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先進第十一 15 子貢問師與商也孰賢章

268(11-15)
子貢問、師與商也孰賢。子曰、師也過。商也不及。曰、然則師愈與。子曰、過猶不及。
こうう、しょういずれかまされる。いわく、ぎたり。しょうおよばず。いわく、しからばすなわまされるか。いわく、ぎたるはおよばざるがごとし。
現代語訳
  • 子貢がきいた、「師(子張)と商(子夏)では、どっちが上で…。」先生 ――「師くんは、やりすぎ。商くんは、まだ不足。」子貢 ―― 「それでは師が上ですか。」先生 ――「やりすぎは不足とおなじ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子貢が「師(ちょう)と商(子夏しか)とどちらがまさっておりましょうか。」とおたずねしたところ、孔子様が「師や過ぎたり、商や及ばず。」と答えられたので、子貢は、及ばぬよりは過ぎたる方がよかろうかと思って、「それでは師がまさっているのでありますか。」と言ったら、孔子様がおっしゃるよう、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子貢がたずねた。――
    しょうとでは、どちらがまさっておりましょうか」
    先師がこたえられた。――
    「師は行き過ぎている。商は行き足りない」
    子貢が更にたずねた。――
    「では、師の方がまさっているのでございましょうか」
    すると、先師がこたえられた。――
    「行き過ぎるのは行き足りないのと同じだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子貢 … 前520~前446。姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 師 … 孔子の門人、子張の名。前503~?。姓は顓孫せんそんあざなは子張。陳の人。孔子より四十八歳年少。ウィキペディア【子張】参照。
  • 商 … 孔子の門人、子夏の名。前507?~前420?。姓はぼくあざなは子夏。衛の人。孔子より四十四歳年少。孔門十哲のひとり。文章・学問に優れていた。武城の町の宰(長官)となった。ウィキペディア【子夏】参照。
  • 師与商也 … 「与」は「と」と読む。「也」は置き字。読まない。
  • 孰賢 … 「いずれかまされる」と読み、「どちらの人物がすぐれているか」と訳す。
  • 師也・商也 … 「也」は「や」と読む。
  • 過 … 行き過ぎ。やり過ぎ。でしゃばり。
  • 不及 … 控え目。やり足りない。
  • 然則 … 「しからばすなわち」と読み、「そうだとすると・それならば」と訳す。
  • 愈与 … 「まされるか」と読み、「すぐれているのですか」と訳す。「愈」はここでは「いよいよ」とは読まず、「まさる」の意。「与」はここでは「か」と読み、「~するか」「~であるか」と訳す。疑問の形。
  • 過猶不及 … 行き過ぎはやり足りないのと同様である。「~猶…」は「~はなお…のごとし」と読み、「~は…と同様である」と訳す。再読文字。ともに中庸からはずれているので、どちらもよくない。なお、故事成語「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし」も参照。
補説
  • 『注疏』に「此の章は子張・子夏の才性の優劣を明らかにす」(此章明子張子夏才性優劣)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 師(子張) … 『史記』仲尼弟子列伝に「顓孫せんそんは陳の人。あざなは子張。孔子よりわかきことじゅうはちさい」(顓孫師陳人。字子張。少孔子四十八歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顓孫師は陳人ちんひと、字は子張。孔子より少きこと四十八歳。人とり容貌資質有り。寬沖にして博く接し、従容として自ら務むるも、居りて仁義の行いを立つるを務めず。孔子の門人、之を友とするも敬せず」(顓孫師陳人、字子張。少孔子四十八歳。為人有容貌資質。寬沖博接、從容自務、居不務立於仁義之行。孔子門人、友之而弗敬)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 商(子夏) … 『孔子家語』七十二弟子解に「卜商は衛人えいひとあざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳。詩を習い、能く其の義に通ず。文学を以て名を著す。人と為り性弘からず。好みて精微を論ず。じん以て之にくわうる無し。嘗て衛に返り、史志を読る者を見る。云う、晋の師、秦を伐つ。さん河を渡る、と。子夏曰く、非なり。がいのみ。史志を読む者、これを晋の史に問う。果たして己亥と曰う。是に於いて衛、子夏を以て聖と為す。孔子しゅっして後、西河のほとりに教う。魏の文侯、之に師事して国政をはかる」(卜商衞人、字子夏。少孔子四十四歳。習於詩、能通其義。以文學著名。爲人性不弘。好論精微。時人無以尚之。嘗返衞見讀史志者。云、晉師伐秦。三豕渡河。子夏曰、非也。己亥耳。讀史志者、問諸晉史。果曰己亥。於是衞以子夏爲聖。孔子卒後、教於西河之上。