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子罕第九 9 子見齊衰者章

214(09-09)
子見齊衰者、冕衣裳者、與瞽者、見之雖少必作。過之必趨。
さいものと、べんしょうものと、しゃとをれば、これわかしといえどかならつ。これぐればかならはしる。
現代語訳
  • 先生は喪服の人、礼装の人、それに※※※の人と会うと、年下とわかっても席を立った。まえを通るには、小走りした。(「※※※」部分は、現在視覚障害者を指す差別用語といわれているため、伏せ字とした。)(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様は、喪服をきた者と、大礼服たいれいふくの役人と、盲人もうじんとにであわれると、それが自分より若い人であっても、あちらがこちらの前に来る場合には必ずりつされ、こちらがあちらの前を通るときには必ず小走りされた。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師は、喪服を着た人や、衣冠束帯をした人や、盲人に出会われると、相手がご自分より年少のものであっても、必ず立って道をゆずられ、ご自分がその人たちの前を通られる時には、必ず足を早められた。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 斉衰 … 五服(服喪期間によって分けられた五等級の喪服)のうち、第二等の喪服で、麻で作られ、すそを切りそろえて端を縫っている。一年の喪に用いられた。「斬衰ざんさい」が第一等の喪服で、端を縫っていない。三年の喪に用いた。なお、九か月の喪は「大功」、五か月の喪は「小功」、三か月の喪は「緦麻しま」を用いる。ここでは軽い方を挙げて重い方も兼ねている。
  • 冕衣裳者 … 大礼服を着た高官・貴人。「冕」は、冠。「衣」は、上衣。「裳」は、下衣。下半身につける長いスカート状の衣服。したばかま
  • 瞽者 … 盲目の人。
  • 見 … 出会う。
  • 見之 … 孔子が相手を前にして見る。
  • 少 … 若い。
  • 作 … 立ち上がる。
  • 過之 … 孔子が人々の前を通り過ぎる。
  • 趨 … (敬意を表するために)小走りに歩く。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子喪有るを哀しみ、位に在るを尊び、不成人をあわれむを言うなり」(此章言孔子哀有喪、尊在位、恤不成人也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 斉衰者 … 『義疏』に「此れ孔子人の喪有る者を哀むを記すなり。斉衰は、五服の第二の者なり。斉を言うときは則ち斬は従いて知る可し。而して大功は預らざるなり」(此記孔子哀人有喪者也。齊衰、五服之第二者也。言齊則斬從可知。而大功不預也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「斉衰は、周親の喪服なり。斉衰を言えば、則ち斬衰は従りて知る可きなり」(齊衰、周親之喪服也。言齊衰、則斬衰從可知也)とある。また『集注』に「斉衰は、喪服」(齊衰、喪服)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 冕衣裳者 … 『集解』に引く包咸の注に「冕とは、冕冠なり。大夫の服なり」(冕者、冕冠也。大夫之服也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子在位者を尊敬するを記すなり。冕衣裳者は、周礼に大夫以上の服なり。大夫以上の尊なれば、則ち士は列に在らざるなり」(記孔子尊敬在位者也。冕衣裳者、周禮大夫以上之服也。大夫以上尊、則士不在列也)とある。また『注疏』に「冕は、冠なり。大夫の服なり」(冕、冠也。大夫之服也)とある。また『集注』に「冕は、冠なり。衣は、上服。裳は、下服。冕して衣裳するは、貴き者の盛服なり」(冕、冠也。衣、上服。裳、下服。冕而衣裳、貴者之盛服也)とある。
  • 与瞽者 … 『集解』に引く包咸の注に「瞽者は、盲者なり」(瞽者、盲者也)とある。また『義疏』に「孔子、不成人をあわれむを記すなり。瞽は、盲者なり。与と言えるは、盲者卑しければなり。故に与の字を加え、以て之を別かつなり。言うこころは瞽者則ち聾者預らざるなり。聾疾は盲より軽きなり」(記孔子愍不成人也。瞽、盲者也。言與者、盲者卑。故加與字、以別之也。言瞽者則聾者不預也。聾疾輕於盲也)とある。また『注疏』に「瞽は、盲なり」(瞽、盲也)とある。また『集注』に「瞽は、目無き者」(瞽、無目者)とある。
