>   論語   >   先進第十一   >   19

先進第十一 19 子張問善人之道章

272(11-19)
子張問善人之道。子曰、不踐迹。亦不入於室。
ちょう善人ぜんにんみちう。いわく、あとまず。しつらず。
現代語訳
  • 子張が善人の道をきく。先生 ――「人まねで歩きはしないが、奥まで通ることもないね。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子張が、「先生は性善説せいぜんせつをとられますが、生れついての善人で悪事をしないならば、学ばなくてもよさそうなものではござりませんか。」という意味の質問をしたところ、孔子様がおっしゃるよう、「せっかくの善人でも学問がないと、聖賢せいけんの積みおかれたたっとい遺産たる礼楽れいがく文物ぶんぶつのおかげをこうむり得ず、従ってまた聖人の道のおくしきに入ることができぬ。しいことではないか。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子張がたずねた。――
    「天性善良な人は、別に学問などしなくても、自然に道に合するようになる、というようにも考えられますが、いかがでしょう」
    先師がこたえられた。――
    「どうにか危険のない道を進むことはできるかもしれない。しかし、せっかく先人に開拓してもらったすばらしい道があるのに、その道を歩かないというのは惜しいことだ。それに、第一、そんな自己流では、しょせん、道の奥義をつかむことは出来ないだろう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子張 … 前503~?。孔子の弟子。姓は顓孫せんそん、名は師、あざなは子張。陳の人。孔子より四十八歳年少。ウィキペディア【子張】参照。
  • 善人 … 善良な人。いい人。
  • 践迹 … 古人の歩いた道をそのまま真似る。
  • 不入於室 … 聖人の道の深い境地に達しない。
補説
  • 『注疏』では次章の「色莊者乎」までを本章とし、「此の章は善人の行う所の道を論ずるなり」(此章論善人所行之道也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子張 … 『史記』仲尼弟子列伝に「顓孫せんそんは陳の人。あざなは子張。孔子よりわかきことじゅうはちさい」(顓孫師陳人。字子張。少孔子四十八歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顓孫師は陳人ちんひと、字は子張。孔子より少きこと四十八歳。人とり容貌資質有り。寬沖にして博く接し、従容として自ら務むるも、居りて仁義の行いを立つるを務めず。孔子の門人、之を友とするも敬せず」(顓孫師陳人、字子張。少孔子四十八歳。為人有容貌資質。寬沖博接、從容自務、居不務立於仁義之行。孔子門人、友之而弗敬)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 子張問善人之道 … 『義疏』に「此れ善人を問う、聖人に非ざるなり。其の道を問いて云う、何として善人と為すと謂う可きや」(此問善人、非聖人也。問其道云、何而可謂爲善人也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「何の道を行えば善人と謂う可きかを問う」(問行何道可謂善人)とある。また『集注』に「善人は、質美しくして未だ学ばざる者なり」(善人、質美而未學者也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子曰、不践迹 … 『集解』に引く孔安国の注に「践は、循なり。言うこころは善人は但だ旧迹に循追するのみならず、亦た多少なりとも能く業をはじむ」(踐、循也。言善人不但循追舊迹而已、亦多少能創業)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「善人の法に答うるなり。践は、したがうなり。迹は、旧迹なり。言うこころは善人の道も亦た当に別かつべくして宜しく善事を創建すべし。