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先進第十一 10 顏淵死第四章

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顏淵死。門人欲厚葬之。子曰、不可。門人厚葬之。子曰、回也視予猶父也。予不得視猶子也。非我也。夫二三子也。
顔淵がんえんす。門人もんじんあつこれほうむらんとほっす。いわく、不可ふかなりと。門人もんじんあつこれほうむる。いわく、かいわれることちちのごとくせり。われることのごとくするをざるなり。われにはあらざるなり。さんなり。
現代語訳
  • 顔淵が死ぬと、弟子なかまはりっぱなお葬式をという。先生 ――「それはいかん。」弟子たちは大がかりにやった。先生 ――「回くんは、わしを父のようにしていたのに、わしは子としてあつかえなかった。わしの意志じゃない、きみたちのせいじゃ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 顔淵が死んだ。同門の友人たちが葬式をりっぱにしようと計画した。そして孔子様が、「いけない、」とおっしゃったのに盛大な葬儀をり行った。孔子様がおっしゃるよう、「回はわしを父親のように思っていた。それ故わしはわが子のを葬った振合ふりあいでりっぱではなくとも心がこもった葬式をしてやりたいと思っていたのに、わが子のごとくしてやることができなかったのは、残念ざんねん千万せんばんだ。回もさぞ不本意に思ったろう。これはわしのせいではない。あの二三人のせいじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 顔淵が死んだ。門人たちが彼のために葬儀を盛大にしようともくろんだ。先師はそれを「いけない」といって、とめられたが、門人たちはかまわず盛大な葬儀をやってしまった。すると先師はいわれた。――
    「回は私を父のように思っていてくれた。私も彼を自分の子供同様に葬ってやりたかったが、それができなかった。それは私のせいではない。みんなおまえたちのせいなのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 顔淵 … 前521~前490頃。孔子の第一の弟子、顔回。姓は顔、名は回。あざなえんであるので顔淵とも呼ばれた。の人。徳行第一といわれた。孔子より三十歳年少。早世し孔子を大いに嘆かせた。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【顔回】参照。
  • 門人 … 孔子の門人たち。顔淵の門人という説もあるが、ここではとらない。
  • 不可 … いけない。
  • 門人厚葬之 … 門人たちは孔子の言葉を無視して盛大な葬儀をしてしまった。
  • 厚葬 … 本来は手厚く葬ることであるが、ここでは盛大な葬儀・贅沢な葬儀を指す。
  • 猶子 … 自分の息子のように。我が子のの葬儀のように。鯉の葬儀は、盛大ではなかったが、心のこもった葬儀だった。
  • 非我 … 私のせいではない。私の責任ではない。
  • 二三子 … 数名の門人たち。
補説
  • 顔淵(顔回) … 『史記』仲尼弟子列伝に「顔回は、魯の人なり。あざなは子淵。孔子よりもわかきこと三十歳」(顏回者、魯人也。字子淵。少孔子三十歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顔回は魯人、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。年二十九にして髪白く、三十一にして早く死す。孔子曰く、吾に回有りてより、門人日〻益〻親しむ、と。回、徳行を以て名を著す。孔子其の仁なるを称う」(顏回魯人、字子淵。少孔子三十歳。年二十九而髮白、三十一早死。孔子曰、自吾有回、門人日益親。回以德行著名。孔子稱其仁焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。
  • 顔淵死。門人欲厚葬之。子曰、不可 … 『集解』の何晏の注に「礼は、貧富各〻宜しき有り。顔淵の家貧にして、而れども門人厚く之を葬らんと欲す。故にゆるさざるなり」(禮、貧富各有宜。顏淵家貧、而門人欲厚葬之。故不聽也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「顔淵の門徒なり。師の貧しきを見て、己厚く之を葬らんと欲するなり。一に云う、是れ孔子の門人、厚く朋友を葬らんと欲す、と。孔子門人の厚く葬るをとどむ。故に云う、不可なり、と。王弼云う、財有りて、死すれば則ち礼有り、財無くんば、則ち已に止む。無くして礼を備うれば、則ち厚く葬るに近し、故に云う、孔子ゆるさざるなり、と」(顏淵之門徒也。見師貧、而己欲厚葬之也。一云、是孔子門人欲厚葬朋友。孔子止門人之厚葬。故云、不可也。王弼云、有財、死則有禮、無財、則已止焉。無而備禮、則近厚葬矣、故云孔子不聽也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「門人は、顔淵の弟子なり。其の師に賢行有るを以て、故に其の礼を豊厚にして以て之を葬らんと欲するなり。礼にては、貧富に宜しき有り。