百工。五材各有工、言百衆言之也。肆、謂官府造作之處也)とある。また『集注』に「肆は、官府造作の処を謂う。致は、極むなり。工、肆に居らざれば、則ち異物に遷されて、業精ならず」(肆、謂官府造作之處。致、極也。工不居肆、則遷於異物、而業不精)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 君子学以致其道 … 『集解』に引く包咸の注に「言うこころは百工其の肆に処れば、則ち事成ること、猶お君子は学びて以て其の道を立つるがごときなり」(言百工處其肆、則事成、猶君子學以立其道也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「致は、至なり。君子は学に由りて以て道に至ること、工の肆に居て以て事を成すが如きなり」(致、至也。君子由學以至於道、如工居肆以成事也)とある。また『注疏』に「致は、至なり。言うこころは百工の其の肆に処りて、則ち能く其の事を成すこと、猶お君子の学に勤めば、則ち能く道に至るがごときなり」(致、至也。言百工處其肆、則能成其事、猶君子勤於學、則能至於道也)とある。また『集注』に「君子学ばざれば、則ち外誘に奪われて志篤からず」(君子不學、則奪於外誘而志不篤)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「学は其の道を致す所以なり。百工は肆に居れば、必ず務めて其の事を成す。君子の学に於けるも、務むる所を知らざる可けんや」(學所以致其道也。百工居肆、必務成其事。君子之於學、可不知所務哉)とある。
  • 『集注』に「愚按ずるに、二説相ちて、其の義始めて備わる」(愚按、二説相須、其義始備)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「肆に居て事を成すは、百工の事なり。学びて以て道をきわむるは、君子の業なり。人各〻其の業有り、君子豈に務むる所を知らざる可けんや」(居肆成事、百工之事也。學以致道、君子之業也。人各有其業、君子豈可不知所務哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「百工に居て以て其の事を成す。君子は学以て其の道を致す。其の力を用いざるを言うなり。亦た孔子の何か我に有らんやの意。学とは、詩書礼楽以て先王の道を学ぶなり。致とは、先王の道をして自然に来たり集まらしむるなり。百工の肆に居るは、自ら其の技の巧なる所以の者を知らず。君子の学も亦た然り。亦た自ら其の道の我に集まるを知らず。主意は百工は肆に居らざる可からず、君子は学ばざる可からざるに在るなり。朱子、致を以て極と為す。字義にくらし。亦た外誘に奪われず当に務むる所を知るべきを以て説を為す。抑〻そもそも亦た末のみ」(百工居肆以成其事。君子學以致其道。言不用其力也。亦孔子何有於我哉意。學者、詩書禮樂以學先王之道也。致者、使先王之道自然來集也。百工之居肆、自不知其技之所以巧者焉。君子之學亦然。亦自不知其道之集于我焉。主意在百工不可不居肆、君子不可不學也。朱子以致爲極。昧乎字義矣。亦以不奪於外誘當知所務爲説。抑亦末已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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