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先進第十一 5 南容三復白圭章

258(11-05)
南容三復白圭。孔子以其兄之子妻之。
南容なんようたび白圭はっけいふくす。こうあにもっこれめあわす。
現代語訳
  • 南容は「白玉」の詩が口ぐせである。孔先生は兄上の娘を彼の嫁にした。(がえり善雄『論語新訳』)
  • 南容は、『詩経』を読んで白圭の詩のところにくると、何度もくり返して打ちしょうじた。かように言葉をつつしむ男ならばまちがいなかろうというので、兄の娘を嫁にやられた。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    南容なんよう白圭はっけいの詩を日に三たびくりかえしていた。先師はそれを知られて、ご自分の兄の娘を彼にめあわされた」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 南容 … 姓はなんきゅう、名はかつ(括)、またとう(韜)。あざなは子容。南容は、南宮子容の略。孔子の門人といわれているが異説もあり、はっきりしない。ウィキペディア【南宮括】参照。
  • 三復 … 何度も繰り返す。「三復さんぷくす」と読んでもよい。「三」は、頻繁、しばしばの意。必ずしも「三回」の意ではない。「復」は、繰り返し誦すること。
  • 白圭 … 『詩経』大雅・よくの詩の「白圭はっけいくるは、尚おみがく可きなり。げんくるは、おさむ可からざるなり」(白圭之玷、尚可磨也。斯言之玷、不可爲也)という句を指す。白圭の欠けたものは磨けばよいが、一度口に出した言葉は取り返しがつかない。「白圭」は、白く清らかな玉器。ウィキソース「詩經/抑」参照。
  • 妻 … 「めあわす」と読む。嫁がせて妻とする。
補説
  • 『注疏』に「此の章は南容の言を慎むをむるなり」(此章美南容愼言也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 南容 … 『史記』仲尼弟子列伝に「南宮括、字は子容」(南宮括字子容)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「南宮韜はひと、字は子容。智を以て自らまもる。世清くしててられず、世にごるもけがされず。孔子兄の子を以て之にめあわす」(南宮韜魯人、字子容。以智自將。世淸不廢、世濁不汚。孔子以兄子妻之)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『礼記』檀弓上篇に「南宮縚の妻の姑の喪に、夫子之におしえて曰く……」(南宮縚之妻之姑之喪、夫子誨之髽曰……)とある。ウィキソース「禮記/檀弓上」参照。
  • 南容三復白圭 … 『集解』に引く孔安国の注に「詩に云う、白圭のくるは、尚お磨く可きなり。斯の言の玷くるは、為む可からざるなり、と。南容詩を読むこと此に至り、三たび之を反復するは、是れ其の心言を慎めばなり」(詩云、白圭之玷、尚可磨也。斯言之玷、不可爲也。南容讀詩至此、三反復之、是其心愼言也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「復は、猶お反のごときなり。詩に云う、白圭のくるは、尚お磨く可きなり。斯の言の玷くるは、為む可からざるなり、と。是れ白圭に玷欠てんけつする所有るも、尚お磨き治めて其れをして全く好からしむ可し。若し人言忽ちにしててん有らば、則ち駟馬しばも及ばず。故に云う、おさむ可からざるなり、と。南容言語に慎み、詩を読みて白圭の句に至り、乃ち三過反覆し、修翫して已むこと無きの意なり」(復、猶反也。詩云、白圭之玷、尚可磨也。斯言之玷、不可爲也。是白圭有所玷缺、尚可磨治令其全好。若人言忽有瑕玷、則駟馬不及。故云、不可爲也。南容愼言語、讀詩至白圭之句、乃三過反覆、修翫無已之意也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「復は、覆なり。詩に云う、白圭のけたるは、尚お磨く可きなり。斯の言の玷けたるは、おさむ可からざるなり、と。南容詩を読みてここに至るとき、三たび之を反覆するは、是れ其の心言を慎めばなり」(復、覆也。詩云、白圭之玷、尚可磨也。斯言之玷、不可爲也。南容讀詩至此、三反覆之、是其心愼言也)とある。また『集注』に「詩の大雅の抑の篇に曰く、白圭のくるは、尚お磨く可きなり。斯の言の玷くるは、為す可からず、と。南容一日に三たび此の言を復す。事は家語に見ゆ」(詩大雅抑之篇曰、白圭之玷、尚可磨也。斯言之玷、不可爲也。南容一日三復此言。事見家語)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 孔子以其兄之子妻之 … 『義疏』に「重ねて南容の孔子の姻を蒙り、其の善一に非ざるを明らかにす。故に更に之を記すなり。苞述云う、南容の白圭を深く味わい、擬志玷無し。豈に縲紲るいせつせらるるも罪に非ざると其の流致を同じうせん。猶お夫子の情、実に深く天に属す。義をたかくし教えを弘め、必ず自ら親しく始む。二女のとつところを観れば、夫子の譲心を見るなり、と。侃、已に釈する有り。公冶長篇の中に在るなり」(重明南容蒙孔子之姻、其善非一。故更記之也。苞述云、南容深味白圭、擬志無玷。豈與縲紲非罪同其流致。猶夫子之情實深天屬。崇義弘教、必自親始。觀二女攸歸、見夫子之讓心也。侃已有釋。在公冶長篇中也)とある。また『注疏』に「孔子其の賢なるを知る、故に其の兄の女子を以て之にめあわす。此れ即ち邦に道有れば、廃せられず、邦に道無ければ、刑戮を免るる者なり。弟子各〻聞く所を記す。故に又た之を載す」(孔子知其賢、故以其兄之女子妻之。此即邦有道、不廢、邦無道、免於刑戮者也。弟子各記所聞。故又載之)とある。また『集注』に「蓋し深く言を謹むに意有るなり。此れ邦に道有れば、廃せざる所以、邦に道無ければ、禍を免るる所以なり。故に孔子、兄の子を以て之に妻す」(蓋深有意於謹言也。此邦有道、所以不廢、邦无道、所以免禍。故孔子以兄子妻之)とある。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「言とは行の表、行とは言の実なり。未だ其の言を易くして能く行を謹む者有らざるなり。南容の其の言を謹まんと欲すること此くの如くなれば、則ち必ず能く其の行を謹む」(言者行之表、行者言之實。未有易其言而能謹於行者。南容欲謹其言如此、則必能謹其行矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「夫れ言とは君子の枢機、いくさを興しよしみを出だすも皆其の招く所、徳に進み業を修むるも亦た其の致す所なり。苟くも其の言をやすくせば、則ち聡明才弁、人に超出すと雖も、然れども其の能く身を修め行をととのえ禍いに陥らざるを保ち難し。此れ夫子の南容に取る所以なり」(夫言者君子之樞機、興戎出好皆其所招、進德修業亦其所致。苟易其言、則雖聰明才辨、超出於人、然難保其能修身飭行不陷於禍。此夫子之所以取於南容也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「南容白圭を三復す、よくの詩なり。抑と言わずして白圭と言うは、其の三復する所唯だ一章なるのみ」(南容三復白圭、抑詩也。不言抑而言白圭、其所三復唯一章已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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