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先進第十一 25 子路曾晳冉有公西華侍坐章(1)

278(11-25)
1)子路曾晳冉有公西華侍坐。子曰、以吾一日長乎爾、毋吾以也。居則曰、不吾知也。如或知爾、則何以哉。
子路しろ曾晳そうせき冉有ぜんゆう公西こうせい侍坐じざす。いわく、われ一日いちじつなんじよりちょうぜるをもって、われもってすることかれ。りてはすなわいわく、われらざるなり、と。あるいはなんじらば、すなわなにもってせんや。
現代語訳
  • 子路・曽晳(セキ)・冉(ゼン)有・公西華がおそばにいた。先生 ――「わしがいくらか年上だからとて、気にしなくていいよ。かねがね、『みとめてもられない』といってるが…。もしみとめられたら、どうして見せるかね。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子路しろ曾晳そうせき冉有ぜんゆう公西こうせいの四人がおそばはべっていた時、孔子様が、「わしがお前たちより多少年上だからとて、わしに遠慮えんりょせずに物を言ってくれ。お前達は平生へいぜい寄るとさわると、おれを知って用いてくれないから仕事ができないなどと不平を言うが、もしお前たちを知って用いてくれる人があったら、お前たちはどういう事業ができるつもりか、めいめいのほうを言ってみたらどうじゃ。」と四人に問いかけられた。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子路と曾晳そうせき冉有ぜんゆう公西こうせいが先師のおそばにいたとき、先師がいわれた。――
    「私がお前たちよりいくらか先輩だからといって、なにも遠慮することはない。今日は一つ存分に話しあってみよう。お前たちは、いつも、自分を認めて用いてくれる人がないといって、くやしがっているが、もし用いてくれる人があるとしたら、いったいどんな仕事がしたいのかね」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子路 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 曾晳 … 前546~?。孔子の弟子。曾子の父。姓はそう、名はてん、またてんあざなは晳。子晳ともいう。ウィキペディア【曾点】(中文)参照。
  • 冉有 … 前522~?。孔門十哲のひとり。姓は冉、名は求。あざなは子有。政治的才能があり、季氏の宰(家老)となった。孔子より二十九歳年少。冉求、冉子とも。ウィキペディア【冉有】参照。
  • 公西華 … 前509~?。孔子の弟子。姓は公西こうせい、名はせきあざなは子華。魯の人。孔子より四十二歳若い。公西赤とも。儀式に通じていた。ウィキペディア【公西赤】(中文)参照。
  • 侍坐 … 孔子のそばに坐る。
  • 一日 … 少し。
  • 爾 … お前たち。「汝」に同じ。
  • 長 … 年長。先輩。
  • 以 … ~の理由で。
  • 毋吾以也 … 私に何も遠慮はいらないよ。
  • 毋 … 「なかれ」と読み、「~するな」と訳す。
  • 居 … 居常。平生へいぜい
  • 如 … 「もし~ば」と読み、「もし~ならば」と訳す。仮定条件の意を示す。
  • 何以哉 … いったいどういうことをやりたいのか。いったい何がしたいのか。いったいどんな仕事がしたいのか。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子四弟子の侍坐するに乗間し、因りて各〻をして其の志を言わしめ、以て其の器能を観るなり」(此章孔子乘間四弟子侍坐、因使各言其志、以觀其器能也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子路 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 曾晳 … 『孔子家語』七十二弟子解に「曾点は曾参の父、字は子晳。時に礼教の行われざるをにくみ、之を修めんと欲す。孔子これよしとす。論語の所謂、に浴し、舞雩ぶうもとふうせんと」(曾點曾參父、字子晳。疾時禮教不行、欲修之。孔子善焉。論語所謂浴乎沂、風乎舞雩之下)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「曾蒧そうてん、字は晳。孔子に侍す。孔子曰く、爾の志を言え、と。蒧曰く、春服既に成り、冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん、と。孔子喟爾きじとして歎じて曰く、吾は蒧にくみせん、と」(曾蒧字晳。侍孔子。孔子曰、言爾志。蒧曰、春服既成、冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。孔子喟爾歎曰、吾與蒧也)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『集解』に引く孔安国の注に「曾晳は、曾参の父なり。名は点なり」(曾晳、曾參父也。