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泰伯第八 13 子曰篤信好學章

197(08-13)
子曰、篤信好學、守死善道。危邦不入、亂邦不居。天下有道則見、無道則隱。邦有道、貧且賤焉、恥也。邦無道、富且貴焉、恥也。
いわく、あつしんじてがくこのみ、まもりてみちくす。ほうにはらず、乱邦らんぼうにはらず。てんみちればすなわあらわれ、みちければすなわかくる。くにみちるに、まずしくいやしきは、はじなり。くにみちきに、たっときは、はじなり。
現代語訳
  • 先生 ――「心から学問をし、いのちをかけて真理を守る。つぶれる国にはゆかず、乱れた国には住まぬ。まともな世には身をあらわし、まがった世には身をかくす。まともな国で、貧乏浪人とは、ふがいない。まがった国で、栄華な身分も、人でない。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「道を信ずること固く、学を好んで道を求め、学び得たる正しき道は命にかけても守り通さねばならぬ。これが人の身の立て方である。乱れんとするきざしある国には入らず、既に乱れたる国にはおらず、天下に道義が行われている場合にはでて働き、天下に道義が行われぬ場合には隠れてでぬ。これが人の世にしょし方である。したがって道ある国にありながら用いられずして貧賤ひんせんなのはずべく、また道なき国に用いられて富貴なのもはじである。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「篤く信じて学問を愛せよ。生死をかけて道を育てよ。乱れるきざしのある国にははいらぬがよい。すでに乱れた国にはとどまらぬがよい。天下に道が行なわれている時には、出でて働け。通がすたれている時には、退いて身を守れ。国に道が行なわれていて、貧賤であるのは恥だ。国に道が行なわれないで、富貴であるのも恥だ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 篤信 … 堅く信じる。
  • 守死 … 命がけで。必死の覚悟で。
  • 善道 … 正しい生き方をする。
  • 危邦 … 危険な兆候のある国。
  • 乱邦 … 既に乱れている国。
  • 見 … 出て仕える。
  • 隠 … 退いて仕えない。
  • 邦有道、貧且賤焉、恥也 … 国に正しい道が行なわれていながら、(仕官しないで)貧乏でいるのは恥である。
  • 邦無道、富且貴焉、恥也 … 国が乱れているのに、(仕官して)金や地位を得ているのは恥である。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人に道を守るを勧むるなり」(此章勸人守道也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 篤信好学 … 『義疏』に「此の章は人に身を立つるの法を教うるなり。誠信を篤厚ならしめ、好んで先王の道を学ぶなり」(此章教人立身法也。令篤厚於誠信、而好學先王之道也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「誠信に厚くして、学問を好むを言うなり」(言厚於誠信、而好學問也)とある。また『集注』に「篤は、厚くしてつとむるなり。篤く信ぜざれば、則ち学を好むこと能わず。然れども篤く信じて学を好まざれば、則ち信ずる所、或いは其の正に非ず」(篤、厚而力也。不篤信、則不能好學。然篤信而不好學、則所信或非其正)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 守死善道 … 『集解』に引く包咸の注に「言行当に常に然るべきなり」(言行當常然也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「寧ろ善を為して死し、悪を為さずして生く。