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衛霊公第十五 8 子曰志士仁人章

387(15-08)
子曰、志士仁人、無求生以害仁。有殺身以成仁。
いわく、志士しし仁人じんじんは、せいもとめてもっじんがいすることし。ころしてもっじんすことり。
現代語訳
  • 先生 ――「しっかりした人、なさけぶかい人は、いのちおしさに人の道をすてず、身を殺しても人の道を守ることがある。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「生きることの大切なのは言うまでもないが、人が仁ならざるべからざることはさらに大切じゃ。それ故、仁を得た人はもちろん、いやしくも仁に志すほどの者は、命がしさに仁の徳を害するようなことはしない。場合によっては命を捨てても仁をじょうじゅするものぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「志士仁人は生を求めて仁を害することがない。かえって身を殺して仁を成しとげることがあるものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 志士 … 国家や社会に尽くそうと志す人。正義のために尽くす人。
  • 仁人 … 徳のある立派な人。情け深い人。
  • 求生 … 命が惜しいために。
  • 以 … 「而」に同じ。
  • 害仁 … 仁徳をそこなう。
  • 殺身 … 命を捨てる。
  • 成仁 … 仁徳を完成させる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は善に志すの士、仁愛の人の、生を求めて仁をそこなうこと無きを言う」(此章言志善之士、仁愛之人、無求生而害仁)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 志士仁人 … 『義疏』に「心に善志有るの士、及び能く仁を行うの人を謂うなり」(謂心有善志之士、及能行仁之人也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「志士は、志有るの士。仁人は、則ち成徳の人なり」(志士、有志之士。仁人、則成德之人也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 無求生以害仁 … 『義疏』に「既に善に志し仁を行い、恒に物を救わんと欲す。故に自ら我の生を求めて以て仁恩に理を害せざるなり。生きて仁を害する、則ち志士は為さざるなり」(既志善行仁、恆欲救物。故不自求我之生以害於仁恩之理也。生而害仁、則志士不爲也)とある。
  • 有殺身以成仁 … 『集解』に引く孔安国の注に「生を求めて仁を害すること無し。死して後に仁を成せば、則ち志士・仁人は、其の身を愛さざるなり」(無求生而害仁。死而後成仁、則志士仁人、不愛其身也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「若し身を殺して仁事成す可くんば、則ち志士仁人は必ず身を殺して之を為す。故に云う、身を殺して仁を成すこと有るなり、と。身を殺して仁を成す、則ち志士やぶさかにせざる所なり」(若殺身而仁事可成、則志士仁人必殺身爲之。故云、有殺身成仁也。殺身而成仁、則志士所不吝也)とある。また『注疏』に「若し身死して後に仁を成せば、則ち志士・仁人は其の身をしまず、其の身を殺して以て其の仁を成すこと有る者なり。伯夷・叔斉及び比干の若きは是れなり」(若身死而後成仁、則志士仁人不愛其身、有殺其身以成其仁者也。若伯夷叔齊及比干是也)とある。また『集注』に「理の当に死すべくして生を求むれば、則ち其の心に於いて安らかならざること有り。是れ其の心の徳を害するなり。当に死すべくして死せば、則ち心安らかにして徳全し」(理當死而求生、則於其心有不安矣。是害其心之德也。當死而死、則心安而德全矣)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「実理は之を心に得れば自ら別つ。実理とは、実にを見得し、実に非を見得するなり。古人軀をてて命をとす者有り。若し実に見得せざれば、いずくんぞ能く此くの如くならん。すべからく是れ実に生は義よりも重からず、生は死よりも安からざるを見得すべきなり。故に身を殺して以て仁を成す者有るは、只だ是れ一箇のを成就するのみ」(實理得之於心自別。實理者、實見得是、實見得非也。古人有捐軀隕命者。若不實見得、惡能如此。須是實見得生不重於義、生不安於死也。故有殺身以成仁者、只是成就一箇是而已)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「志士は其の志為さざる所有り。仁人は其の徳以て物を成すに足る。其の行い同じからずと雖も、其の仁に於けるやいつなり」(志士其志有所不爲。仁人其德足以成物。其行雖不同、而其於仁也一也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すこと有りとは、竜逢・比干の徒を謂うなり。……蓋し先王の道は、民を安んずるの道なり。志士は此れに志す。仁人は徳をここに成す。朱子曰く、理として当に死すべくして生を求むるときは、則ち其の心に於いて安んぜざること有り。是れ其の心の徳を害するなり。当に死すべくして死するときは、則ち心安くして徳全し、と。是れ其の心学の説にして、ああ亦た小なるかな。……程子曰く、身を殺して以て仁を成す者は、只だ是れ一箇のを成就するのみ、と。是れ宋儒是非海裡に汩没こつぼつせるなり。一箇の是を成就すること、豈に以て仁と為す可けんや。……天下に不是ふぜていの父母無しの如き、宋儒以て至言と為す。夫れ舜をしてそうを以てと為さしめば、豈に以て舜と為すに足らんや。孝子の心はは則ち是、不是ふぜは則ち不是なり。未だ嘗て親の不是を以て是と為さず。以て不是と為すと雖も、其のえんの心無き、是れ孝子なり」(志士仁人、無求生以害仁。有殺身以成仁、謂龍逢比干之徒也。……蓋先王之道、安民之道也。志士志於此焉。仁人成德於此焉。朱子曰、理當死而求生、則於其心有不安矣。是害其心之德也。當死而死、則心安而德全矣。是其心學之説、吁亦小矣哉。……程子曰、殺身以成仁者、只是成就一箇是而已。是宋儒汩沒是非海裡也。成就一箇是、豈可以爲仁哉。……如天下無不是底父母、宋儒以爲至言。夫使舜以瞽瞍爲是、豈足以爲舜乎。孝子之心是則是、不是則不是。未嘗以親之不是爲是矣。雖以爲不是、其無怨怒之心、是孝子也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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