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陽貨第十七 20 孺悲欲見孔子章

454(17-20)
孺悲欲見孔子。孔子辭以疾。將命者出戶。取瑟而歌、使之聞之。
じゅこうまみえんとほっす。こうするにしつもってす。めいおこなものづ。しつりてうたい、これをしてこれかしむ。
現代語訳
  • 孺(ジュ)悲が孔先生に会いにきた。孔先生は病気といってことわる。取りつぎの者が戸口を出ると、先生は琴をひいて歌をうたい、客にきこえよがしにした。(がえり善雄『論語新訳』)
  • じゅなる者が孔子様にお目にかかりたいとて来訪した。孔子様は病気だといってことわらせた。取次の者が部屋の戸口を出て玄関に行くと、孔子様はすぐに二十五弦琴げんきんを取り上げてかきならし、それに合わせて聞こえよがしに歌をうたい、実はびょうなのだということを知らせた。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • じゅが先師に面会をもとめた。先師は病気だといって会われなかったが、取次の人がそれをつたえるために部屋を出ると、すぐしつを取りあげ、歌をうたって、わざと孺悲にそれがきこえるようにされた。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 孺悲 … 魯の人。どういう人物かは不明。
  • 疾 … 病気。
  • 将命者 … 「将」は「おこなう」と読む。命令を受けて取り次ぐ人。孔子の言葉を取り次ぐ者。また、孺悲の言葉を伝えて行き来する使者という解釈もある。
  • 瑟 … おおごと。二十五弦。
  • 使之聞之 … 最初の「之」は孺悲を指し、後の「之」は瑟の音と歌を指す。
補説
  • 『注疏』に「此の章は蓋し孔子の疾悪するを言いしならん」(此章蓋言孔子疾惡也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 孺悲欲見孔子 … 『集解』の何晏の注に「孺悲は、魯人なり」(孺悲、魯人也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「人をして孔子をばしめ、孔子と相見えんと欲するなり。孺悲は、魯人なり」(使人召孔子、欲與孔子相見也。孺悲、魯人也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「孺悲は、魯人なり。来たりて孔子に見えんと欲す」(孺悲、魯人也。來欲見孔子)とある。
  • 孔子辞以疾 … 『集解』の何晏の注に「孔子見るを欲せず。故に辞するに疾を以てす」(孔子不欲見。故辭以疾)とある。また『義疏』に「孔子孺悲のぶに応ずるを欲せず。故に辞して云う、疾有りて往くに堪えざるなり、と」(孔子不欲應孺悲之召。故辭云、有疾不堪往也)とある。また『注疏』に「孔子見るを欲せず、故に之を辞するに疾を以てするなり」(孔子不欲見、故辭之以疾也)とある。
  • 辞以疾 … 『義疏』では「辞之以疾」に作る。
  • 将命者出戸 … 『義疏』に「命をおこなう者は、孺悲使う所の人なり。戸を出づは、孔子疾みて辞し畢わるを受けて、孔子の戸より出で以て去るを謂うなり」(將命者、謂孺悲所使之人也。出戸、謂受孔子疾辭畢、而出孔子之戸以去也)とある。また『注疏』に「将は、猶お奉のごときなり。命を奉ずる者は、主人の辞を伝うるに出入する人なり。初め命を将う者来たりて戸に入り、孺悲の見えんことを求むるを言う」(將、猶奉也。奉命者、主人傳辭出入人也。初將命者來入戸、言孺悲求見)とある。
  • 取瑟而歌、使之聞之 … 『集解』の何晏の注に「其の命を将う者の己を知らざるが為に、故に歌いて命を将う者をして悟らしむ。孺悲をして思わしむる所以なり」(爲其將命者不知己、故歌令將命者悟。所以令孺悲思也)とある。また『義疏』に「孺悲の使者去らんとして、裁して戸を出づ。而して孔子瑟を取りて以て歌い、孺悲の使者をして之に聞かしめんと欲するなり。然る所以の者は、辞すること唯だ疾有りて往かざるのみ。孺悲疾ゆるを問い、又た己をぶこと止まざるを恐るるなり。故に瑟を取りて歌い、使者をして之に聞かしめ、孔子の辞する、疾実に非ざるを知らしめ、以て還りて孺悲に白し、孺悲をして故に来たらざるを知らしむるのみ。疾の為に来たらざるに非ざるなり」(孺悲使者去、裁出戸。而孔子取瑟以歌、欲使孺悲使者聞之也。所以然者、辭唯有疾而不往。恐孺悲問疾差、又召己不止也。故取瑟而歌、使使者聞之、知孔子辭、疾非實、以還白孺悲、令孺悲知故不來耳。非爲疾不來也)とある。また『注疏』に「夫子之を辞するに疾を以てし、又た命をおこなう者の已まざるが為に、故に瑟を取りて歌い、命を将う者をして之を聞きて己に疾無きを悟らしむ。但だ之を見るを欲せざるは、孺悲をして之を思わしむる所以なり」(夫子辭之以疾、又爲將命者不已、故取瑟而歌、令將命者聞之而悟己無疾。但不欲見之、所以令孺悲思之)とある。また『集注』に「孺悲は、魯人なり。嘗て士の喪礼を孔子に学ぶ。是の時に当たり、必ず以て罪を得る者有らん。故に辞するに疾を以てして、又た其の疾に非ざるを知らしめ、以て之をいましめ教うるなり」(孺悲、魯人。嘗學士喪禮於孔子。當是時、必有以得罪者。故辭以疾、而又使知其非疾、以警教之也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に引く程顥の注に「此れ孟子の所謂いさぎよしとせざるの教誨にして、深く之を教うる所以なり」(此孟子所謂不屑之教誨、所以深教之也)とある。「不屑の教誨」とは、直接教え諭すことを拒否することによって、逆に相手を反省させて悟らせるという、一種の教え方のこと。『孟子』告子下篇に「孟子曰く、教えも亦た術多し。われ之が教誨をいさぎよしとせざる者も、是れ亦た之を教誨するのみ、と」(孟子曰、教亦多術矣。予不屑之教誨也者、是亦教誨之而已矣)とある。ウィキソース「孟子/告子下」参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「張氏栻曰く、孺悲の見られざる、疑うらくは棄絶の域に在らん。瑟を取りて歌いて之に聞かしむるは、是れ亦た之を教誨して、終に棄てざるなり。聖人の仁、天地生物の心なるか、と」(張氏栻曰、孺悲之不見、疑在棄絶之域矣。取瑟而歌聞之、是亦教誨之、而終不棄也。聖人之仁、天地生物之心歟)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「孺悲孔子を見んと欲す、程子孟子のいさぎよしとせざるの教誨を引く。と為す。屑しとせざるの教誨は、孟子蓋し孔門の義を伝えて云うことしかり」(孺悲欲見孔子、程子引孟子不屑之教誨。爲是。不屑之教誨、孟子蓋傳孔門之義云爾)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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