故に云う、死を守りて道を善くするなり」(寧爲善而死、不爲惡而生。故云、守死善道也)とある。また『注疏』に「節を守り死に至るも、善道を離れざるなり」(守節至死、不離善道也)とある。また『集注』に「死を守らざれば、則ち以て其の道を善くすること能わず。然れども死を守りて以て其の道を善くするに足らざれば、則ち亦た徒らに死するのみ。蓋し死を守るとは、篤く信ずるの効、道を善くすとは、学を好むの功なり」(不守死、則不能以善其道。然守死而不足以善其道、則亦徒死而已。蓋守死者、篤信之效、善道者、好學之功)とある。
  • 危邦不入 … 『集解』に引く包咸の注に「危邦には入らずとは、始めて往かんと欲するを謂うなり。危とは、将に乱れんとするの兆なり」(危邦不入、謂始欲往也。危者、將亂之兆也)とある。また『義疏』に「初め仕うる時を謂うなり。彼の国を見るに将に危うからんとすれば、則ち須らく入りて仕うべからざるなり」(謂初仕時也。見彼國將危、則不須入仕也)とある。また『注疏』に「危とは、将に乱れんとするの兆なり。不入は、始め往かんと欲するも、其の乱の兆を見て、復た入らざるを謂うなり」(危者、將亂之兆也。不入、謂始欲往、見其亂兆、不復入也)とある。また『集注』に「君子は危うきを見て命を授く。則ち危邦に仕うる者は、去る可きの義無し。外に在れば則ち入らずして可なり」(君子見危授命。則仕危邦者、無可去之義。在外則不入可也)とある。
  • 乱邦不居 … 『集解』に引く包咸の注に「乱邦に居らずは、今去らんと欲するなり。臣、君をしいし、子、父を弑するは、乱なり」(亂邦不居、今欲去也。臣弑君、子弑父、亂也)とある。また『義疏』に「我が国已に乱るれば、則ち宜しく之を避けて居住せざるべきを謂うなり。然れども乱時に居らざれば、則ち始めて危時に猶お居るがごときなり。危うき者入らざれば、則ち乱る。故に宜しく入らざるべきなり」(謂我國已亂、則宜避之不居住也。然亂時不居、則始危時猶居也。危者不入、則亂。故宜不入也)とある。また『注疏』に「乱は、臣君を弑し、子父を弑するを謂う。……不居は、今去らんと欲し、其の已に乱れたるを見て、則ち遂に之を去るを謂うなり」(亂、謂臣弑君、子弑父。……不居、謂今欲去、見其已亂、則遂去之也)とある。また『集注』に「乱邦は未だ危うからずして、刑政紀綱みだる。故に其の身をきよくして之を去る」(亂邦未危、而刑政紀綱紊矣。故潔其身而去之)とある。
  • 天下有道則見、無道則隠 … 『義疏』に「天下は、天子を謂うなり。見は、出仕するを謂うなり。若し世王道有らば、則ち宜しく出仕すべきなり。若し時の王道無ければ則ち隠る。石に枕し流れにくちすすぐなり。陳文子は馬十乗を棄てて去る。是れ乱邦には居らざるなり」(天下、謂天子也。見、謂出仕也。若世王有道、則宜出仕也。若時王無道則隱。枕石嗽流也。陳文子棄馬十乘而去。是亂邦不居也)とある。また『注疏』に「明君に値たらば、則ち当に出仕すべく、闇主に遇わば、則ち当に隠遯すべきを言う」(言値明君、則當出仕、遇闇主、則當隱遯)とある。また『集注』に「天下は、一世を挙げて言う。道無ければ則ち其の身を隠して見われざるなり。此れ惟だ篤く信じて学を好み、死を守り道を善くする者のみ之を能くす」(天下、舉一世而言。無道則隱其身而不見也。此惟篤信好學、守死善道者能之)とある。
  • 邦有道、貧且賤焉、恥也 … 『義疏』に「国君道有れば、則ち宜しく我が才智を運らし、時をたすけて出仕し、宜しく始めて富貴を得べし。而して己独り貧賤なれば、則ち是れ才徳浅薄にして、明時に会せず。故に恥ず可しと為すなり」(國君有道、則宜運我才智、佐時出仕、宜始得富貴。而己獨貧賤、則是才德淺薄、不會明時。故爲可耻也)とある。また『注疏』に「其の明君の禄を得ざるを恥づるなり」(恥其不得明君之祿也)とある。
