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憲問第十四 46 原壤夷俟章

378(14-46)
原壤夷俟。子曰、幼而不孫弟、長而無述焉、老而不死。是爲賊。以杖叩其脛。
げんじょうしてつ。いわく、ようにして孫弟そんていならず、ちょうじてぶることく、いてせず。れをぞくすと。つえもっすねたたく。
現代語訳
  • 原壌(ゲンジョウ)は、うずくまったまま人に会う。先生 ――「ちいさいころからなま意気で、大きくなっても取りえがなく、年をとっても死なずにいる。こんなのが社会の敵だ。」と、ツエでスネをひっぱたいた。(がえり善雄『論語新訳』)
  • げんじょうがあぐらをかいたままで孔子様の近寄るのを待ち受け、立って迎えようともしなかった。昔なじみとはいいながら、今日のこうふうに対する礼ではない。さすがの孔子様もムッとされて、「おさない時は目上に対して謙遜けんそん従順じゅうじゅんならず、おとなになっても何一つ称すべき善行もなく、年を取っても死にもせずにしゃふざけをしている、そういうのを寿命盗人ぬすびとというのじゃ。」と言いながら、持ったるつえで原壌のすねをたたかれた。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • げんじょうが、両膝をだき、うずくまったままで、先師が近づかれるのを待っていた。先師はいわれた。――
    「お前は、子供のころには目上の人に対する道をわきまえず、大人おとなになっても何ひとつよいことをせず、その年になってまだ生をむさぼっているが、お前のような人間こそ世の中の賊だ」
    そういって、杖で彼のすねをたたかれた。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 原壌 … 姓は原、名は壌。孔子の幼なじみ。魯の人。原壌の母が亡くなったとき、孔子は葬儀の世話をしたが、彼は木に登って歌っていたという(『礼記』檀弓篇)。
  • 夷 … あぐらをかいて低く座る。しゃがむ。立て膝をする。
  • 俟 … 待つ。
  • 孫弟 … 年長者に従順であること。「遜悌」に同じ。
  • 述 … 称述。褒めていう。
  • 賊 … 世に害毒を流す者。ごくつぶし。
  • 脛 … 膝から足首までの部分。たい。すね。はぎ。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子の原壌を責むるの辞を記す」(此章記孔子責原壤之辭)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 原壌夷俟 … 『集解』に引く馬融の注に「原壌は、魯の人、孔子の故旧なり。夷は、踞なり。俟は、待なり。孔子を踞待するなり」(原壤、魯人、孔子故舊也。夷、踞也。俟、待也。踞待孔子也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「原壌とは、方外の聖人なり。礼敬に拘せられず。孔子と朋友たり。夷は、踞なり。俟は、待なり。壌は孔子の来たるを聞きて、夷踞して膝を竪て、以て孔子の来たるを待つなり」(原壤者、方外之聖人也。不拘禮敬。與孔子爲朋友。夷、踞也。俟、待也。壤聞孔子來、而夷踞竪膝、以待孔子之來也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「原壌は、魯人、孔子の故旧なり。夷は、踞なり。俟は、待なり。原壌孔子の来たるを聞き、乃ち両足をべ、きょして以て孔子を待つなり」(原壤、魯人、孔子故舊。夷、踞也。俟、待也。原壤聞孔子來、乃申兩足、箕踞以待孔子也)とある。また『集注』に「原壌は、孔子の故人なり。母死して歌う。蓋し老氏の流にして、自ら礼法の外にほしいままにする者なり。夷は、蹲踞そんきょなり。俟つは、待つなり。言うこころは孔子の来たるを見て、蹲踞して以て之を待つなり」(原壤、孔子之故人。母死而歌。蓋老氏之流、自放於禮法之外者。夷、蹲踞也。俟、待也。言見孔子來、而蹲踞以待之也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 原壌 …『礼記』檀弓篇に「孔子の故人を原壌と曰う。其の母死す。夫子之を助けてかくおさむ。原壌木に登りて曰く、久しいかな、われの音に託せざるや、と。歌いて曰く、しゅの班然たる、女の手の巻然けんぜんたるを執る、と。夫子聞かざる者のまねして之を過ぐ。従者曰く、子未だ以て已む可からざるか、と。夫子曰く、丘之を聞く、親しき者には其のしんたるを失うこと毋かれ、ふるき者には其のたるを失うこと毋かれ、と」(孔子之故人曰原壤。其母死。夫子助之沐槨。原壤登木曰、久矣、予之不託於音也。歌曰、貍首之班然、執女手之卷然。夫子爲弗聞也者而過之。從者曰、子未可以已乎。夫子曰、丘聞之、親者毋失其爲親也、故者毋失其爲故也)とある。ウィキソース「禮記/檀弓下」参照。
