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衛霊公第十五 12 子曰已矣乎章

391(15-12)
子曰、已矣乎。吾未見好德如好色者也。
いわく、んぬるかな。われいまとくこのむこといろこのむがごとくなるものざるなり。
現代語訳
  • 先生 ――「なさけないな。わしはまだ道徳が女ほどすきな人には会わぬわい。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「困ったことかな、わしはまだ徳を好むことが女色を好むごとく熱烈な者を見たことがない。どうかさような道徳熱情家を見たいものじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「なさけないことだ。私はまだ色事を好むほど徳を好むものを見たことがない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子罕第九17」とほぼ同様。
  • 已矣乎 … もうだめだ。もうこれまでだ。今となっては、どうにも仕方がない。絶望をあらわす言葉。「已矣」「已矣哉」「已矣夫」もすべて「やんぬるかな」と読む。この言葉は「公冶長第五26」「子罕第九8」にも見える。
  • 徳 … 道徳。
  • 色 … 美人。女性。女色。
補説
  • 『注疏』に「此の章は時人の色を好みて徳を好まざるをにくむなり」(此章疾時人好色而不好德也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集解』には、この章の注なし。
  • 已矣乎。吾未見好徳如好色者也 … 『義疏』に「既に先に已んぬるかなと云う。久しく已に見ざるを明らかにするなり。時に色興り徳廃るを疾む。故に斯の欲を起こすなり。此の語も亦た是れ重出す。亦た孔子再び時に教えを行うなり」(既先云已矣。明久已不見也。疾時色興德廢。故起斯欲也。此語亦是重出。亦孔子再時行教也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「已んぬるかなは、其のついに得て見ざるを歎くなり」(已矣乎、歎其終不得而見也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「重ねて出づ。義は前篇に見ゆ」(重出。義見前篇)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「此れ人君を主として之を言う。しからずんば、豈に已矣乎の三字有らんや。是れ世に孔子を用うる者無きを嘆ずるなり」(此主人君言之。不爾、豈有已矣乎三字哉。是嘆世無用孔子者也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十