  • 邦無道、富且貴焉、恥也 … 『義疏』に「国君道無くして、己出仕し、富貴を招致すれば、則ち是れ己も亦た道無し。悪逆の君に会するを得。故に亦た恥ず可しと為すなり。江熙曰く、道を枉げずして人に事う。何を以てか無道の寵を致さんや。寵は、恥ずる所以なり。夫れ山林の士は、朝廷の人を笑う。束帯して朝に立てば、逍遥たるを獲ざるなり。朝に在る者も亦た山林の士の褊厄を謗るなり。各〻是は其の是とする所にして、非は其の非とする所なり。是を以て夫子出処の義を兼ね知る。屈申を明らかにし、時に当たるを貴ぶなり、と」(國君無道、而己出仕、招致富貴、則是己亦無道。得會惡逆之君。故亦爲可耻也。江熙曰、不枉道而事人。何以致無道寵。寵、所以耻也。夫山林之士、笑朝廷之人。束帶立朝、不獲逍遙也。在朝者亦謗山林之士褊厄也。各是其所是、而非其所非。是以夫子兼知出處之義。明屈申、貴於當時也)とある。また『注疏』に「汚君の禄を食みて、以て富貴を致すを恥づるなり。人の行いを為すや、当に常に此くの如くすべきを言う」(恥食汚君之祿、以致富貴也。言人之爲行、當常如此)とある。また『集注』に「世治まりて行う可きの道無く、世乱れて能く守るの節無きは、碌碌ろくろくたる庸人、以て士たるに足らず。恥ず可きの甚だしきなり」(世治而無可行之道、世亂而無能守之節、碌碌庸人、不足以爲士矣。可耻之甚也)とある。
  • 『集注』に引く晁説之の注に「学ぶこと有り守ること有りて、去就の義潔く、出処の分明らかにして、然る後に君子の全徳と為すなり」(有學有守、而去就之義潔、出處之分明、然後爲君子之全德也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「故に危邦には外に在る者、入る可からざるなり。乱邦の若きは則ち仕うる者猶お居る可からず、況んや外に在って未だ仕えざる者をや。……蓋し門人夫子平日の格言をていしゅうして、以て一章と為して、之をでんしょうするなり」(故危邦在外者、不可入也。若亂邦則仕者猶不可居、況在外未仕者乎。……蓋門人綴輯夫子平日格言、以爲一章、而傳誦之也)とある。綴輯は、つづり集めること。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「篤く信じて学を好み、死を善と道とに守る、古言一なり。危邦には入らず、乱邦には居らず、古言二なり。天下道有れば則ちあらわれ、道無ければ則ち隠る、古言三なり。孔子古言を引く者三つ、以て邦に道有るの貧賤なる、邦に道無きの富貴なるは、皆恥ず可きを証するなり。守死善道とは、死を善と道とに守るなり。先王の道に非ずと雖も、亦た善なる者有り、故に善と道と曰う。……朱註に、其の道を善くするを以て之を解す。是れ荘子が庖丁刀を善くすの善の如し。六経に未だ之れ有らず。故に皆従う可からず。……守死とは、死を守りて去らざることを謂うなり。善と道とに従えば則ち死し、しからざれば則ち生く。是に於いてか君子は死を守って去らざるなり。仁斎先生は以て終身の義と為す。字義を知らずと謂う可きのみ。危邦とは、将に亡びんとするの邦なり」(篤信好學、守死善道、古言一也。危邦不入、亂邦不居、古言二也。天下有道則見、無道則隱、古言三也。孔子引古言者三、以証邦有道之貧賤、邦無道之富貴、皆可恥也。守死善道者、守死於善與道也。雖非先王之道、亦有善者、故曰善道。……朱註、以善其道解之。是如莊子庖丁善刀之善。六經未之有。故皆不可從矣。……守死者、謂守死而弗去也。從善與道則死、否則生。於是乎君子守死而弗去也。仁齋先生以爲終身之義。可謂不知字義已。危邦者、將亡之邦也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十