名點)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「晳は、曾参の父、名は点」(晳、曾參父、名點)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 冉有 … 『孔子家語』七十二弟子解に「冉求は字は子有。仲弓の宗族なり。孔子よりわかきこと二十九歳。才芸有り。政事を以て名を著す。仕えて季氏の宰と為る。進めば則ち其の官職をおさめ、退けば則ち教えを聖師に受く。性たること多く謙退す。故に子曰く、求や退、故に之を進ましむ、と」(冉求字子有。仲弓之宗族。少孔子二十九歳。有才藝。以政事著名。仕爲季氏宰。進則理其官職、退則受教聖師。爲性多謙退。故子曰、求也退、故進之)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「冉求、字は子有。孔子よりわかきこと二十九歳。季氏の宰と為る」(冉求字子有。少孔子二十九歳。爲季氏宰)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 公西華(公西赤) … 『孔子家語』七十二弟子解に「公西赤はひと、字は子華。孔子よりわかきこと四十二歳。束帯してちょうに立ち、賓主の儀にならう」(公西赤魯人、字子華。少孔子四十二歳。束帶立於朝、閑賓主之儀)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「公西赤、字は子華。孔子よりわかきこと四十二歳」(公西赤字子華。少孔子四十二歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 子路曾晳冉有公西華侍坐 … 『義疏』に「此の四弟子、孔子に侍して坐するなり」(此四弟子侍孔子坐也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「時に孔子坐し、四子側に侍り、亦た皆坐するなり」(時孔子坐、四子侍側、亦皆坐也)とある。
  • 子曰、吾一日長乎爾、毋吾以也 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは我女に問う、女、我長ずるが故を以て、対え難しとすること無かれ」(言我問女、女無以我長故難對)とある。また『義疏』に「孔子将に四子をして志を言わしめんと欲す。故に先ず此の言を説きて、以て之を勧引するなり。爾は、汝なり。言うこころは吾今一日のねん、汝より長大なるのみ。汝等吾が年の長ずるを言うを以てして、敢えて己の志を言わざること無きなり」(孔子將欲令四子言志。故先説此言以勸引之也。爾、汝也。言吾今一日年齒長大於汝耳。汝等無以言吾年長而不敢言己志也)とある。また『注疏』に「孔子将に問いを発せんとし、先ず此の言を以て之を誘掖するなり。言うこころはなんじ吾に侍る、吾が年なんじより長ずれば、謙して少言するを以て、故に一日と云う。今我女に問わん、女等吾の長ずるを以て其の対うるを憚難はばかる毋かれ」(孔子將發問、先以此言誘掖之也。言女等侍吾、以吾年長於女、謙而少言、故云一日。今我問女、女等毋以吾長而憚難其對也)とある。また『集注』に「言うこころは我年少しくなんじより長ずと雖も、然れども女我が長ずるを以て言うを難しとすること勿かれ。蓋し之を誘いて言を尽くし、以て其の志を観る。而して聖人の和気謙徳、ここに於いて亦た見る可し」(言我雖年少長於女、然女勿以我長而難言。蓋誘之盡言以觀其志。而聖人和氣謙德、於此亦可見矣)とある。
  • 毋吾以也 … 『義疏』では「無吾以也」に作る。
  • 居則曰、不吾知也 … 『集解』に引く孔安国の注に「汝常に居りて云う、人己を知らず、と」(汝常居云、人不知己)とある。また『義疏』に「居は、弟子の常居の時を謂うなり。吾は、弟子自ら謂うなり。言うこころは汝等の常居の日、則ち皆自ら云う、吾を知る者無きなり、と」(居、謂弟子常居時也。吾、弟子自謂也。言汝等常居之日、則皆自云、無知吾者也)とある。また『注疏』に「言うこころはなんじ常に居れば則ち云う、己才能有るも、人我を知らず、と」(言女常居則云、己有才能、人不我知)とある。また『集注』に「言うこころはなんじ平居には、則ち人我を知らずと言う」(言女平居、則言人不知我)とある。
  • 如或知爾、則何以哉 … 『集解』に引く孔安国の注に「如しなんじを用うる者有らば、則ち何を以てか治を為さんや」(如有用女者、則何以爲治乎)とある。また『義疏』に「言うこころは如し或いは人有って、汝等を知り用いんと欲すれば、汝等は則ち志各〻何をか為して治めんと欲するや」(言如或有人、欲知用汝等、汝等則志各欲何爲治哉)とある。また『注疏』に「此れ問辞なり。……設如し人なんじを知る有りて、将に之を用いんと欲せば、則ち女将に何を以て治を為さんとす」(此問辭也。……設如有人知女、將欲用之、則女將何以爲治)とある。また『集注』に「如し或いは人の女を知ること有れば、則ち女まさに何を以て用を為さんとするや」(如或有人知女、則女將何以爲用也)とある。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十