魏文侯師事之、而諮國政焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「卜商あざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳」(卜商字子夏。少孔子四十四歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 師与商也孰賢 … 『義疏』に「師は子張、商は子夏なり。孰は誰なり。子貢孔子に問いて、師と商と誰をか賢勝たるを弁ぜんと欲するなり」(師子張、商子夏也。孰誰也。子貢問孔子欲辨師商誰爲賢勝也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「師は、子張の名、商は、子夏の名なり。孰は、誰なり。子貢孔子に問いて曰く、子張と子夏との二人、誰をか賢才と為す、と」(師、子張名、商、子夏名。孰、誰也。子貢問孔子曰、子張與子夏二人、誰爲賢才)とある。
  • 孰賢 … 『義疏』では「孰賢乎」に作る。
  • 子曰、師也過。商也不及 … 『集解』に引く孔安国の注に「倶に中を得ざるを言うなり」(言倶不得中也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「過は、子張の性繁冗にして、事を為すに好んで僻過在りて止まざるを謂うなり。言うこころは子夏の性疎闊にして、事を行うに好んで及ばずして止むなり」(過、謂子張性繁冗、爲事好在僻過而不止也。言子夏性踈濶、行事好不及而止也)とある。また『注疏』に「孔子答えて言う、子張の為す所はとうを過ぎて已まず、子夏は則ち及ばずして止まる、と。倶に中を得ざるを言うなり」(孔子答言、子張所爲過當而不已、子夏則不及而止。言倶不得中也)とある。また『集注』に「子張は才高く意広くして、苟くも難きを為すを好む。故に常に中を過ぐ。子夏は篤く信じ謹み守りて、規模きょうあいなり。故に常に及ばず」(子張才高意廣、而好爲苟難。故常過中。子夏篤信謹守、而規模狹隘。故常不及)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 曰、然則師愈与 … 『集解』の何晏の注に「愈は、猶お勝のごときなり」(愈、猶勝也)とある。また『義疏』に「愈は、勝なり。子貢又た問う、若し師事を為して過を好めば、過を好めば則ち勝れりと為さんや、と」(愈、勝也。子貢又問、若師爲事好過、好過則爲勝耶)とある。また『注疏』に「愈は、猶お勝のごときなり。子貢は未だ夫子の旨に明らかならず、以為えらく師や過ぎたりとは、則ち是れ賢才子夏に過ぎたり、と。故に復た問いて曰く、然らば則ち子張は子夏より勝れるか、と。与は、疑辞と為す」(愈、猶勝也。子貢未明夫子之旨、以爲師也過、則是賢才過於子夏。故復問曰、然則子張勝於子夏與。與、爲疑辭)とある。また『集注』に「まさるは、猶お勝るがごとし」(愈、猶勝也)とある。
  • 子曰、過猶不及 … 『義疏』に「答えて言う、既に倶に中を得ざれば、則ち過と不及とは異なること無きなり。故に云う、過ぎたるは猶お及ばざるがごとし、と。江熙云う、聖人の動くこと物ののりたり、人の勝否未だたやすく軽〻しく言わず。ふたつながら既に倶に未だ中を得ず、是れ其の優劣を明らかにせずして、以て来者にのこすなり、と」(答言、既倶不得中、則過與不及無異也。故云、過猶不及也。江熙云、聖人動爲物軌、人之勝否未易輕言。兩旣倶未得中、是不明其優劣、以貽於來者也)とある。また『注疏』に「子貢の解せざるを以て、故に復た之を解きて曰く、とうを過ぐるは猶お及ばざるが如く、倶に理に中たらず、と」(以子貢不解、故復解之曰、過當猶如不及、倶不中理也)とある。また『集注』に「道は中庸を以て至れりと為す。賢知の過ぎたるは、愚不肖の及ばざるに勝れるが若しと雖も、然れども其の中を失えるは則ち一なり」(道以中庸爲至。賢知之過、雖若勝於愚不肖之不及、然其失中則一也)とある。また『集注』に引く尹焞の注に「中庸の徳たるや、其れ至れるかな。夫の過ぎたると及ばざるとは均しきなり。之をごうたがえば、あやまるに千里を以てす。故に聖人の教えは、其の過ぎたるをおさえ、其の及ばざるを引きて、中道に帰せしむるのみ」(中庸之爲德也、其至矣乎。夫過與不及均也。差之毫釐、繆以千里。故聖人之教、抑其過、引其不及、歸於中道而已)とある。
  • 過不及 … 『義疏』では「猶不及也」に作る。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ師・商の二子、其の品相等しくして、其の才相反するを以てす。故に子貢問うことを為す。……二子の過と不及とに失するが若きは、亦た其の気質の偏りにかぎりて、学問の功以て之に勝つこと有らざればなり」(此以師商二子其品相等、而其才相反。故子貢爲問。……若二子失於過與不及、亦局於其氣質之偏、而學問之功不有以勝之也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「朱子曰く、道は中庸を以て至れりと為す、と。中庸は豈に以て道に名づけんや」(朱子曰、道以中庸爲至。中庸豈以名道乎)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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