  • 幼而不孫弟、長而無述焉 … 『義疏』に「孔子は方内の聖人なり。恒に礼教を以て事を為す。壌の不敬を見る。故に之を歴数して以て門徒に訓うるなり。言うこころは壌わかくして遜悌を以て自ら居らず。年長ずるに至るも猶お自らほうし、効述する所無きなり」(孔子方内聖人。恆以禮教爲事。見壤之不敬。故歴數之以訓門徒也。言壤少而不以遜悌自居。至於年長猶自放恣、無所效述也)とある。また『注疏』に「孔子其の無礼を見る、故に此の言を以て之を責む。孫は、順なり。言うこころは原壌は幼少にして長上に順弟ならず、長ずるに及びて徳行の称述す可きもの無し」(孔子見其無禮、故以此言責之。孫、順也。言原壤幼少不順弟於長上、及長無德行可稱述)とある。また『集注』に「述は、猶お称さるるがごときなり」(述、猶稱也)とある。
  • 孫弟 … 『義疏』では「遜悌」に作る。
  • 述 … 宮崎市定は「恐らく怵の假借であろう」とし、「おそるるところなく」と読み、「遠慮會釈することを知らず」と訳している。詳しくは『論語の新研究』324頁及び145頁参照。
  • 老而不死。是為賊 … 『集解』の何晏の注に「賊は、賊害を為すなり」(賊、爲賊害也)とある。賊害は、損害を与えること。また『義疏』に「言うこころは壌年已に老いて未だ死せず。不敬の事を行うは、徳を賊害する所以なり」(言壤年已老而未死。行不敬之事、所以賊害於德也)とある。また『注疏』に「今老いて死せず、礼敬を脩めざるは、則ち賊害と為す」(今老而不死、不脩禮敬、則爲賊害)とある。また『集注』に「賊とは、人を害するの名なり。其の幼より老に至るまで、一の善状も無くして、久しく世に生き、徒らに以て常を敗り俗を乱すに足るを以てすれば、則ち是れ賊のみ」(賊者、害人之名。以其自幼至老、無一善状、而久生於世、徒足以敗常亂俗、則是賊而已矣)とある。
  • 以杖叩其脛 … 『集解』に引く孔安国の注に「叩は、撃なり。脛は、脚脛なり」(叩、撃也。脛、脚脛也)とある。また『義疏』に「脛は、脚脛なり。膝より上を股と曰い、膝より下を脛と曰う。孔子歴数して之に言う。既に竟わり又た杖を以て壌の脛を叩撃して、其の脛をして夷踞せざらしむるなり」(脛、脚脛也。膝上曰股、膝下曰脛。孔子歴數言之。既竟又以杖叩撃壤脛、令其脛而不夷踞也)とある。また『注疏』に「叩は、撃なり。脛は、脚脛なり。既に数えて之を責め、復た杖を以て其の脚脛を撃ち、うずくまらざらしむるなり」(叩、撃也。脛、脚脛。既數責之、復以杖撃其脚脛、令不踞也)とある。また『集注』に「脛は、足の骨なり。孔子既に之を責めて、因りてく所の杖を以て、かすかに其の脛を撃ち、蹲踞すること勿からしむるが若く然り」(脛、足骨也。孔子既責之、而因以所曳之杖、微撃其脛、若使勿蹲踞然)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「風俗を敗り、人倫を害するは、悪の大なる者なり。聖人の盛徳を以て、故旧の人に於いてすら、其の之を責むること猶お恕する所無きこと此くの如し」(敗風俗、害人倫、惡之大者也。以聖人之盛德、於故舊之人、其責之猶無所恕如此)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「原壌は孔子の故旧なり。……孔子杖を以て其のはぎを叩くも、亦たたわぶれを以て之を行う。苟くも親狎しんこうするに非ずんば、豈に此くの如くならんや。亦た以て君子愷悌がいていの徳を見る可きのみ」(原壤孔子之故舊也。……孔子以杖叩其脛、亦以戲行之。苟非親狎、豈如此乎。亦可以見君子愷悌之德已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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