顔淵は貧しくして、而も門人厚く葬らんと欲す、故に之を聴かず、不可と曰うなり」(門人、顏淵之弟子。以其師有賢行、故欲豐厚其禮以葬之也。禮、貧富有宜。顏淵貧、而門人欲厚葬、故不聽之、曰不可也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「喪のそなえは、家の有無にかなう。貧にして厚く葬るは、理にしたがわざるなり。故に夫子之を止む」(喪具、稱家之有無。貧而厚葬、不循理也。故夫子止之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 門人厚葬之 … 『義疏』に「孔子の言に従わざるなり。范寧云う、厚く葬るは礼に非ず、故に許さざるなり。門人厚く葬らんと欲するは何ぞや。回の父厚く葬るの意有るに縁りて、故に門人の深情を遂げんと欲するなり、と」(不從孔子言也。范寧云、厚葬非禮、故不許也。門人欲厚葬何也。緣回父有厚葬之意、故欲遂門人之深情也)とある。また『注疏』に「初め孔子にはかるに、孔子はゆるさず。門人はことさらに孔子に違いて、卒に之を厚く葬るなり」(初咨孔子、孔子不聽。門人故違孔子、而卒厚葬之也)とある。また『集注』に「蓋し顔路之をゆるす」(蓋顏路聽之)とある。
  • 子曰、回也視予猶父也。予不得視猶子也 … 『義疏』に「回、我に事えて三在るも一の如し。故に云う、予を視ること猶お父のごときなり、と。我鯉を葬るに槨無し。而してだ回のみ槨無きに能わず。是れ回を視ること猶お子のごときなるを得ざるなり」(回事我在三如一。故云、視予猶父也。我葬鯉無槨。而不能止回無槨。是視回不得猶子也)とある。また『注疏』に「此の下は孔子の其の厚葬を非とするの語なり。言うこころは回や己に師事し、己を視ること猶お其の父の如くするなり。言うこころは回には自ら父の存する有りて、父の意は門人の厚葬を聴かんと欲すれば、我は之をきてとどむることを得ず、故に予視ること猶お子のごとくするを得ざるなりと曰う」(此下孔子非其厚葬之語也。言回也師事於己、視己猶如其父也。言回自有父存、父意欲聽門人厚葬、我不得割止之、故曰予不得視猶子也)とある。
  • 非我也。夫二三子也 … 『集解』に引く馬融の注に「言うこころは回自ずから父有り、父の意門人の之を厚葬するをゆるさんと欲すれば、我制止するを得ざるなり。其の厚葬をそしり、故にしか云う」(言回自有父、父意欲聽門人厚葬之、我不得制止也。非其厚葬、故云爾也)とある。また『義疏』に「言うこころは此れ貧にして礼に過ぎて厚く葬るは、是れ我が意に非ざるなり。政に是れ夫の二三子の意なり。二三子には則ち顔路も亦た其の中に在るなり。范寧云う、言うこころは回、父を以て我に事うと雖も、我子を以て回を遇するを得ず。師徒と曰うと雖も、義天属を軽んず。今、父厚く葬らんと欲す。豈に制止するを得んや。言うこころは厚く葬るは我の教えに非ず。門人の意に出づるのみ。此を以て門人を抑えて世の弊を救うなり」(言此貧而過禮厚葬、非是我意也。政是夫二三子意也。二三子則顏路亦在其中也。范寧云、言回雖以父事我、我不得以子遇回。雖曰師徒、義輕天屬。今父欲厚葬。豈得制止。言厚葬非我之敎。出乎門人之意耳。此以抑門人而救世弊也)とある。また『注疏』に「言うこころは厚葬の事は、我が為す所に非ず、夫の門人の二三子之を為すなり。其の厚葬を非とす、故に云うのみ」(言厚葬之事、非我所爲、夫門人二三子爲之也。非其厚葬、故云耳)とある。また『集注』に「鯉を葬むるの宜しきを得るが如きを得ざるを歎き、以て門人を責むるなり」(歎不得如葬鯉之得宜、以責門人也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「君子の人を愛するは徳を以てし、細人の人を愛するは財を以てす。門人徒らに顔子を愛することを知れども、顔子を愛する所以を知らず、惜しいかな。顔子の門人すら猶お厚く葬るの非を免れざれば、則ち後の礼を行う者、其れかんがみざる可けんや」(君子之愛人以德、細人之愛人以財。門人徒知愛顏子、而不知所以愛顏子、惜哉。顏子門人猶不免於厚葬之非、則後之行禮者、其可不監哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「我を非とせん也夫かな絶つ。二三子也。句絶つ。檀弓だんぐうに曰く、人豈に之を非とする者有らんや、と。非の字まさに同じ。言うこころは二三子厚く葬るを聞きて、必ず孔子のとどむること能わざるをとがめんとなり。二三子は、門人の邦に在る者を指すなり。蓋し孔子自ら其の厚く葬るを痛く禁ぜざりしを悔ゆるなり。或いは疑う、聖人は宜しく悔ゆること無かるべしと。殊に知らず之を悔ゆる者は之を哀しむの深きことを。人情のつねなり。旧註に我の罪に非ざるなり、顔子の門人の罪なりと謂う。大いに孔子の口気を失す」(非我也夫。句絶。二三子也。句絶。檀弓曰、人豈有非之者哉。非字正同。言二三子聞厚葬、必咎孔子之不能止也。二三子、指門人在它邦者也。蓋孔子自悔其不痛禁厚葬也。或疑聖人宜無悔。殊不知悔之者哀之深也。人情之常也。舊註謂非我之罪也、顏子門人之罪也。大失孔子口氣)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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