唯だ前人の旧迹に依循するを得ざるのみ」(答善人之法也。踐、循也。迹、舊迹也。言善人之道亦當別宜創建善事。不得唯依循前人舊迹而已)とある。また『注疏』に「孔子其の善人の道を答うるなり。践は、循なり。迹は、已に行われし旧事なり。言うこころは善人は但だに旧迹を循追するのみならず、当に自ら功を立て事を立つべきなり。而して善人は謙ぬるを好み、亦た少しくは能く業をはじむ」(孔子答其善人之道也。踐、循也。迹、已行舊事也。言善人不但循追舊迹而已、當自立功立事也。而善人好謙、亦少能創業)とある。また『集注』に引く程顥または程頤の注に「迹を践むは、途にしたがい轍を守ると言うが如し。善人必ずしも旧迹を践まずと雖も、而れども自ずから悪を為さず」(踐迹、如言循途守轍。善人雖不必踐舊迹、而自不爲惡)とある。
  • 亦不入於室 … 『集解』に引く孔安国の注に「然れども亦た聖人の奥室に入る能わざるなり」(然亦不能入於聖人之奧室也)とある。また『義疏』に「又た創立すること有りと雖も、而れども未だ必ずしも能く聖人の奥室に入らしめざるなり。能く室に入る者は顔子のみ」(又雖有創立、而未必使能入聖人奥室也。能入室者顏子而已)とある。また『注疏』に「故に亦た聖人の奧室に入ること能わざるなり」(故亦不能入於聖人之奧室也)とある。また『集注』に引く程顥または程頤の注に「然れども亦た聖人の室に入ること能わざるなり」(然亦不能入聖人之室也)とある。
  • 『集注』に引く張載の注に「善人は仁を欲して未だ学に志さざる者なり。仁を欲する、故に成法を践まずと雖も、亦た悪をまず。これを己に有すればなり。学ばざるに由る、故に自らして聖人の室に入ること無きなり」(善人欲仁而未志於學者也。欲仁、故雖不踐成法、亦不蹈於惡。有諸己也。由不學、故無自而入聖人之室也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「善人の道とは、善人の道とする所を謂うなり。……夫子言えり、善人の道とする所、惟だ其の自ら善ならんことを欲して、古えの成法を践むことを好まず。亦た道の蘊奥にいたることを求めず、是を以て道と為す。是れ其の善人たるに止まりて、其の徳のっとるに足らざる所以なり。蓋し善人の資を以てすと雖も、然れども学に由らざれば、則ち其のわりや必ず自らわたくしに智を用いることを免れず、と。此れ蓋し善人の道を論じてしかう。善人を論ずるに非ざるなり」(善人之道者、謂善人之所道也。……夫子言、善人之所道、惟欲其自善、而不好踐古之成法。亦不求造道之蘊奥、以是爲道。是其所以止爲善人、而其德不足法也。蓋雖以善人之資、然不由學焉、則其卒也必不免於自私用智。此蓋論善人之道云爾。非論善人也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「世人善の字を識らず。是れ後世仏氏善を言いて、人其の説にれ、一たび善を聴けば則ちすなわち仏氏の解をす。故に朱子おもえらく、善人は質美にして未だ学ばざる者なり、仁を欲して未だ学に志さざる者なり、と。仁斎曰く、善を行いてまず、其の徳称するに足る者有り、故に挙世仰慕す、と。皆未だ善人の解を識らずと為す。孔安国曰く、善人は但だに旧迹を循追するのみならず、亦た少しく能く業をはじむ。然れども亦た聖人の奥室に入らず、と。此れ漢時猶お古言を失わず。蓋し孔子嘗て聖人を以て並べ言う。見る可し豪傑の士管仲の輩が如き是れなることを。故に孔安国業を創むというを以て之を言う。……管仲の仁を天下に為すが如き、聖人の迹に循わざれども、変化縦横、或いは能く聖人の閫奥こんおうに入るに似たり」(世人不識善字。是後世佛氏言善、而人狃其説、一聽善則輒作佛氏之解。故朱子謂、善人質美而未學者也、欲仁而未志於學者也。仁齋曰、行善而不倦、其德有足稱焉者、故擧世仰慕焉。皆爲未識善人之解。孔安國曰、善人不但循追舊迹而已、亦少能創業。然亦不入於聖人之奧室。此漢時猶不失古言矣。蓋孔子嘗以聖人並言。可見豪傑之士如管仲輩是也。故孔安國以創業言之。……如管仲爲仁於天下、不循聖人之迹、變化縱横、或似能入聖人之閫奥)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十