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憲問第十四 35 子曰驥不称其力章

367(14-35)
子曰、驥不稱其力、稱其德也。
いわく、ちからしょうせず、とくしょうするなり。
現代語訳
  • 先生 ――「いい馬は、馬力よりも、おとなしさが取りえだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「名馬というのは、日に千里を走るというようなその力をほめるのではなく、順良で悪癖あくへきがないというその徳をたたえるのじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「名馬が名馬といわれるのは、その力のためではなく、調教が行き届いて性質がよくなっているからだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 驥 … 良馬。名馬。駿しゅん。驥州(今の河北省)が名馬の産地であったから、そう呼ばれるようになった。
  • 力 … 一日に千里も走るという能力。
  • 称 … ほめたたえる。
  • 徳 … 性質。宮崎市定は「……本来の生れつきの性質でなく、生れてから後、修養によって得られた性質のことである」と言っている(『論語の新研究』319頁)。
補説
  • 『注疏』に「此の章は時に力を尚び勝ちを取りて、徳を貴ばざるをにくむなり」(此章疾時尚力取勝、而不貴德)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 驥不称其力、称其徳也 … 『集解』に引く鄭玄の注に「徳とは、調良の徳を謂うなり」(德者、謂調良之德也)とある。調良は、馬が調教されて乗り心地がよいこと。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「驥とは、馬の上善なり。時に徳を軽んじ力を重んず。故に孔子譬えを引きて之を言うなり。伯楽に言いて曰く、驥は其の力を重んずるに非ず。政に是れ其の美徳を称するのみ。驥既に此くの如し。而して人も亦た宜しく然るべし、と」(驥者、馬之上善也。于時輕德重力。故孔子引譬言之也。言伯樂曰、驥非重其力。政是稱其美德耳。驥既如此。而人亦宜然)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「驥は、是れ古えの善馬の名なり。人は其の重きをにない遠きを致すの力を称せず、但だ其の調良の徳を称するのみなり。馬すら尚お是くの如くんば、人も亦た宜しく然るべし」(驥、是古之善馬名。人不稱其任重致遠之力、但稱其調良之德也。馬尚如是、人亦宜然)とある。また『集注』に「驥は、善馬の名。徳は、調良を謂うなり」(驥、善馬之名。德、謂調良也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「驥に力有りと雖も、其の称は徳に在り。人に才有れども徳無ければ、則ち亦たなんぞ尚ぶに足らんや」(驥雖有力、其稱在德。人有才而無德、則亦奚足尚哉)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「蓋し馬の驥有るは、猶お人の君子有るがごときなり。驥力無きに非ずして、力を以て称せず。君子は才無きに非ずして、才を以て称せず。然れば則ち才有りて徳無きは、其の小人たるや、必せり」(蓋馬之有驥、猶人之有君子也。驥非無力、而不以力稱。君子非無才、而不以才稱。然則有才而無德、其爲小人也、必矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』には、この章の注なし。
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