  • 見之雖少必作。過之必趨。 … 『集解』に引く包咸の注に「作は、起なり。趨は、疾行しっこうするなり。此れ夫子喪有るを哀しみ、位に在るを尊び、成人ならざるをあわれむなり」(作、起也。趨、疾行也。此夫子哀有喪、尊在位、恤不成人也)とある。また『義疏』に「孔子此の三種の人を見るを言う。復た年少と雖も、孔子坐を改めて之を見れば、必ず之が為に起つなり。趨は、疾行するなり。又た孔子若し此の三種の人を行過すれば、必ず之が為に疾速して、敢えて自ら修容せざるを明らかにするなり。范寧曰く、趨は、之に就くなり、と」(言孔子見此三種人。雖復年少、孔子改坐而見之、必爲之起也。趨、疾行也。又明孔子若行過此三種人、必爲之疾速、不敢自修容也。范寧曰、趨、就之也)とある。また『注疏』に「作は、起なり。趨は、疾行なり。言うこころは夫子此の三種の人を見れば、わかしと雖も、坐するときは則ち必ずち、行くときは則ち必ずはしる」(作、起也。趨、疾行也。言夫子見此三種之人、雖少、坐則必起、行則必趨)とある。また『集注』に「作は、起つなり。趨は、く行くなり。或ひと曰く、少は当に坐に作るべし、と」(作、起也。趨、疾行也。或曰、少當作坐)とある。
  • 見之雖少必作 … 『義疏』では「見之雖少者必作」に作る。
  • 見之 … 荻生徂徠は「子、さいの者を見、べんしょうの者としゃと之を見れば」(子見齊衰者。冕衣裳者與瞽者見之)と読んでいる。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「聖人の心、喪有るを哀しみ、爵有るを尊び、不成人をあわれむ。其のつと趨るとは、蓋し然るを期せずして然る者有らん」(聖人之心、哀有喪、尊有爵、矜不成人。其作與趨、蓋有不期然而然者)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「此れ聖人の誠心、内外一なる者なり」(此聖人之誠心、内外一者也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ聖人の仁、物として至らざること無く、時として然らざること無きを言う。下のべんまみゆの章は此にならう」(此言聖人之仁、無物不至、無時不然。下師冕見章倣此)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「子、斉衰の者を見、句す。冕衣裳の者と瞽者と之を見れば、句す。本の見之を下句に属するは、非なり。喪有る者は多くは来たりて人を見ず、故にこれしょに見るを以て辞と為す。斬衰ざんさいと言わざる者は、軽きを以て重きをぬるなり。冕衣裳は盛服する者なり。古註に曰く、大夫の服なり、と。此れ固より然り。然れども此れ爵を貴ぶに非ず。彼れ盛服して来たりまみゆ、故に敬を起こす、しからずんば、何ぞ冕衣裳と言わんや。若し必ず大夫の服を以てして敬を起さば、則ち孔子も亦た嘗て大夫たり。大夫と雖も燕服えんぷくを以て来たりまみゆれば、何ぞ必ずして敬を起こさん。彼れ盛服すれば則ち吾れ敬を起こす、礼の当に然るべきなり。瞽者は師を謂うなり。古え人に教うるに礼楽を以てす。礼を詔する者は之を執礼の者と謂う。楽を詔する者は瞽者と為す。殷の学をそうと曰う。以て見る可きのみ。故に瞽者は人の師たる者なり。故に又た之を師と謂う。孔子の敬を起こす所以は、是れのみ。後世は古えを知らず、だ以てかっの称と為す。故に旧註に不成人をあわれむなりというは、非なり。……蓋し斉衰の者を見るは、これを它処に見るを以て辞と為す、故に之を過ぐれば必ず趨ると曰う。冕衣裳の者と瞽者と之を見るは、来たりまみゆるを以て辞と為す、故にわかしと雖も必ずつと曰う。是れ文を互いにして意をあらわす、其の実は拘せず。古文辞を識るに非ざれば、亦た読むこと能わざるのみ」(子見齊衰者、句。冕衣裳者與瞽者見之、句。何本見之屬下句、非也。有喪者多不來見人、故以見諸它處爲辭。不言斬衰者、以輕包重也。冕衣裳盛服者也。古註曰、大夫之服。此固然。然此非貴爵矣。彼盛服來見、故起敬、不爾、何言冕衣裳乎。若必以大夫之服而起敬、則孔子亦嘗爲大夫。雖大夫以燕服來見、何必起敬。彼盛服則吾起敬、禮當然也。瞽者謂師也。古者教人以禮樂。詔禮者謂之執禮者。詔樂者爲瞽者。殷學曰瞽宗。可以見爾。故瞽者爲人師者也。故又謂之師。孔子所以起敬、是已。後世不知古、徒以爲瞎子之稱。故舊註恤不成人、非也。……蓋見齊衰者、以見諸它處爲辭、故曰過之必趨。冕衣裳者與瞽者見之、以來見爲辭、故曰雖少必作。是互文見意、其實不拘。非識古文辭、亦不能讀已)とある。燕服は、普段着。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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